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々ゞ仝〃(日記)

2004年10月


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2004年10月1日(金) 天気:はれはれー *t
線路が冠水してたのであけぼのは5時間50分遅れてやってきました。キャンセルした人が続出したようで長い編成なのにがらがらです。で、新潟で朝のラッシュに巻き込まれたりしたので上野には7時間遅れて到着しました。寝台から眺める高崎線の風景はなかなか新鮮でした。

夜、近所で鮭とばを売ってたので買ってきました。神奈川で作っているもののようですが、あと一息ってかんじ。夏に網走駅のろーそんで買った鮭とばが印象に残っています(妻見のたぐいはコンビニでも地元製品を多く売っています)。製造会社は斜里のあたりだったかしら。鮭と塩以外一切使用せずって奴でした。あれは味があった。
2004年10月2日(土) 天気:はれ *r
ユークリッド「原論」に匹敵するわが国最古の詩で綴られた幾何学の数学書「直線和歌集」
2004年10月3日(日) 天気:あめ *f
美術のテストで「この絵のタイトルを答えよ」とあったのでひねくれて「鬚を剃ったモナリザ」と書いて出したら×を貰った。美術室に抗議にいくと「問題に載せたのはモナリザの現物写真から直接転載したものだから『鬚を伸ばす前のモナリザ』という解答でなければならない」と言われた。まだ返していない分の答案を見せてもらったところ、ただ「モナリザ」とだけ書いた奴は全部×になっていた。

その問題を出した美術教師がトイレでヤニ吸ってた生徒をつまみ出したところを目撃したことがある。「何してたんだ」「いや、小便してただけっすよ」するといきなりぶん殴られる。「何すんだよいってー」「現代美術に小便をかけるなんてけしからん奴だ」。この教師は他にも「ブリューゲルは児童ポルノ」などと喧伝して図書館の画集を閲覧禁止にさせたり、色々大暴れしていた記憶がある。
2004年10月4日(月) 天気:雨 *t
いい加減自分でもどれが嘘でどれが本当かわからなくなってきそうだったので、上の天気を書いている隣に*に続けて符丁をつけることにしました。trueとrotとfalseです。判断基準は*tが「嘘ではないこと」、*rが「ほんとにどうでもいい話」、*fがそれ以外です。
2004年10月5日(火) 天気:あめ *t
メールはmnews+内蔵MHで読んでいます。今日帰ってincしたときの画面です。
origamiorigami2002@yahoo.co.jp
しつこいぞまどか。

喧嘩売ってるのかまどか。それからそうちゃんって誰だよ。
2004年10月6日(水) 天気:はれ *t
某オケはこんどシベリウスの7番をやるんですけど、私がこの曲に対して持っているイメージと他の人のそれとが似たようなものなのかどうか覚束きません。そのことが、こんどやるということに対して不安を抱かせます。もう少し正確に表現すると、私はシベリウスの4番以降のシンフォニーを聞くとたとえば奥日光とか、笹原と土くれたごつごつの登山道の先に延々と連なって果てることをしらない山列を思い浮かべます。私がシベリウスのシンフォニーが好きだというのはつまり、そういう風景が、その風景の中でたった一人いる自分とそれを取りまくどうしようもなく広漠とした風景を思い出させる(私は昔から奥日光に何度か行っていますから)し、そして私はそれが好きだから、というのと同じ意味です。シベリウスの後期をやる、というとき私は、できれば聞く人の心の中に同じ風景が描かれるようであればいいなと思いたいのですが、どうでしょう。あの風景を、その中にいた自分を含んだだだっぴろい世界と同じ風景を自分が好きなものとして心のうちに持っている人はそういないような気がしますし(そうでなければ、私は日常生活においてもっと人と色々な気持ちを共有できているでしょう)、だとしたら他の人はシベリウスの7番のことをどう思っているのでしょう。生で聞いたことも一度しかないし、自分以外の、CDで聞けるザンテルリンクやラトルやベルリン響やバーミンガム市響のメンバーといったはるか遠くにいる人たちではない誰かがこの曲をどう受容しているのかいまいち掴みづらいまま、自分の中でシベリウスの7番の勝手なイメージは好きというベクトルの方向にどんどん増殖していきます。その増殖していった空間は、一般に他の人と共通部分を持つものなのでしょうか。それが気がかりです。
2004年10月7日(木) 天気:はれ *t
「何かを賞賛して大きくなったサイトはいくらでもあるが、何かを批判して大きくなったサイトはない」(赤の7号さまあんよさまから)というのを読んで、批判することを賞賛するようなサイトを作ったらどこまで大きくなれるだろうなどと考えました。
「余計なことを考えて大きくなったサイトはない」(おどりこ)
2004年10月8日(金) 天気:あれ *r
「表紙見て、わかんなかったんだ。ふーん、祐巳さん、その手の本読まないのか」
「その手、って?」
「ちょうどいい。寄り道しよう」
「え?」

「何ぼんやりしているの。都産貿入るの、初めてじゃあるまいし」
「初めてですっ」
2004年10月9日(土) 天気:あめ *t
「白薔薇さまが須加星だったら、多分尊敬します。スケブ頼むかもしれない」とか何とかいいように続けられるので昨日のはどうでもいいんだと思います。

ネクタイピンがクリープ破断(より正確にはバネの力によるものなので、伸びにともなって応力は減少しますが)したので西武のネクタイピン売り場を覗いたのですが、こういうのは男一人で買いにいくもんじゃありませんね。結局買いませんでした。
2004年10月10日(日) 天気:演奏会日和 *t
たまにはあったことをそのまま書いてみますね。アマオケの演奏会当日ってたいていこんな感じです。

0930集合(本当は0945だけどまあ、トップだと雑用も多いのでちょっと早目に行く方がばたばたしなくて済みます)なので8時半ごろに目覚ましをかけてあります。のんびり支度をして、鞄と礼服をかついで0902のバスでセンターまで。もちろん朝ご飯はセンターのろーそんで買うつもりです。ホワイエでむしゃむしゃとおにぎりをついばんでからホールの客席に置きっぱの楽器のケースを開けてアップします。昨日のGP(げねぷろ)は台風のおかげでばたばたしていてアップができず、いきなりたんほいざー弾いたので途中で指がもつれました。今日はちゃんと指をあっためておきます。エキストラ(トラ)で呼んだ二人は今日はホテルから自力で歩いてきていただいたのですが、迷わずに来れたようでもう楽器ケースを店開きしています。そろそろ全員来たかなーとまわりを見回したりしながらふと携帯を見るとパートのMさんからメールが。ちょっと遅れるとのことです。こういうふうに、遅れるときは連絡していただけると助かります。

