
寝台特急列車を除くと海峡線で唯一の客車列車になってしまったはまなすはパスのおかげか、かなり混んでいました。いや、客層が変わった、というべきでしょうか。自由席がついていた頃の山陽夜行快速のようです。客車も14系ですし「ムーンライトはまなす」だなと思います。この後のことがあるのでなるべくぐっすり寝ておきたいところですが、何となく落ち着かない内に函館に到着し、進行方向が変わります。13分遅れていました。到着直前にちょうど二人がけの席が空いたので窓際確保しようと移動したら、函館では降りた以上に乗ってきて隣の席も埋まります。函館〜札幌間の夜行快速「ミッドナイト」を廃止した分の旅客流動なのかもしれませんが、廃止以前からこれくらい乗ってきていたかもしれません。深夜だし混んでいるので誰も座席をひっくり返したりはせず、後ろ向きのまま七重あたりの勾配区間から函館の夜景を見送ります。月が出ていれば雪をかぶった駒ケ岳が車窓に幻想的に広がるのですが、今日は大沼を過ぎても外はただ暗いだけです。
眠いんだか何だかよくわからないまま噴火湾を眺めます。昨年春、まだ「ミッドナイト」があった時に森のプラットホームでMet'zガラナ味を買ってうっかりビールと続けて飲んでしまい、バッドトリップしかけたのを思い出しました(ガラナとアルコールを一緒に摂るとよくないらしいです)。これから一日、なるべく居眠りしたくないのにと思っているのに列車は容赦なく室蘭本線に入り、トンネルの群れをがあがあ抜けたかと思うと工場だの製鉄所関係の施設だのが車窓に見えてきてしまいました。そろそろ東室蘭で、広い北海道ではここからは札幌の郊外みたいなもんです。製鉄所への引込線の分岐器に凍結防止のカンテラがちろちろ燃えています。明らかに枕木が燃えていると思しき煙が上がっているところもありました。結局まんじりともできず、白老、苫小牧、千歳とくるとそろそろ札幌です。東室蘭からは定時運転でした。曇り空の下の札幌市街は雪が降りそうでいて降らなさそうな、そんな微妙に陰鬱な暗い明け方の光の中にありました。北口のサンクスで朝ご飯を仕入れ、次に出る滝川行の普通列車に乗り換えです。
711系の3両編成の車内は閑散としています。向かいのボックスでは朝まで飲んでいたらしい大学生くらいの男二人連れが延々と話しています。寝ようと目をつぶると会話が耳に届いてきます。札幌には帰省してきているのでしょう。同窓会の話、高校時代の話。同級生の子と同窓会で再会して、流れでエッチしてしばらくつき合っていたけど遠距離が辛くて別れてしまった話、その子の高校時代の異性関係の話。遊んでいると思ってたけど俺が始めてだったらしい、悪いことしたと思う。そんな話を、わずか数ヶ月前のことのはずなのに昔語りのように淡々と語っています。それが白い街なみを縫って走る閑散とした早朝の列車の雰囲気に合っているように感じて、目を閉じたまま耳に入ってくるなりにずっと聞いていました。二人が森林公園で降りてしまうと車内はただ、いっそう静かなだけです。岩見沢、美唄、奈井江とそれでも乗降があり、砂川ではけっこうな人が乗ってきました。滝川へ通う人たちが結構いるものです。滝川駅の駅そばは4日まで休業、との張り紙が出ていました。その向かいのたしか土産物屋だったところはシャッターが下ろされ、財産保全中につき立ち入り禁止の貼り札の下に東京の管財人の住所が書いてありました。待合室の目の前にそういうのがあります。何だかあれです。
さて、ここで次の普通列車を待っていると今日中に行きたいところに行けないので、頻繁に走っている特急で4つ先の街、深川までショートカットすることになります。次の深川始発の普通列車は10時過ぎ、特急の所要時間をさっぴいても両駅合わせて1時間40分ほど時間があり、その間特急は4本入っています。この時間を適当に割り振ろうと駅前に出ますが内陸なだけ、朝方の札幌より寒いきがします。まだ店も開いていない(いや、そもそもまだ松の内なのですが)駅前をほっつき歩いても面白いものはもちろんありません。40分ほど広くもない駅の待合室でぶらぶらとしてから売店で道内時刻表を手に入れ、自動券売機できっぷを買い、改札をくぐります(ここは自動改札です)。駅のホームはさくさくの根雪を厚さ2センチほど残して除雪してあります。全部除雪してしまうと氷が張ったりして、かえって滑りやすいのでしょう。特急には一緒に旭川に出るらしい家族連れなどが少し、乗り込んできました。130km/hでぶっ飛ばせる電車特急列車なので、あっという間に深川です。
