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々ゞ仝〃(日記)

2008年03月

符丁 *t *f *r についての説明

符丁 *M についての説明


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2008年3月1日(土) 天気:"Impossible is Nothing"(maybe sic)
When walking through the comme ça ism shop in Q't, am I only the person who feel ashamed because the mis-English catch-copy is imposed a lot in front of one of the most international city in Japan? Only whoes mother tongue is Japanese can understand the nuance of this catch. Conscientious 筑波 civils must call a comme ça ism shop a naked king.
2008年3月2日(日) 天気:???
(I'm writing this article in 3/10)

小学生に鉛筆を使わせていた理由. I agree with this arguement since I am used to non-mechanical pencils rather than the mechanicals, but I'd like to see that a situation might have made pencils best in writing devices, that is, most writing devices invented after pencils might have imitate the good use of pencils. Imitations are worse than the original in general so if no better writing device had invented, the original, i.e. the pencil must be the best in use.

When I was in a high school, I've had wrote my diary in pens first and consequently in ball-point pens with green ink because they're the best in wrinting down what I wished to write some thinking. Pens were the most correspondent device with my finger motion on the diary. A pencil (this word must had come from the word pen) was an alternative of pen, what had a charactersitic feature to be erased by an eraser. So, I must say pencils are the second best writing devices and have a conventional feature that be able to used especially in elementally education.
2008年3月3日(月) 天気:tired in fishing
日記を英語で書き始めた上に休みまくっていたところ覿面にアクセス数が減少しました。あたりまえですって。
2008年3月4日(火) 天気:なんだっけ
仕事が忙しいんでとしおけの練習はパスです。
2008年3月5日(水) 天気:えっと
一日色々と弄りまくります。
2008年3月6日(木) 天気:青空がきれい
やー終わった終わった。

これから過日の日記を埋めます。
2008年3月7日(金) 天気:はれ
まだ変なテンションです。
2008年3月8日(土) 天気:ねむ
春眠暁を覚えず学成り難しの季節です。ねむいねむいです。
2008年3月9日(日) 天気:寝てようび
もやしもんに出てくる菌たちが可愛くって仕方がありません。もやしもんには石川雅之の筆力による物語としての面白さと、例えば自分が10代の昔にブルーバックスを読んでたときに感じていた面白さが同居しています。みんなご覧、こういうありかたが真の啓蒙だよ。
2008年3月10日(月) 天気:よくない
DENONで安く出てる間宮芳生と三善晃と外山雄三のヴァイオリン協奏曲集を聞きました。間宮芳生が江藤俊哉、三善晃が黒沼ユリ子、外山雄三が海野義雄ということでそれぞれ異なる世代の日本人ヴァイオリン奏者を集めたガラコン状態でもあり、そういう意味でも楽しめました。それから、もっとこういう曲たちはじゃんじゃん演奏されていいと思います。ヴァイオリン協奏曲だと別に現代のものに手ぇ出さなくても昔にいい作品がいっぱいあるわけで、ちょっと損してるきがします。これがヴィオラ協奏曲だったら世のアルト記号命な弦楽器奏者が挙って弾きまくったことでしょうが、邦人作品でもあんまりないよな。別宮貞雄と武満徹と最近林光が書いててあと湯浅譲二にもあるのか。無伴奏とか、小さな編成の曲が多いよな。武満も林もオケは弦だけだし。そういえばWikipediaのヴィオラ協奏曲の項でヴィオラはオケに対峙できる独奏楽器としては適してない云々なんて書いてありますけど、ただの迷信ですのでみんな信じないでね。ヴィオラ協奏曲書かせてオケがヴィオラを消してしまうような書き方しかできないのはただの駄目な作曲家です。
2008年3月11日(火) 天気:くも
としおけの選曲会議です。練習期間が多少短いこともあり、大人しい結果になりました。最近弦は人が入れ替わったりしてオケ慣れしてない人も増えてきてたので、基本的な曲やらせてもらいたかったわけです。よかったなってところ。
2008年3月12日(水) 天気:はれ
ダイヤ改正が迫っているので時刻表買わないといけないんですが、今一買う気が起きません。見るだに溜息ついて放り出したくなるような雑誌をわざわざ買う人はいないでしょう?