練習開始(棒降り)は1000です。弦の後ろの方のベタ置きの板を取っ替えたりしていたので少し押しました。ブリッジでフレーズを渡してくれる前のパートがいきなりぼこぼこに崩壊したりしてちょっと焦りました。管楽器はいつものように本番に備えてセーブしています。Mさん来たかなーと時々きょろきょろしながら弾いていたのですが、ふと気がつくと後ろに座っていました。休憩時間に1Fのロビーにコーヒーを買いに行くとベースのいつも来てくれる人(常トラ)が公衆電話コーナーだった(電話は撤去済み)片隅で携帯を弄りながらくつろいでいるので挨拶します。お気に入りの場所なのでしょうか、いっつもそこでくつろいでらっしゃる気がします。交響曲とアンコールに続いて先にたんほいざー、続いてコンチェルトのためにピアノを出します。反響板にスポットが映りこんでなかなかかっこいいです。クリティカルに合わせなければならない所以外では磨き上げられたピアノってきれいだなーなんて思いながらぼけーっと弾いていました。大幅に押して1240ごろにステリハ終了。1330には開場ですし、これからすぐに調律が入るのであわただしく客席の荷物を撤収して控室に放り込みに行きます。たいていのホールはそうなのですが、狭いです。

ろーそんでパン買ってきてホワイエで駄弁りながらつまみます。S夫妻の下のお子さんが絨毯敷きの上をすごい勢いで這いずり回っていたので真似して這いずっていったら同類とかゆわれました。ちっちゃいのに元気なことです。Oさんはあやすつもりか、顔の前で弁当袋の紐をぶらぶらさせてみたりします。猫じゃないんですから(笑)。上のお子さんはすっかりお姉ちゃん気取りでした。トラの人は楽屋の壁をびっしりと埋める演奏家たちのサインを眺めています。そろそろ壁にスペースがなくなってきてるんですがどうするつもりなのでしょうか。おー、バシュメットのがあるなんて話したりします。着替えて袖に楽器を持っていくとまだ調律が続いています。これが終わらないと打楽器やベースはチューニングできませんし、袖でも音は出せません。結局終わったのは開場してしばらく経ってからでした。パートの人たちは奈落に降りる階段の手すりでストレッチなんかしています。上手袖はいつものように山台の板だの目隠板だの昔の村章の描かれたパネル(合併してでかい市になるまではここの所在地は村でした)、ベースのソフトケースなどでたいへん狭いです。1355に一ベルが鳴ります。今日は定時に開演のようです。

いない人は手をあげてくださいなんて冗談を飛ばしながら人数確認してステージに。客席を眺めて、600人くらいかなと思います。それからいつも以上に暑いです(後で聞いたところ、コンディションが変わるので調律を始めた時から空調を切っていたそうです。普段は開演直前まで入れています)。暑い暑いと思いながら暑苦しい男がテーマの曲、たんほいざー終了。セッティング替えがあるのでここで一旦袖に捌けます。ピアノ出しはすぐ終わったようで、トラの人と楽器の話で盛り上がりかけたところでまたステージに逆戻り。ピアノの反響板には何度も出し入れしたおかげで手形がついています。子供の手形がびっしりついていたりしたら怪談のネタになるのになどとどうでもいいことを考えながらラフマニノフの協奏曲。楽器の上を汗が流れていきます。あまりよろしくありません。リトルネッロ形式(合奏部と独奏部が交互に現れる、バロック時代の合奏協奏曲で成立した協奏曲の基本的なフォーマット)というのが存在してよかったと思いながらピアノがひとりでじゃんじゃん鳴ってる時にいい加減湿っぽくなってきたハンカチでぬぐいます。こう暑いと譜面台にハンカチをひっかけて干せばすぐ乾きそうですが、本番でやるわけにもいきません。

何か終わった気分だねーなんて言いながら休憩時間。時計を見るともう1500です。ばらしが慌ただしくなりそうだと思います。ピアノを仕舞い終わった頃合いに一旦舞台に出て自分のパートのセッティングを確認しておきます。メインは悲愴です。これもまた暑い曲だわな。借り物の弓でグリップの皮が硬すぎ、汗でつるつる滑るので弾きにくいです。二楽章の中間部はステリハの方がテンポ的によかった(耳かき一杯分くらいの違いですけど)と思ったので、コーダで中間部がわずかにリフレインするところ、一瞬だけうちのパートで決められるところをピンポイントで狙ってテンポをわずかに修正させていただきました。みんなついてきてくれたのでいい感じに。うぴぴ。残りの楽章もアンコールもつつがなく終了。そうそう、一パターン計二ヶ所だけ確信犯で一人だけボーイング変えて弾いたんですけどみんな気づいたかしら(後ろや全体の音楽に影響するような場所ではありません)。より具体的には「ソロ曲だったらそういうボーイング(というか、奏法)にするよね」という所。ウィーン・フィルとか見てるとたまにトップだけ遊んでたりしますよね。終演時点では客席は700人入ったかな、という程度になっていました。受付によれば705人だったようです。できれば800人くらいにしたいものです。

トラの人におつかれさまを言ってから着替えてすぐばらしに加わります。袖で回収した楽譜をまとめてからばたばたと片づけに加わると20分くらいで済み、1630にはほぼ舞台は撤収できました。回収した譜面と楽器が増えて朝より大荷物になってしまいましたがホワイエに上がるともうトラの人は帰ってしまったようでした。知り合いに挨拶しながらこちらも荷物を置きにバスで戻ります。打ち上げ会場まではいつものように自転車で行くつもりです。相変わらず曇天で、部屋のカーテンを閉めているともう薄暗いです。雲は厚いようです。シャツを替えて、パートの人に分けようといただいたケーキの箱を鞄に入れてふたたび家を出ます(すみません、結局分けるの忘れました)。いつも会場が開くまでロビーで屯ろすることになるのですが、疲れて寝ている人も。隣では会計さんが慌ただしく作業をしています。会場は業者さんが変わったようで、以前とメニューが違っていました。おいしくなったと評判だったようですが喋ってばかりいたらほとんど食べれませんでした。いや、ひとしきりしゃべり終わってさあ食べようとしたら誰かのスピーチになってしまったりするので。そんな間を縫ってぼそぼそと隅でどこがどうだったのなんだのと真面目な話をしたりもします。パートの人たちは阪神のネタで盛り上がっています。