深川の駅は滝川とどっこいどっこいの規模ですが、ここは駅そばが営業しています。つゆは少し薄目に感じました。駅前通りを少し歩いてみるとローソンがあり、ここで昨日買い損ねた毛糸帽子を発見、即購入します。「深川>仙台」の不等式を証明した気分になって駅に戻ると、駅舎内の空きスペースが地元の物産館になっているのを発見しました。覗いてみるとよくありがちなことですが、製菓業者の工場があるらしく「特産品」としてそばや白樺の木彫りに混ざってカールやうまい棒やインスタントラーメンが並んでいました。こんな街に負けるとは仙台も可哀相です(おまえが勝手に負かしたんやんけ)。それからさきほど入手した道内時刻表の後ろの広告ページをめくって今日の宿と目をつけたところに電話をかけます。そうすると留守電が応答します。…3が日は休業ですって。これは到着してから観光案内所で訊ねろ、ということでしょうか。観光案内所じたい、開いているかどうかも覚束ませんが。仕方なく改札をくぐります。ホームには留萌本線から入ってきたキハ54単行がさっきからずっと停まっていて、それがそのまま旭川まで行きます。車体に派手にラッピングされたサンセット仕様(?)の車両でした。いつのまにか上空はすっかり晴れて日の差し込む車内は暖かく、うつらうつらしていたらいつのまにか神威古潭のトンネルを抜けてもうすぐ旭川というところでした。駅ごとに乗客が乗ってきていて、二重窓がすっかり曇っています。次に乗るのは名寄行の快速なよろ1号です。
駅ビルの土産物屋を冷やかしてから(荷物になるので買いはしません)地下通路をくぐります。10年以上前にカレーを食べた喫茶店は健在でした。量が少なくて後悔したことばかり覚えていたんですけど。改札よりの、特急が発着する一番線は土産物をかかえた旅行者や帰省客でごった返していましたが、なよろ1号の車内は発車時間までに席が8割方埋まる程度でした。名寄までの快速列車は一日4往復で、ほかに稚内まで行く特急が夜行を含めて4往復、もちろん普通列車もあります。過疎が進む沿線のイメージに比べて本数は十分なほど。711系が転がしてある引揚線の脇から一旦高架にかけ上がり、新旭川でまた地上に降りて石北本線を分けると単線になります。ここから宗谷本線はただ一本道、現在はさいはての稚内まで分岐する路線も合流する路線もありません。すぐに北旭川貨物駅の構内が広がります。車窓をかすめていた架線柱もここまで。キハ40の二両編成は雪煙を上げて旭川盆地を爆走しはじめます。ある程度大きな駅である永山の次は通過駅の北永山、次も通過の南比布、そして比布に停車します。快速の通過する小さな駅はなんだか適当な駅名です。駅のつくりも線路脇に土を盛ったり古レールを組んだりしてホームをこしらえただけの簡素なものです。こういう駅は周辺にも特に集落などは見当たらず、付近の農家の通学などの利便のために設けられているもので、昼間や夜間では快速だけでなく普通列車も通過したりします。
比布は旭川からの区間運転の列車が終着になる駅です。ホームには「CMで有名になった駅名です」なんて看板が出ています。このあたりから山が近くなって、塩狩峠への登りにかかります。山腹には小さなスキー場があります。比布の町営スキー場のようです。向かいのボックスのカップルは男の方が彼女を連れての帰省らしく、わあスキー場があるんだあ、という声にあそこは大したことがないだの何だのと説明していました。視線を遮って高速道路が寄り添ってきます。昔の国道も谷底をうねっています。線路は一足先に山肌に取りつき、トンネルなしで塩狩峠を越えるつもりなのです。谷の傾斜はそう急ではなく、標高もそう高くないのに峠へのアプローチが結構長く、トンネルで抜けるなんて芸当がやりにくい峠です。