いつだってそこにあるから趣味の対象になるのに、路傍のインフラにすぎないから興味を持てるのに、「廃止になるから」という消費はブランド品買いあさったりするのとつまり一緒です。鉄道趣味は最近になって世間に認知されてきた、なんて嘘っぱちです。一部の廃止厨的狂騒が相も変らぬ大衆の欲望のコードに取り込まれてるだけです。
2008年3月13日(木) 天気:はれくもり
帰りがけ、閉店間際の西武に寄ったところ特設コーナーに男どもが群れていました。先月沢山チョコ貰った人たちは色々と大変ですねえけけけ。

ゲゲゲの鬼太郎 航空自衛隊機体にデザインだそうですが、南方戦線で敗走してジャングルの中うろうろしてた経験がある水木しげるさんは複雑な気持ちでオファー出したんだろうなあ、と思いました。というところ。今は Defence Force だから別にいいのか。

基本デザインはみんな鬼太郎が乗った一反木綿の図案のようですが、哨戒機に目玉おやじと妖怪アンテナとかいうのも面白いのではなんて思いました。
2008年3月14日(金) 天気:nil
オリンピックを国威高揚に利用しようとか最初に考えたのはナチスドイツでしたが、その次の開催国は日本だったわけです。1940年に東京でやるはずだったオリンピックは結局1964年に実現し、これは日本の戦後復興の象徴として結局、国威高揚の役を果たすことになりました。今年の北京オリンピックが発現している妙な政治臭の遺伝子を組み込んだのは東京オリンピックだったといえる気がします。チベットの暴動のニュースを聞きながらだから日本は今のオリンピックのあり方について責任を持って発言行動すべきだろうと思いました。少なくとも、このままでは私は北京オリンピックを支持できません。
2008年3月15日(土) 天気:週末日和
チベットで暴動が続いているというのに何もやることがない土曜日です。日本国民はそろそろ日本選手団に対して公開質問状を出してもよい頃なのではと思います。なんてこと考えてても仕方がないので都内に遊びに行きます。その途中で守谷でザボンを食べます。すなわち、まず守谷までの切符を買って快速を下りて駅のフードコートに向かい、豚骨ラーメン屋であるザボンでラーメンを頼みます。熊襲つまり熊本人の血を引く私にとって正しいラーメンとはデフォルトで豚骨であり、だからTX開業にともなう守谷駅改築に伴って駅のフードコートに出現した豚骨系九州ラーメン屋であるザボンはすなわち、最も手近に正しいラーメンを食することができるラーメン屋です。検索によると(ぐぐると)ザボンは鹿児島系ということですが、熊本にとってはつまりお隣さんということに過ぎません。熊本ラーメンとの些細な相違については目をつぶって白湯の豚骨のスープを味わっておくのが文明国日本の国民としてのたしなみというもの。

中国が万が一朝鮮半島を伝って九州に侵攻したとしたら熊本ラーメンも迫害を受けてしまうかもしれません、なんて国際問題に牽牛付会してみます。無理やりすぎますって。
2008年3月16日(日) 天気:はれ
中国政府当局がチベットを弾圧しているので大学おけの卒演を聴きにいきました。演目はエローラ交響曲などアジア仏教的な題材も多く手がけた芥川也寸志の初期の代表作である交響三章、12の音すべてを平等に扱うことでいわば音の曼荼羅を西洋音楽において実現した開祖であるシェーンベルクによる、ブラームスのピアノ四重奏第一番の管弦楽編曲版です。こじつけにもほどがある。いや、芥川もそうやるもんじゃないし、シェーンベルクのブラームスのあれなんて生じゃ滅多に聴けるもんじゃないですもの。

ここしばらく卒演を聴きにいけてませんでしたが、なかなかちゃんと仕上げてるので楽しかったです。この頃の芥川は伊福部の影響をもろに受けてる頃でオケも師匠譲りで難しいのかなと思ってたんですが、どうなのかしら。フィナーレの熱の入り方なんてなかなか。いいないいなやりたいなこれ。シェーンベルクのほうもブラームスのごちゃごちゃした室内楽書法をシェーンベルクらしくみっちりオケに置き換えてるさまが生だとよくわかりました。原曲をよく知ってる人であれば二倍楽しめる音楽で、編曲者が実はブラームス大好きだったということがよくわかります。三楽章のぐじゃぐじゃ具合なんてヴァーグナーそのものであることが露呈します。演奏については、終わったあとの聴衆の白熱具合がすべてを物語っていたでしょう。卒演とのことで身内が多かったことをさっぴいたとしても、見たところ半分くらいしか入ってないのにこんな拍手を聴けるとは。これ名曲じゃん何でもっとみんなやらないのよ。ブラームスのオケ曲なんてあらかたやりつくしちゃっててあとは何度もやって掘り下げていくだけだろうと思ってたんですが、一曲増えました。この編曲はシェーンベルクがナチに追われて渡米してたときにお金が欲しくてやった(当時のアメリカの音楽界はヨーロッパと比較して保守的だったわけで、知名度の高いブラームスの曲は商品価値があったのです)というのが真相だと思いますが、もっと沢山の室内楽をオケにアレンジしてくれていたら例えばサヴァリッシュが「何でブラームスの交響曲が4曲しかないんだ」なんてぼやく必要はなかったのかも。楽器法がブラームスらしくないとか何とかはどうでもいいです。ブラームスの管弦楽法だって別に完璧じゃないですし、シェーンベルクの編曲法は音色という点から見れば合理的なものです。