お開きになったあとやっと指揮者とお話をして(話そうにも誰かしらと喋ってらっしゃったので捕まえられなかったのです)、出口でまた少し駄弁ってから戻ります。疲れたので着替えてそのまま横になり、目が覚めたら日付がかわっていました。
2004年10月11日(月) 天気:くもり *t
あんまりぱっとしなかったので午後からぶらっと大洗鹿島線で出かけてJRバス霞ヶ浦南線で戻ってきてみました。国鉄時代からの伝統ある路線でしたが、南半分の江戸崎〜幸田〜佐原間は近年廃止され、地元で新たに設立されたバス会社に移管されています。佐原の駅前はデパートが軒並み撤退してさびれ放題、休日の午後なのに書店すら営業していません。対して国道沿いの大規模量販店はどこからこんなに車が湧いて出たのよというありさま。最寄りのバス停からは買い物帰りの中学生が袋を下げて乗ってきました。土浦まで延々とそんな風景が続くわけです。もっとも、途中で夜になってしまいましたけど。
2004年10月12日(火) 天気:あめ *f
中学のクラスメートだった酒池君のあだ名は「にくりん」だった。
2004年10月13日(水) 天気:くもり *t
仕事の書き物をしていたのですが、同時に仕上げていた10日の分の日記の方が書き上げた文字数が多かったです。
2004年10月14日(木) 天気:くもり *t
近所の石丸でワゴンセールやってて輸入盤が780円だったんでがさがさ買ってきました。ブルグハウザー(ドヴォルザーク研究家としてしか知りませんでしたが)の作品集とかアコーディオンとトロンボーンによるケージとフレスコバルディのアルバムとかヘンなのを集めたい時にはワゴンセール安売りは適しています。もちろんクーベリックのマラ7(もちろんバイエルンでのライブ)とかちゃんとした曲(してんのか)も買ってきます。フルトヴェングラーがマーラー振ったらこうなるだろうという感じ。いやぁ面白いわこれ。
2004年10月15日(金) 天気:はれ *t
CDをーくまんを買ってきました。以前に使っていたCDらじかせが壊れ、かわりに実家からがめてきたらこれがえらくちゃちな代物でホワイトノイズが気になり、ためにずっとCDはぱそこんで聞いてたのです。ぱそこんだって無音じゃないし実質CDDA復号するだけのために使うのも勿体ないしコンポやらじかせは置く場所ないしある程度のものでないとスピーカー出力が満足できないどうせヘッドホンで聞くことが多いんだしをーくまんなら最低ラインでも音がひどすぎることはないし、というだけの理由。持ち歩くわけではなく、家で使うためのものです。箱を開けてみると昔カセットのをーくまん買ったときよりあれに注意しろこれに注意しろという文言が目だつ気がします。

で、さっそくワゴンセール崩しの続き。ブロードサイド・バンドによるジョン・ゲイの有名な「乞食オペラ」の曲。ブレヒト/ヴァイルの「三文オペラ」に対してインスピレーションを与えたことでも知られています。イギリスくさいです。あー、このグリーンスリーブスいいなあ。続いてゲッティンゲン響によるフランセの「ヨハネによる黙示録」。作曲者(1912-1997)が亡くなる直前に録音されたもののようです。なんか、自分ってただ単にオケだの合唱だのがぐわーって鳴ってるのが好きなだけなんじゃないかって気がしてきた。別にいいんですが、なんかテノールの音程がぶら下がってる気がする。
2004年10月16日(土) 天気:くもり
洗濯したのに乾きません。
2004年10月17日(日) 天気:はれ
米民主主義の評価2分 10カ国世論調査という記事に結果の棒グラフが載っていますが、「大いにそう思う」乃至「まったくそう思わない」の割合がない/少ないのはロシアと日本と韓国でした。ロシアでは「大いに」/「全く」の結果じたいが出ていませんが、これは各国新聞社が共同で行った世論調査で、ロシアでの質問が「肯定」「否定」のニ択であったとのことですので除外して考えると、なんというか、東アジアだなあというところでしょうか。台湾で同じことやったらどうなるのか少し興味があります。
2004年10月18日(月) 天気:はれ
20の質問でそれが何かを当てる20Q.netというのがあります。当たります。証拠 こんな質問と回答でした
2004年10月19日(火) 天気:あめ
昨日は5070系電車最後の日(写真は17日のさよなら臨時列車のものです。左側に5182とある車両です)でした。

5000系列と3000系列しか走ってなかったつりかけ天国の時代がまだほんのちょっと前みたいに思います。小さい頃は電車っていうのはやかましい音を立てて停車時にはブレーキが焼けるきなくさいにおいがあたりに立ちこめるものだと思い込んでいました。まだ柏に貨物用の側線と国鉄との渡り線があって、野田市駅は醤油くさくて貨車がごろごろしていた時分です。夏場などは当時たまに入っていた8000系4連(20m車x4)と3000系6連(18m車x6)のどっちがいいかなんて思っていました(8000系はクーラーがあるけど編成が短いぶん混みます)。高校生の頃は予習の途中で机につっぷしてうたた寝していると始発電車の音が聞こえてきて朝がきたのに気づいたりもしていました。増発用に元日比谷線直通車を改造した2080系が登場したときはあまりの加速のよさに柏発車時にみんなよろけていました。私もよろけてたので間違いないです。野田線が地下鉄なみに急発進することがあるなんて乗客は思ってもなかったんですね。個人的には好きな車両だったんですが、18m車ということで18m級車両の野田線撤退と同時に廃車されてしまったのはちょっと勿体ない気がしました。それからしばらくはまさに5000系の天下でした。