このあたりはひたすらなだらかな阿武隈山地や北上山地を抜ける水郡線や山田線などにちょっと似ています。国道はそのまま谷を突き詰めていくようですが、線路は大きく東側へ迂回し、カーブを繰り返して峠の山々を車窓の右左に揺らしながら高度を稼ぎます。エゾマツの林が山野を覆っています。切り株が差し渡し2メートルほどにもなろうかという雪帽子をかぶっています。伐採が進んでいるところではそういう丸いのがいくつも斜面に乗っています。線路脇の通信柱もお揃いのデザインの雪帽子姿です。空の青と雪の白、木々の黒だけの風景が切り通しに隠されると頭上を遠方信号機が通りすぎていき、すぐに塩狩の駅をゆっくり通過します。ここが峠のサミットになるところで、あとは宗谷本線は幌延付近までの170kmほど、手塩川沿いにゆるやかな谷を下るのです。この駅に停車する普通列車には乗ったことがなく、機会があれば途中下車くらいしてみたいところです。
塩狩の次が非常に寒い駅で、停車駅です。わっ、寒…じゃなくて「和寒」です。寒いから止めろですって。そうですか。小さな駅舎の壁から突き出したストーブの煙突にもつららが下がっているような駅です。車窓から見た街の規模にしては結構な人が乗ってきました。次の停車駅の剣淵、その先の士別でも同じくらい乗車があります。名寄に出る人が使いやすい列車なのでしょう。士別の次は名寄です。士別から二つ先の通過駅の名前は多寄といい、名寄と並べて書くと微妙に紛らわしいものです。このあたりの少し大きな駅(列車交換設備があるような駅)には必ず貨物ホームの跡があって、農業倉庫が並んで建っています。「多寄町農業倉庫」といった色褪せた文字がそんな古い倉庫の漆喰に残っています。やがて到着した名寄の駅は煤けた跨線橋もホームの屋根もそのままでしたが、ここから名寄本線と深名線が分岐していた頃にはあった貨物も含めて多数の車両が駐泊していたであろう広大な駅の側線はすべて銀色に埋もれています。ほとんどの乗客はもちろん改札を出て街へ散らばっていき、今乗ってきた列車は折り返しの旭川行になるので、ホームでは同じくらいの人が列を作っています。ちょっとだけ改札から外に出てみました。以前にこの駅に降りたのは10年以上昔のことですが、乗り換えただけでほとんど何も覚えていません。当時を思い出せるものはもちろん、何一つ見当たりませんでした。
三番線に停車中の稚内行はキハ54の単行です。車内は特急用車両のシートをグレードアップしたときに出たお古の座席に交換されていて、少しだけ背もたれが倒せたりとただのボックスシートなどより格段に座りごこちはいいのですが、元々ボックスシート用だった車内に特急のシートを並べるてしまうと窓割りが大幅にずれてしまうので、場所によっては窓の間に入ってしまって外が見えなくなってしまったりします。ただでさえ北海道用の車両は防寒のために窓が小さいのです。ここからの下り列車は進行方向左側の景色が圧倒的によいので、左側かつ座ったときに窓からちゃんと外が見える席を確保しなければなりません。まあここでいいか、と座ってからあたりを見回すと、そういう席に座っているのはいかにもそういう感じ、という人ばかりでした。席が全部埋まるほどの乗車率で発車です。ここから北へ向かう普通列車は1日5本です。
この列車は稚内まですべての駅に停車しますが、名寄から二つ先の臨時駅の智東だけは冬季、12月1日から2月28日までは休業、ということになっているので停車しません。駅へ続く道が除雪されていないとかいった理由でもあるのでしょうが、周辺に冬季営業休止の観光施設があったりするわけでもなさそうですし、営業している期間だけこの駅を使うというのはどういった状況なのでしょうか。名寄の街はすぐに尽き、林と雪をかぶった畑の向こうを茫漠とした手塩山地が遮っています。山が両側に迫ってくると手塩川が寄り添い、線路はがけっぷちを辿ったりります。カーブの続く先、わずかな平地になると黄色い看板が車窓を流れていきます。停車駅の標識です。前方の線路脇に雪にまみれた台みたいのがあります。近づくとそれが駅のホームであることがわかります。ちゃんと停車位置の標識が立っていて、ホーム上にはほかにワンマン運転時の後方確認用ミラー、駅名標。ホームのスロープの下に倉庫みたいな待合室が傾いています。必要最低限の設備は揃っていて、乗り降りする人だけがいません。たった一両の車外スピーカーが整理券をお取りください、と冷たい大気に向かって喋っています。