世の中にはこのようにいい曲がいっぱいいっぱいあるので、今年の8月頭はみんなテレビなんて見ずに音楽聴いたり弾いたりしましょうよ。
2008年3月17日(月) 天気:夜に洗濯を
私はこう見えても一応は理系の人間の端くれであって、ある事象について社会がどう思うかより、その事象が科学的にはどう解釈されるかというほうが絶対に正しいと主張するものです。だって、主張と実験結果は異なるものね。主張はけだしその人の主観ですけど、実験結果はその実験手続きが追随可能である限り、つまり同じ条件でいくらでも追試可能である限りにおいて、人を介在しません。つまり客観的です。理系の科学者とは一般にその自然科学的良心に従って、実験結果をもとに自らの主張を、すなわち主観を上書きすることができる人間のことです。この意味において、理系の科学者の自然科学的な主張は主観が実験結果に支配されているので、客観的に正しいわけです。イデオロギに支配された体制側はしばしば自然科学を自らの主義主張のもとに支配しようと試みてきましたが、それは常に自然現象によって否定されてきました。大躍進政策だのルイセンコ学派だのがいい例です。原子力ですら、体制はそれを支配することができませんでした。広島長崎の原爆をはじめ、今日に至るまで起こりつづけている原子力関係の事故事件等はすべて、体制=イデオロギ側が原子力という自然現象を支配できなかったことに起因します。のみならず原子力は「核による抑止力」といった従来のパワーバランスを崩すような新たな視点を国際政治の舞台に齎しました。ここにおいて自然科学は社会に勝ったのです。考えうる最悪の形で、自然科学は人類の頚動脈にナイフを当てることに成功しました。自然科学が正しい、と私が考えるのはつまり、そういう意味においてです。そんな私はたまに自然科学を超越したような意見を垂れ流したりもしますが、その場合、自然科学の下にある社会なんてのは実にどうでもいいです。

まあ、そんな大袈裟な話はともかく、大企業病とマスコミ気質のコラボレーション。という記事が出ています。これは理系の科学者による発言なので、つまり正しいです。「零細企業経営者の闘魂日記」は私は毎日読んでる記事ですが、この日記は理系的な意味において、マスコミのどんな報道より正しいです。自然科学に支配されているあなたはこの記事をよく読んで、理解してね。
2008年3月18日(火) 天気:はれ
としおけの合奏は久々な気がします。白鳥湖を一応通してみたりとか、そろそろ本番に向けてまとめの時期に入ったのだろうというかんじ。Pas de deuxでチェロのトップが肩攣ったりと色々ありましたが、本番までに脱力しておいていただければというところ。弾いてて攣ったのは最近は個人練で3時間弾いてたときくらいかな〜。チェロはうちらヴァイオリンヴィオラと違ってガタイのでかい楽器ですから、筋肉の使い方も少しづつ違うのでしょう。
2008年3月19日(水) 天気:しめ
こういう天気だと、そろそろ春ですねってかんじ。

今更のようにニコ動からようつべに転載された中曽根ティーチャー関連の動画とか眺めていたんですが、こいつら元気だな〜ってかんじ。最近格差社会が云々みたいな言説が流行ってますけど、その言説の文脈でいう下流の人間はこういうパワーを持っています。このパワーは文化的なパワーです。例えば中曽根オフで一番出来がよかったのが京都オフの奴だったんですが(もちろん他のも面白かったですよ?単に出来という観点です)、これは京都が日本で今一番文化的な(そして実は1200年前からそうでした)場所だから、そこに住む人が企画したオフがこれだけクオリティの高いものになっただけのことです。つまり、こうやって街を遊び場にできるのはつまり文化です。秋葉のホコ天でのハレ晴れゲリラダンスも華ちゃんの津田沼での路上ライブも、街が遊び場として機能してるからできることで、それが文化です。そして、その文化の持つパワーは現在の社会体制における「上流階級」が絶対に持てないものです。だって、社会をベクトル空間と考えれば拝金主義は文化と直交するもの。人類が営々と築きあげてきた文化から、現在の日本の都下品川だか麻布だか六本木だかといった極一部の「上流階級の住まう場所」みたいな場所は疎外されていると考えていい。悔しかったら六本木ヒルズで実写版中曽根やってみなさい。ばーかばーかばーか。いくらお金貯めても、それを文化のために使えなかったら人類の歴史に対して無駄なんだからね。より標語的に言おう。文明は文化に奉仕する。そして人間は文化のためにこそ生きている。仕事を金儲け以外に生き甲斐と考えるのも恋人のために死ぬのも暇さえあれば楽器弾いてホモ・キリギリスに進化(たいか)するのも、全部文化です。中曽根オフの参加者は彼らの普段の社会的立場にかかわらず、みんな生き生きとしてるでしょう?たいへんにプリミティブな意味で、文化的です。国連憲章でいう「健康で文化的な」という意味での文化です。