後年までつりかけ電車を作りつづけた東武のいわば負の遺産のひとつだったわけですが、いつも使っている側からすればそんなことはどうでもいいわけで。実家にいてもあの独特のうなりはもう聞こえてこないのだと思うと寂しいかぎりです。
2004年10月20日(水) 天気:あめ
『世界の中心で、金を稼ぐ!』とかいうサブジェクトのSPAMが来ました。世界の中心とかゆわれるとどうしても米国会議事堂のロビーあたりでしょうかって思ってしまいます。きっとイラクの油田で一儲けしましょうというメールなんでしょう。保険がおりない場所のようなんで遠慮しておきます。
2004年10月21日(木) 天気:くもり
ぱっとしない天気の日はネタもないものです。
2004年10月22日(金) 天気:はれ
なんだか寒いです。土日の予定が開いたのと、いまひとつ秋を満喫できていない気がするのとで土・日きっぷを買ってきましたが、エリアが微妙ですね…。ほんとうは夜中しか乗ったことがない釜石線とか、冬しか通ったことがない北上線とか、くりはら田園鉄道や秋田内陸縦貫鉄道再訪も果たしたいんですが、みんなエリア外です。いまいちだなーと思っているうちに只見線下り最終から直江津まで乗り継ぐと上りの能登に間に合うのを発見しました。能登は乗ったことがありません。日曜早朝に上野に戻ってきて、それからどうするかは後で考えることにします。
2004年10月23日(土) 天気:くもりとかにわかあめとかどこまでも高い空とか
つくばセンター―東京―長野―直江津―新津―会津若松―小出―(長岡―あるいはほくほく線経由でそのまま)直江津―(翌朝上野か大宮)。

…の、つもりでした。

始発のバスで出て始発の下りあさまに乗ります。あさまの発車時間までは余裕があるのでバスは上野ではなくて東京まで乗ります。高崎―長野間の新幹線に乗るとJR東日本の旅客営業路線は全部乗ったことになります(在来線は3月に田沢湖線で完乗済み。山形新幹線などの新在直通は全部は乗ってないけど、とりあえずカウントしません)。ますます俗悪になった感のある早朝の軽井沢を越え、信州は山がけわしいと思っているうちに長野です。雲が多いです。ここで新幹線から降りるのはもちろん始めてですが、乗り換え口から在来線に入ってしまえば勝手知ったもんです。そういえば長野到着時に放送で長野電鉄の乗り換え案内をさらっと流していましたが、「地下の長野電鉄のりばから発車です」という案内だけですぐに行ける人はあまりいないのではないかしら。

直江津まで乗る列車には「妙高」という愛称名がついています。以前在来線の「あさま」で使っていた特急車両が新幹線開業で剰ったのをそのまま使っていて指定席車両もついていますが、各駅どまりです(「快速」ですらありません)。多少くたびれたリクライニングシートに隣の駅まで乗る高校生がふんぞりかえっていたりもします。豊野を過ぎると妙高山などから連なる山越えにかかります。今年さんざっぱら来襲した台風のおかげで徐行区間が多いです。さっきの豊野からは信濃川沿いのローカル線である飯山線が分岐していますが、こちらはまだ運休が続いています。豊野を出てすぐ信濃川沿いの断崖絶壁を桟道のようにして抜ける場所があり、そこが今もヤバいのでしょう。妙高山も何んにも見えないまま県境を越えて高田平野への下りにかかります。途中に二本木というスイッチバックの駅があるのが見所でしょうか。特急車両で律義にスイッチバックする小駅というのも乙なものです。車窓は雨模様です。徐行のおかげで少し遅れて直江津到着。高田あたりからは短距離利用の乗客が乗ってきてそれなりに混雑しました。

直江津で乗り継ぐのは新潟行の快速「みのり」です。さっき通った新井(二本木の一つ先の駅)始発の列車で、直江津で「妙高」を待つためにしばらく停車するダイヤになっています。「妙高」が遅れたので少し発車が押しました。こちらも以前は上越と新潟をむすぶ特急だったのが快速に格下げになった列車で、車両もやはり特急車両のままです。特急乗り放題の土日きっぷで特急格下げの列車にばかり乗るのは18きっぷ愛好家としては二重の倒錯なんでしょうか。柿崎からは冬はさびしくなるはずの海岸風景を眺めることになります。向うの席に乗ってきた子供が列車発車と同時に飛び立ったとんびを見て「新しいカラスだ!」なんて叫んでいます。ポケモンか何かと勘違いしているのかもしれません。柏崎からはいっつも混むなーと思いながら(この列車は前にも乗ったことがあるので。特急だったらこんなに利用率は高かったでしょうか)細長い越後平野を抜け、離れてゆく新幹線の高架を二階建ての新幹線車両が追い越していくのを眺めます。田んぼにはあちこちひこばえが伸びていて(夏の豪雨の影響で青田刈りされた跡なのかもしれません)、籾殻が袋詰めされて畦に積んであります。通路に立ちならぶ乗客をかきわけて新津で下車。以前はいかにも汽車駅という風情でしたが、どこにでもあるような橋上駅に改装されています。

磐越西線の二両編成の会津若松行は後のボックスシートの車両の席は埋まっていました。すぐ先の五泉で降りる乗客が多いはずなので(この列車も数年前に乗ったことがあります)、先頭の全部ロングシートに改装された車両でしばらく過ごし、頃合をみはからって空いたボックスに席を移ります。新津で買った駅弁を広げるとイクラだの鰊の甘露煮だの芋の煮っ転がしだの、沿線の風物をとりあえず詰め込んでみましたという感じでとりとめがありません。五泉の先、馬下を過ぎると線路は阿賀野川に張りつきます。両岸が切り立った谷底を濁流が川幅いっぱいに流れています。好きな車窓風景なのですが、昨晩帰るのからして遅かったくせに今朝は早立ちで眠いです。ディーゼルエンジンとレールの音を子守歌にしばらく寝ます。うつらうつらしているうちに三川、野沢、山都と過ぎて喜多方に到着し、観光客を含め沢山の人が乗ってきました。もう会津盆地です。盆地のはずれに猫魔岳、終着の会津若松が近づくにつれ磐梯山がそれに取ってかわります。会津若松の駅は郡山方面からと新津方面からの線路が同方向に合流する形になっていて(磐越西線じたいがスイッチバックしていることになります)、駅に進入しようとするところで郡山からの快速列車が近付いてきてしばらく並走しました。二列車が同時に到着した会津若松駅はかなりごったがえしています。