美深でまとまった数の降車があります。ここは収支係数日本一を記録して赤字国鉄の代名詞になった美幸線が分岐していたところです。国鉄再建法が可決された当時、日本中の廃止対象国鉄路線の赤字額は合計で年あたり660億、対して当時の東海道本線の赤字額が年間1100億だったそうで、こちらは合理化と利便性の増強によって現在はあっさり黒字に転換しているはずです。廃止対象になった路線にしてみれば「赤字の元凶」などといった謂れは言いがかりも甚だしいことだったわけですが、かといって現在かりに美幸線が残っていたとして、どう頑張ってもやっぱり大赤字を出し続けていたことに変わりはなかったでしょう。宗谷本線からはさきの名寄での深名線、名寄本線、ここでの美幸線のほかにもこの先の音威子府から南稚内までオホーツク海寄りを通る古い鉄道ルートだった天北線、日本海沿いを北上して幌延で合流する羽幌線がそれぞれ接続していましたが、みんな赤字ローカル線として平成に入った頃までには廃止されています。美深駅に入る手前、右側を見ていると雪に覆われた田んぼの中にコンクリートの橋脚と思われる構造物が残っているのが見えます。除雪車の引上線になっている線路が美幸線の名残りだと思われます。
谷が狭くなります。南北に細長い名寄盆地はついに尽き、車窓は手塩川に沿う渓谷の眺めのそれになります。浅く広がる川面に午後の日差しが輝いています。雪も水面も光を反射するものばかりでまぶしく、しかし見上げる空にかかる冬の太陽は緯度が高いことを実感させるようになんだか低くて、すでに黄色味を帯びています。まだ2時前です。木の枝には雪が玉をつくり、アイシングを振りかけたようです。とおくに見える川面が一面に白く覆われている場所を見つけました。川面が凍結しているところです。その上を雪が覆っています。その下の流れに押されているためか氷は波打ち、その上をなだらかに覆う雪のためにシーツにしわが寄ったように見えます。川面は凍結しているところと全くそうでない場所とがありました。どうしてなのかは見ているだけではよくわかりません。駅が近づくと見えてくる民家の数も次第に少なくなり、廃屋が目立つようになります。放棄された牧場のサイロの隣で牛舎だったらしい建物の屋根が雪の重みですっかり落ちてしまったりしていました。咲来というきれいな名前の駅があります。今はただ雪の花だけがまっさかりです。
音威子府到着。ここから分岐していた天北線が廃止になったあとも、駅の規模だけは変わりません。低い太陽はそろそろ山の陰に隠れてしまいそうです。音威子府は林業の街なので駅舎は板目を生かした外装、改札口に入るところにはぶっとい丸太を縦にぶった切って「音威子府」と浮き彫りを施した扁額が掲げてあります。ここは独特の地場の麺を使った駅そばで知られるところですが、この列車の停車時間はわずか5分、一本後の普通列車でも稚内までは行けるのですが、宿がどうなるか(予算内で収まる宿があるかどうか)もよく判らない状況であまり遅くはなりたくありません。泊まる場所がなさそうな場合、一旦名寄まで普通列車で引き返し、名寄から夜行の特急を宿にして朝に稚内に舞い戻るというプランを想定しています。一本遅い列車だと何かあっても名寄まで普通列車で帰るなんて芸当ができなくなり、名寄までを夜行の特急で往復したりするとそもそも宿泊費の予算を大幅に超えてしまうのでできれば避けたいのです。もちろん、この時期に稚内で野宿なんてのは勘弁してほしいものです。一応列車の外に出て、ホームに鎮座している、たぶんSLをモチーフにしたと思われるモニュメントを見ていると駅舎側のホームで待っていた除雪機関車が出ていきました。天北線のホームだった3番線の側にはもう一台、それより小ぶりの除雪車も待機しています。
hizuno@m7.dion.ne.jp Last modified: Wed Aug 20 03:07:29 LMT 2003