つくばって遊び場にできるような街だと思うんですけどねえ。何故って、文明のおもちゃのような街だから。そんなおもちゃで今度は文化が遊べばいいだけです。そのへんの茗渓生や筑波大生がひとあばれしてくれることに期待したいです。
2008年3月20日(木) 天気:あめ
楽器始めるのがここ数年流行ってるようですが、そこで使われている「レイト」とか「アーリー」とかいう言い方が気に入りません。音楽に対して甘えているようにしか聞こえないからです。

例えば山に登ることを考えます。私の友人(符丁Mでいう鳥坂同級生ですが)みたいに物心ついた頃には北上山地の雪山で親父と別にラッセルしてたような生まれつき山男もいれば、50過ぎてはじめて登山靴履きましたみたいな中高年登山者もいるわけです。そんな中高年登山者が例えばちょっと難しい系の山(谷川岳とか)に初めて登ったらガスって天候が悪化してきました。山は中高年登山者に「初心者だから」手加減すると思いますか?しませんよね。だから山登るというときは初心者といえども最低限の装備はするし無茶はするべきでないし、状況によっては登るのを断念することがあるべきです。それが責任ってものです。翻って楽器始めて人前で何か弾こうというとき、聴く側は「奏者が初心者だから」手加減いや耳加減しますか。ないしはするべきでしょうか。もちろん、今弾いてる人が初心者だと知って聴いてる人は耳加減して聴いてくれるでしょうが、そしてそういう場でそれでもわざわざ聴いてくれる人ってのは大抵奏者側の事情がわかってる人でしょうが、そして奏者側の事情がわかって云々という話は初心者に限りませんが(例えば、今シーズンのチェリビダッケは病み上がりだからとか)、じゃあ例えばその曲を作った当の作曲者は何のためにその曲書いたの。誰か下手糞が弾いて作り笑いとともに拍手してもらって自己満足してもらうために書いたんじゃないでしょう?耳加減して聴いてくれ、と考える態度は音楽に失礼です。

もちろん、どこまですごい演奏をすれば音楽に失礼じゃなくなるかなんて問いには答えがありません。より正確には、失礼じゃない演奏なんて原理的に存在し得ません。「レイト」の人がしばしば憧れるような名曲であればなおさら。ですので、ちゃんと弾けるようになるまで人前で弾くななんて主張するわけではもちろんありません。んなこと言い出したら俺も人前で一音だって音出せないもの。そうじゃなくて、音楽や、楽器で何か表現するってのに憧れて楽器弾いてるんだから、せめてその憧れはいつだって態度で示していて欲しいです。アマチュアならなおのこと。つまり、弾くときに音楽に対して責任を持って欲しいです。「レイト」という言い方はその責任からの逃避に繋がります。だから大嫌い。そもそも「レイト」「アーリー」という言葉で垣根を作ってその中に安住したがるような連中が何がしか上達なんかするものですか。

昨日書いたのと何となく矛盾するような論調ですが、楽器ってのは歴史を引きずってるんです。上に書いた楽器を弾くときの責任というのはたぶんこの歴史に起因します。具体的には、再現芸術は書かれた時と演じられる時とにギャップが、つまり時間差空間差がありますから、奏者はこの差を埋めるために自己の欲求以外の何か(曲とか楽器とか)に対して感情移入しないといけない(それを「憧れ」と書いたのです)。ここに客観性が生じるし、その観点を保つという責任が出てきます。この責任が逆に再現芸術を特徴づけ、再現芸術を文字通り再演し続けることで再帰的発展的に歴史を築いてきたのです。なら即興や偶然性の音楽はその枠内に収まらないだろうって?再現芸術全体という準拠枠からの逸脱と考える限りにおいて、もちろん収まりますよ。即興は「未だないもの」の演奏だし、偶然性は「けして作為し得ないもの」の演奏ですから。
2008年3月21日(金) 天気:*r
アメリカねずみと人間