次に乗るつもりの只見線の小出行まではあと3時間以上あります。どこか途中で時間を潰すつもりで結局会津若松まで来てしまいましたが、お金を下ろしたりもしたいし、ついでなので鶴ヶ城まで往復したりできそうです。会津若松の駅から出るのは実は始めてです。たしか駅は若松の街の北の外れにあったはずなので、東に向いた駅からすぐの通りを右手に歩いていきます。細い二車線道路に「駅前商店街」と書かれたすずらん灯が並んでいます。たしかに商店は割と多いのですが、骨董品屋だのジャズ喫茶だのあまり日常的ではない店が並んでいて当座の目的である銀行が見あたりません。ぱっと見たところ駅にもなかったし(これは間違いで、あとでよく見たら片隅にATMの出張所がありました)、改札の前にクレジットカード専用のキャッシュコーナーがあったばかりです。もしかしたらこの街には銀行なんてないんじゃないだろうか、店ではまだみんな藩札とか小判とか寛永通宝とか使ってるんじゃないだろうかと思いながら相当歩いたところでやっと信用金庫を見つけました。お金を下ろしてからどうしようかと思っていると、すぐ先から折れた路地の一本向こうになんか大きめの通りらしきものが見えるじゃありませんか。そちらの通りに出てみるとまあなんとチェーン店のファーストフードはあるは銀行はあるは、こっちがメーンストリートだったようです。

歩くとじきににぎわっているアーケード街になりましたが、その先は向こうに低い山が見えているがらんとしたただの大通りになってしまい、ちょうど道路が拡張工事中なためもあってすっかり場末の風情です。本当にこっちでよかったのかなと携帯で場所を確認し、まだしばらく歩くとやっとお堀と石垣が見えてきました。城内へと続く道の交差点も民家を改造した喫茶店みたいのがあるだけの住宅地で、観光地というには殺風景です。お堀にいる鯉をでかいなーと眺めていると、細い道の向こう側からマイクロバスだの自家用車だのが連なってお城の方に登っていきました。今入ってきたところは裏道だったようです。色づきはじめた木々が古い石垣に映えてなかなかきれいです。はたして城内はツアーや家族連れ、グループ旅行などの人々でかなりの人出でした。正面に復元された天守閣があります。中は熊本なんかと同じで資料館になっているようです。本丸の対面には雅な土塀で囲った一角があり、ここはお茶室があるエリアでお点前一回いくら、と看板が出ています。通路の脇には会津菊の展示会のテントが続いています。お武家さんっていうと菊が好きだねぇと思います(熊本城でもよく菊の展示会をやっている)。少し疲れていて気力がなかったのと、そう時間があるわけでもなかったのとで中にはいるのは止めました。さっきの大通りまで下り、こんどはバスで駅まで戻ります。茨城交通の路線バスと見間違えそうな会津バスがやってきました。前面の行先幕のまわりが赤く塗られている以外は塗装がそっくりです。

只見線の小出行最終はあたりが薄暗くなった頃に発車しました。二両編成の列車は発車までに高校生で満席程度になりました。七日町、西若松と学生がわらわら乗り込んできます。会津若松から乗っている連中はとっくみあいをする、他人の頭上をかすめてモノを投げる、窓からゴミを捨てるなどまるで幼稚園児のようです。一般の客がふだんほとんどおらず、人の目がないということもあるのでしょうが、日本が滅びてもおかしくないわと思っていると車掌が通りがかり、シートの上に泥足を乗せてるのを怒鳴りつけたりしていました。そんな喧噪も会津高田、会津坂下とどんどん減り、ボックスに二名程度になります。会津坂本という駅に止まります。時刻はちょうど6時を回ったところ。窓の外は遠くに道路の交差点の明かりが見えるだけのぬばたまの闇で、それでも何人かが降りました。気がつくと車体がゆらゆら揺れています。洗濯物が偏って回らなくなってしまった脱水槽みたいな揺れ方です。ディーゼルエンジンの推進軸でもぶれてるのかと一瞬思いましたが、向こうのボックスで女子高生が「地震かなあ」なんて言っています。

車掌がホームを走り回っているのが見え、すぐに「ただいま地震があったもようです…」と放送がありました。列車無線で確認でもしたのでしょう。今年は雨も多かったですし、ちょっと大きな地震だと石が落ちたり崖が崩れたりしてそうです。「安全が確認できるまでしばらく停車します」とすぐまた放送が入り、ドアが閉まります(日が沈んでもう寒くなっていました)。携帯で家に電話してる子もいます。「今坂本だから迎えに来て」なんて言ってます。せっかちなのかもしれません。こちらも携帯片手にデッキに出てEZWebに繋ごうとしますがアンテナがなかなか立ちません。向こうの道路は国道のようなのでエリア内だと思うんですが、この列車でau使いが多いのか。入っていた音楽関係の留守電を聞いたりしているとまたゆらゆら車両が揺れはじめます。台車が空気バネの車両(雪が多い地方では、普通のコイルバネだと雪が付着して利かなくなってしまいます。ローカル線の貧弱なレールでもおかげで乗り心地はいいです)なのでゆうら、ゆうらという感じです。駅前の民家に明かりがともり、台所で夕食の支度がはじまりました。「お客さまのお呼び出しを申し上げます…」という放送が入りました。ドアが一旦開き、さっき家に電話してた子がホームを走っていきます。

30分ちかく経ってから「安全が確認できましたので徐行で発車いたします」との放送に続いて列車は動き出しました。こういう場合は保線区のある駅から車で係員が飛んできて、前面監視しながら徐行運転することが多いように思います。駅に車が到着したようには見えませんでしたが、とにかくちんたらと走って次の駅、会津盆地のはずれの街である、会津柳津着。このあたりから線路は山ん中にわけ入り、只見川の谷沿いを辿ることになります。もちろん車窓は真っ暗で、駅でないところではときおり自動車が走ってゆくライトが見えるばかりです。また放送があります。何分遅れているという案内につづいて「只見から先へお越しの方は車掌にお知らせ下さい」と言います。すぐに車掌がやってきました。もう車内はがらがらですし、ここから乗り通す客もほとんどいないのでしょう。申告すると「只見から先の運行予定は未定だが、とにかく徐行して行くので何時間かかるかわからない」ということでした。地震は新潟の方であったらしいです。状況がはっきりしたらまた教えてくれるとのことでした。EZWebでニュースを見ようとしますが、走っている場所が場所なだけに全然繋がりません。たまにアンテナが立ったと思ったらトンネルに入ってしまったりします。電池も目に見えて減ってきます。「新潟で震度六強」というヘッドラインが取得できたのを最後にぱったりと圏外になってしまいました。ちゃんと電波が入りそうなのはこの先、町役場などがある会津川口駅周辺です。

トンネルの闇と夜の闇を交互に眺めているうち「大白川〜小出間は運転見合わせします」と放送がありました。大白川は只見の二つ先、新潟県側の最初の駅です。また車掌がやってきました。
「どうなりましたか」
「お客さん、川口で若松までの列車と行き違いますんで、急ぎでなければ戻られたほうがいいですよ」と言います。もちろん急ぎでも何でもないです。
「もし行かれたとしても、只見から先も徐行しますんで、うーん、そうだな、大白川まで2時間はかかるかな。で、そっから先は全然わかりません」只見から大白川までは福島と新潟の県境を越える峠越えの区間で、平行する国道も冬には通行止めになるほどの豪雪かつ無人地帯です。超のつくローカル線、只見線が廃止されないのも、冬場には同区間で鉄道が唯一の交通手段になってしまうことが大きな理由です。無理に先を急いで深夜にそんなところに放り出されてもどうしようもありませんし、もちろん戻ることにします。
「新潟は大分ひどいみたいです」と言って車掌は戻っていきました。気になるのですがラジオも持ってきてないので文字通り全く情報が入りません。

時刻表を開くと会津川口で交換する列車は会津若松ですぐに郡山行の最終、郡山から最終の東京行新幹線に接続しています。磐越西線が待っていてくれても郡山からの新幹線は多分行ってしまうでしょう。会津若松と郡山とどっちに泊まろうかなんて考えていると只見川に設けられた細長いダム湖のほとりにある会津川口の駅が見えてきました。線路がダム湖側にカーヴしているので遠くからもよく見えるのです。山に抱かれた駅と市街とダム湖をセットにしてよく風景写真に収められています。交換列車が遅れていたら待合室でテレビを見れるなと思ったのですが、ホームにはもう二ツ目の列車のライトがこちらを向いて光っていました。乗り換えた車内はやっぱりがらがらです。携帯を出すと今度はつながりました。「上越新幹線が脱線」というニュースに慄然とします。地震発生の時間からすると最初の地震は乗っていた列車は走行中だったようで、坂本で揺れていたのは二度目と三度目の奴だったようです。真っ暗な車窓を見ていても仕方ないので、若松で買ってあったカップ酒の封を切り、ボックスを占拠して横になります。40分遅れで会津若松に戻ってきました。駅構内には他にもう列車の影もありませんでしたが、最終の郡山行はまだ到着していないとのこと。郡山に到着するのはもう深夜になることが予想されますが、若松の中心街はもちろん駅から離れているので歩いて宿を探すのは面倒です。郡山なら駅前にホテルだの繁華街だのがあるので先へ行くことにし、駅のコンビニでカップ焼きそばを買ってお湯を入れていると列車が到着した音が聞こえてきました。輪をかけてがらんがらんの車内で焼きそばをすすってまた寝ます。途中、安積盆地に下る途中の沼上信号場で下り列車と交換のためしばらく止まったりしたほかは坦々と走り、1時間以上遅れて郡山着。

ポン引きのわらわらいる繁華街を抜けたりしながらビジネスホテルを見つけ、旅装を解くのもそこそこにテレビをつけます。柏崎から長岡、三条にかけては昼前に通ったところで、今ごろは川口(只見線の会津川口ではなく、上越線だと越後川口という駅になります)や小千谷を通ってまた直江津に舞い戻っているつもりだったのです。家が潰れています。道路が崩壊しています。住民が学校に避難しているのが映し出されています。列車も高速も全部止まっていると報道されています。「みのり」の車内で前の席にいたじいちゃんばあちゃんの一団は新潟市内に同窓会か何かの集まりに行くようでしたが、彼らは帰れたのでしょうか。新しいカラスとか言っていた子は地震が起きたときどこにいたのでしょう。新幹線が脱線したのは宮内駅から家々の甍越しにちらりと高架が見えたあたりと思われますが、ヘリコプターによる映像ではあたりは全部真っ暗、完全に停電しているようです。ほかにも新幹線が何本か立ち往生しているようです。土日きっぷで乗っていた人も多いのでしょう。関越道は何度も通りました。数年前の夏に友人と突発的に新潟に遊びに行ったとき、小千谷のあたりで田んぼの中をあまりにも真っ直ぐ貫く高速を走りながら「角栄が赤鉛筆で引いたとおりのルートだろう」と話したりしました。疲れているのにさっき車内で寝てしまったせいか寝付けず、ずっと同じような報道を繰り返すテレビを小さな音でつけっぱなしにしていました。たまにチャンネルを変えると民放は特番から通常の深夜番組に戻っています。災害報道に飽きた人はいつものようにこちらを見ているのだろうと思います。タレントの笑い声にかぶさって余震があったとのテロップが流れます。明日はどうしようなどと思いながら余っていたカップ酒を開けて寝ることにしました。
2004年10月24日(日) 天気:はれ
目が覚めると九時を回っていました。朝寝をむさぼりたい気分ですが、チェックアウトが11時なのでそろそろ起きないといけません。テレビをつけます。それなりの時間になってしまっていますし、報道特番を見ているうちになんかもうそのまま帰りたくなりましたが、とりあえず駅まで行けば頭も働いてくるだろうとゆっくり支度をしてチェックアウトします。駅は目の前なんですけどね。磐越東線にでも乗ってゆっくり戻るかと発車時刻案内を見るとしばらく列車がありません。少し待てば下りの山形行「つばさ」があるようなので、駅そばをすすってから山形鉄道に乗りに行くことにしました。昭和のおわりに国鉄長井線から転換された置賜盆地を坦々と走る第三セクターで、9月に公開された邦画の舞台になった路線です。