※わかりにくいかもしれないので元ねた
2008年3月22日(土) 天気:かぜひいた
なのでずっとねてました。
2008年3月23日(日) 天気:はれ
昨日より熱高かったらインフルだなーと思ってたんですが朝計ったらある程度下がってたんでとしおけの練習に。弾いてりゃ治るだろうというわけ。今日は練習場所は並木で、指揮者の都合で午前中だけの練習です。センターからは先に乗車口に回ってきた牛久行に乗ります。それにしても休日のつくばセンターからの並木方面が8;20に2本(荒川沖行と阿見行)、その次が9:10に2本(牛久行と荒川沖行)ってどういうバスダイヤよ。並木住民がクレームつけないのは間違ってると思いながら弾いてましたが血の巡りが悪くて耳が冷たくなるはお腹すいてくるはで。

ふたたび荒川沖からのバスに乗ってセンターで飯食ってから帰ってニュース見てみると荒川沖駅がえらいことになっていてびっくり。最近はたまに通るくらいになってしまいましたが、ひたち野うしくが出来るまで、中学の頃からずっと使いつづけまた庭として遊んでいた愛着のある駅なわけです。こんなことで有名になるなんてがっくりだぜ。さんぱるも可哀想に。あまりにがっくりきたのでそのまま寝ていました←まだ熱があっただけ
2008年3月24日(月) 天気:あめ
五輪の採火式妨害のニュースを見ながら、聖火が中国領内に入ったとたん消えたりしたら面白いだろうなと思いました。スポーツの神よ、おわしますならば是非正義の鉄槌を。
2008年3月25日(火) 天気:はれ *r
雪岳三十六景

※日本統治時代に同じ文字列思いついた人がいたかもしれないけどネットで検索したらなかったんで書いておきます。え何、富士山に対抗するってえなら白頭山に決まってるだろうって上手い駄洒落が思いつかないんですよぅ
2008年3月26日(水) 天気:あつ
桜が咲き始めました。
2008年3月27日(木) 天気:あつあつ
桜が続々と開花中であります。
2008年3月28日(金) 天気:くもりあめ
英国中のパブが財務相を「出入り禁止」へ!?。「財務相が払うべき代償ならば、仕方がない」というコメントが出ているようですが、こういう飄々としたところが英国らしすぎて好きです。
2008年3月29日(土) 天気:はれ
昨晩実家に帰ってたのですが、午後から散歩に出て小さい頃遊んでた界隈の桜を眺めて回ります。近所の公園はみんな満開でしたが、春休みというのにどこの公園でも子供が遊んでませんよ?

夜は誕生会をするというので守谷のドイツレストランに。ソーセージがおいしいお店です。前菜からソーセージ三昧で、お肉づくしです。安いのにいっぱい出てきて満足しました。家に帰ってからまた妹が試しに作ってみたジャマイカ風ケーキまで食べたらお腹いっぱいすぎてなかなか眠れません。味の交響曲ってかんじ。
2008年3月30日(日) 天気:くもりあめ
昨日のお店で前菜にトマトにかりかりベーコン乗せてお酢やバジル振ったのが出てきたのがおいしかったんですが、今朝も早速出てきました。トマトあるときは試してみるといいかも。

朝から谷田部の市民ホールでとしおけの練習なので、実家からそのままみどりのまでTXで。一日みっちりと返し練習です。昼ごはんはちょっと離れたコンビニに行ってみたんですが、市役所の本庁舎はすかいのお弁当屋さんが実はとてもおいしかったらしく、ちょっと失敗しました。今度ここ使うときはご飯はお弁当屋さんにしよう。寒かったんですが、ホールは暖房がボイラなので前日予約しないと駄目だそうで。雪になるとかいう予報だったら入れてもらうことにしてたんですが、実に微妙な気温でした。

市役所で帰りのバス待ってたら雨が降ってきました。旧道をうろうろするつくバスでセンターにつくころには本降り。つくバスも使いではありますけど、北部シャトル以外にも市内拠点間のシャトル便を整備したらいいかなんて思いました。
2008年3月31日(月) 天気:わる
先週末実家に帰っていたとき、父親が岡山駅での突き落とし事件に関連して「電車や乗客に電磁石を装備して電車が停まるまでは乗客と電車を例えばS極同士にして反発しあうようにしておき、ドアが開いたら電車の極性を反転して乗客が自動で吸い込まれるようにしたら安全で便利なのだ」などと喚いていました。確か父親は今度85歳なんですが。けすたはいつもアホなことばかり言っていると思っているそこのあなた、親譲りですので諦めてください。

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