山形行の新在直通特急は在来線と同じ車体規格の7両編成の電車で、福島までは仙台行の8両編成の新幹線と併結運転です。自由席は前の方2両です。椅子も通常の新幹線車両が2+3列なのにこちらはもちろん2+2列であり、車体も短いぶん「はやて」などと比べると一両あたり2/3くらいの座席定員です。いっつも混むのは知っていたのですがやっぱり混んでいます。椅子の耳に把手がついているのが救いでしょうか。在来線部分、特に板谷峠を越える区間はカーブのオンパレードなので、立客にはありがたいんです。できれば吊革にロングシートに4扉くらいにしていただけるともっとありがたかったです。編成を伸ばしていただけるともっともっとありがたいんですが、併結運転している以上これ以上長くすると新幹線駅ではホームをはみ出してしまうでしょう。後ろにくっついている仙台行みたいにオール二階建てにしたら車体が重くなって板谷峠を登れないかなんて考えていると福島でさらに乗ってきます。後ろの仙台行から乗り移ってきたというわけではなく、到着するときにすでにホームに行列ができていました。満員の乗客を乗せて紅葉の始まる板谷峠をゆっくりと越えます。米沢で相当な人数が降り、席が空きました。降りる予定の赤湯まではもうすぐなんですけどね。

JRの赤湯駅は新幹線開通と同時にモダンな建物に改築されていますが、山形鉄道の駅舎は線路を挟んで反対側にあるログハウス風の建物です。が、そちらまでは行かずにそのまま跨線橋を渡って停まっている一両のディーゼルカーに乗り込んでみます。車両はごく一般的なトイレつき大型レールバスタイプで、特筆すべきことは車両にアクセスポイントを搭載しており、無料の無線LANサービスが使えることです。モバイル機器を持ってきていないのでもちろん試せませんが、山形新幹線に乗っていてインターネットしたくなったら赤湯で降りてディーゼルカーに乗り換えるのがよいでしょう。新幹線からは数名が乗り換え、ボックスあたり一人二人いるかという程度で発車します。すぐに南陽市役所という駅があります。ホームと反対側に赤湯駅の遠方信号機が立っています。

次は宮内という交換可能駅です。赤湯と並んで南陽市の中心をなす市街があります。たくさんの高校生が乗ってきて車内はにわかに賑わしくなりました。空いていた反対側のボックスにも女子高生三人組がどすんどすんと収まるなり「ねーねーお昼何にする?」「あたしそーめんがいいっ」「お前そーめん好きだな」「そーめん、いーじゃん」「最近そーめんばっか食ってんじゃん」「だって好きだもん」とか喚いています。誰かの家で飯でも食うつもりなのでしょうか。汗ばむほどではないもののいい陽気で、確かにそーめんは悪くないでしょう。面白いので眺めていると文化祭の打ち合わせなどが始まります。吹奏楽部の子らしく、鞄から楽譜が出てきます。トマジのアンサンブル曲みたいです。そんなもんをここで見ることになるとは思いませんでした。古くからの駅舎が残る無人駅ごとにぼちぼちと高校生が降り、左側からJR米坂線が合流してきて今泉着。ここで列車交換と下り米坂線の接続待ちを行います。米坂線と長井線は奥羽本線の米沢と赤湯からそれぞれ分岐して今泉で一旦接続し、あらためて新潟県の坂町と最上川沿いの荒砥をめざしています。変わったルートですが、車内のトイレの前に沿革をまとめたパネルがあり、それによると長井線のほうが歴史は古いようです。米坂、山形鉄道両方に長い島式ホームが目立ちますが、屋根のある場所以外はもう草ぼうぼうです。ホーム上にはジュースの自販機もありますが、駅前にはなにもなさそうです。

10分ほど停車するとのことでにぎやかな車内を離れ、草ぼうぼうのホームの外れで写真を撮っていると米坂線が遅れていると構内放送が入りました。「ただいま、羽前小松駅を発車しております」などと言います。二つ米沢寄りの駅だったと思います。放送は続きます。「…なお、本日の米坂線、乗車率が…あー、ひゃくきゅうじゅっぱーせんとなっております。えー、乗車率が190%ほどとなっております。混雑しておりますので、ご乗車されましたら中の方までお詰め下さい…」それで気づきました。さっきの米沢までの「つばさ」の混雑はほんとうは新潟へ向かう人たちだったのです。そこからは一日5往復のこれまた超ローカル線が今日は(磐越西線や越後線が復旧しないかぎり)新潟へのメーンルートなわけです。その中にまぎれこんで悪いことしたなと思いましたが、やがて草ぼうぼうの向こうから坂町行の二両編成がやってきました。見ると満員です。せめてあと一両増結してやれよと思いましたが、地震でそんな余裕もないのかもしれません。車内に戻ると高校生たちも「混んでるねー」とか眺めています。坂町行が発車すると運転手が「米坂線がこの先の鉄橋を通過してから発車いたします」と放送します。今泉駅から線路は一旦単線で出発して白川という川を鉄橋で渡り、その先で二手に分岐するようになっています。おたがいローカル線ゆえ、鉄橋を共用にして建設費をけちったわけです。以前は鉄橋の先の分岐点が独立した信号場だったようですが、今はそこまでが今泉駅構内になっています。やがて坂町行が鉄橋を越えたらしく、こちらの出発信号も青になりました。

分岐点を越えると線路は北を目指します。山形鉄道の前身である国鉄長井線はこの先最上川沿いの狭い谷間を伸び、山形盆地を走る左沢(あてらざわ)線と接続する予定でした。荒砥から下流の左沢までの間、最上川は人口も少ない狭い谷を下っています。その区間の建設計画は具体化しないままに現在に至ったわけですが、沿線で最大の街である長井を過ぎるとはたして車内はがらがらになってしまいました。さっきのブラスやるべな女子高生たちも長井で降りていきました。駅ごとに交換設備を剥がされた跡があり、苔むしてしまったホームの上には防雪林のつもりか杉が植林されています。車窓風景はのどかなのかただの田舎なのかといった田園風景のむこうにもう色づいた山が迫ってきています。第三セクター転換時に改築されたと思われる立派な鮎貝駅を過ぎると線路は東に向きをかえて最上川を長い鉄橋で渡ります。古いトラス橋をくぐってまた北へ向きをかえると終点荒砥。大きな街でもなさそうな終点直前で長い鉄橋をかけるというのは、まだ先へ延ばす予定ががあったことの証左でしょう。

荒砥の駅には車庫があり、今のってきたのと同んなじ顔の車両が顔だけ出して昼寝しています。終点に車庫がある点は延伸先だった左沢線の左沢駅と似ています。きっぷ売り場に人影があったので声をかけているうちに(人影はただの委託の掃除のおっさんでした)遅れていた折り返しの列車は出ていってしまいました。次は一時間後です。あれれと思いましたが、別に急ぐわけではないので消えてゆく車影を見送り、駅前に出てみます。ほんっとうに何んにもありません。ま新しい合築駅舎は定礎によれば去年新築されたもので、改札口ときっぷ売り場のある小さなコンコースをはさんで南側が地区の公民館、北側が小さな史料館になっています。バス停がありましたが見ると平日の早朝に長井行が一本あるだけです。荒砥から最上川沿いを下り、途中で乗り換えて左沢まで抜けるバスルートがあると聞いたことがあるのですが、廃止になったのか駅前は経由しなくなったのかでしょう(注:調べたところ、駅とは別な場所にバスターミナルがあるようです)。床掃除をしていたおっさんに左沢までタクシーだとどれくらいかかるか尋ねたところ、8000円くらいかかるとのことでした。ちなみに最上川沿いの途中の町、宮宿までは4000円くらいだそうです(宮宿から山形方面は全国版の時刻表にもバスが載っています)。おっさんは本当はタクシー会社の人で、町内に二つあるタクシー会社が交替で駅に詰めているとのこと。バスの時間が合うようならタクシー呼ぶけど、と言ってくれましたが、せっかくだから折り返しでもう一度沿線風景を楽しみたいのです。

ここはほんっとうにのどかなところです。暇なので史料館を覗いたりして過ごします。かつて地場産業だった生糸と紅花にかんする展示があります。使い込まれた道具が展示されています。鉄道開通までの重要な交通手段であった舟運にかんする展示があります。近年河原で発見された小判なども展示されています。長井線関係の展示ももちろんあります。さっき通った古いトラス橋は東海道線の初代木曽川橋梁のものを転用したのだそうです。おっさんはコンコースの床を拭きおわり、史料館の方にバケツとモップを持ってきます。邪魔そうなので外に出てちょっと歩き回ってみます。低い山なみはもう紅葉していて、その懐にずっと広がる田んぼは刈り入れから雪景色へむかうわずかな間、呆けたように息をついているように見えました。駅に戻るとおっさんは床掃除を終えて窓ガラスを磨いています。家でもきっと働きもののいい旦那さんなのでしょう。

ホームで待っていると車輪が鉄橋を響かせる音が聞こえて、しばらくして1両のがやってきました。この車両はここで運用が終り、車庫に入ることになっているようです。かわりにさっき首だけ出して日なたぼっこしてたのがつい今しがたのそのそとホームから離れた側線を歩いていっていて、駅の外れで待機しています。今ついたのがホーム側の線路の一番奥まで引っ込むとじきに向うで待ってたのが転線してゆっくりと目の前で停止します。今度は行きと反対側のボックスに陣取って反対側の風景を眺めて戻ることにします。東海道線のお古の背の低いトラス橋はそう知って渡るとなかなか貫禄があります。長井から荒砥までは鮎貝、蚕桑、白兎、あやめ公園など動植物の名前がつく駅名が多いということに気づき、今泉ではまた激混みの米坂線と接続します。荒砥で寝てる連中を貸し出してやれないかとちょっと思いました。長井あたりでまたそれなりに乗ってきた乗客もまた宮内で降り、赤湯で降りたのは行きの列車に最初乗っていたのと同じくらいの人数でした。みどりの窓口に行くと今日のつばさは全部満席だといいます。自由席はどうかなと思ったのですが、やがてやってきたつばさは混んでいました。仕方ないので立ったまま赤湯で買った牛肉弁当を平らげ(郡山で駅そば食べてから何も食べてなかったのです)、米沢からいよいよ大混雑になったつばさを福島でそそくさと下車し、仙台まで出てスーパーひたちで帰ることにしました。こんな機会でもなければ特急で仙台→土浦なんてそうそう乗る機会がありませんから。
2004年10月25日(月) 天気:はれ
gnomeのアップデートに失敗しまくりました。
2004年10月26日(火) 天気:あめ
某オケ関係で楽器や楽譜を置いてある倉庫に行ったりとかしたかったのに生憎の雨です。雨の中自転車飛ばしたりしなければならないほど火急の用じゃないので余計なんだかあれでした。
2004年10月27日(水) 天気:はれ
何か書きたいことはあったんですが、あとで思い返してみるとなんだかどうでもいいことのようで。
2004年10月28日(木) 天気:はれ
体調が悪いです。
2004年10月29日(金) 天気:はれ
清水公園のWebサイトがあるのを発見しました。
2004年10月30日(土) 天気:あめ
なんとかじゅにあおけの手伝いに行ったのですが、風邪で頭痛が痛かったのでなんかぼけぼけでした。ぺーちゃとおおかみをやるのですが、お子さまは基本的にどんな音符でも頭に何かついた真面目な弾きかたしてしまうので、例えば弦セクションがさわやかな夏の朝にごきげんような描写の楚々としたオーケストレーションもああ今日も朝っぱらから蒸し暑いねえニッポンの夏ってかんじの音楽になります。いや、もしかしたらお子さまだからなのではなくて国民性なのかしらん。
2004年10月31日(日) 天気:くもりはれ
まりみてのどらまCDを貸してもらいました。聖さまってなんか台風みたいな人だと思いました。それはそうと舞踏会のシーンでバックにラヴァルスとか流したらもっと面白いと思ったので黄薔薇さま(江利ちゃん)におかれましては是非マーラーのスケルツォ楽章やショスタコーヴィチのバレエ音楽などとあわせてご検討ください。

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