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々ゞ仝〃(日記)

2004年04月


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2004年4月1日(木) 天気:はれ
今日は聞く側です。

ショッピングに使えるSuicaに描かれているペンギンのマークを見て、一緒に行った人がlinuxなのかなどと突っ込んだりしていましたが、SuicaのシステムってOSはなんだろう。ありきたりだったしもう午後だったのでええ、そうなんですよと嘘つくのは止めておきました。
2004年4月2日(金) 天気:くもりあめ
エイプリルフールにご用心――ネットに溢れるホラとイタズラ。「乾燥させた水」が面白いと思いました。

よくヘッドラインを見間違えてびっくりするのですが、今日はDHA2倍の遺伝子組み替え魚誕生 海洋大助教授ら成功を「DNA二倍」と読んでしまい、魚の倍数体ってすごくレアなんだったっけ、と頭をひねってしまいました。

ネタがないので近辺で変わったことなど。
・香住の前にあったワンダーグーは移転したわけですが、しばらく空き屋だったのが香住の別館になりました。日用雑貨や衣料を売っています。何時まで開いてるかは見忘れました。
・市内循環ワンコインバスであるつくつくバスの筑波庁舎行が大穂庁舎に寄るようになりました。センターから所要18分だそうです。また、センター地区循環の南周りのほうののりばが2番に変更になっています。他は従来通り3番から出ています。

I once had to rebuild root's crontab(including daily, weekly, etc)from scratch.

演奏中に客席にいる人のうち、本当に音楽を聴いている人の割合のこと、かもしれない。何をもって「本当に」とするかは不明だ。
2004年4月3日(土) 天気:はれ
午後まで寝て過ごし、某合わせのために実家に戻ります。我孫子の唐揚げそば(1日から20円値上げしたかわりに「唐揚げ一つ」のそば・うどんのメニューが300円で加わっています)を食しようと降りる準備をしていたら我孫子の電留線を過ぎたあたりで下り線を爆音立てて走り去るエメラルドグリーン一色の細長い物体が。そばを賞味した後2本やり過ごして乗車します。すっかりテンションが上がった状態で柏の東武のホームに降りるとなんか5082Fが入線してくるし。ここも1本やり過ごして5382のつりかけ音を堪能します。両車ともあとどれだけ活躍してくれるのか予断を許しませんけれど、もしモノに魂があって転生することがあるのなら今度は絶対に楽器に、できればヴィオラあたりに生まれ変わってください。全力を振り絞ればいくらでも大きな音が出せる、というのは実は楽器一般に求められる資質そのものなのですから。
2004年4月4日(日) 天気:あめ
寒いのは元来嫌いじゃないんですが、季節の移り変わりはもっと単純なモデルで近似できたほうがいいんじゃないんでしょうか。
2004年4月5日(月) 天気:はれ
晴れた日にこれくらいの陽気なら言うことないんで冬になるまでずっと続いてほしいんですが、食糧危機は不可避でしょうね。それはそうと昨日春日公民館に置き捨てた自転車を拾うために帰りに春日近隣シャトルに乗ったので、昨日乗った分とあわせて春日近隣シャトルを完周したことになります。バス路線網を日常の足として使ってるとどこかの区間を全区間乗り通すなんてのはかえって難しいですね。

で、受精卵診断の大谷産婦人科に障害者団体が抗議。ええと、以下の議論では明記されている場合を除き、理屈や建前を完全に抜きにします。その上で考えるとこれは例えば「『お車で御来店の方はもれなく10%引き』みたいな文言が目に入った交通弱者」の感覚と同じ方向のベクトルを持つものでしょう。これはそんな店で買わなければいいじゃん、という理屈で納得できるもんじゃないです(それで納得できるのなら、元記事の件にかんして障害者たちは「自分たちのような苦しみを受ける人が減るのは喜ばしい」とまるで天使か聖人かのようにこの技術を祝福するでしょう。でも現実はそうじゃないです)。もう少し詳しく書いてしまうと、たとえば車の運転免許を持ってない私はよく道端のバス停で排気ガスを浴びながら1時間に1本しかないバスを待ったりしますけど、そこで例えば通りがかる車に乗っている誰かが私を見て車を止めてくれて目的地まで送ってくれたところで、それでその人が通りがかるまで排気ガスを浴びながらただバスを待っていた自分、が癒されるわけじゃないです。なぜって、止まってくれた人の善意の文脈に沿って車に乗せてもらった時点で私はここで1時間バスを待ってやると決意したときの、数十分前の私を裏切ったわけです。そして私を拾ってくれた人は全然悪くない。バス停で待っている私とその人が出会ったことは偶発的事象です。

元記事のような種類のややこしい差別の問題が存在するのは、問題が発生した時点で真の悪者がどこかへ消えてしまうという人間の弱さ、ないし柔軟さ、あるいは「人間らしさ」そのものがはらむ矛盾が露呈してしまうからなのでしょう。かりに大谷産婦人科が受精卵診断を行っているという事実が青い芝の会に知られなかったら(本数の少ないバス停で佇んでいる人を見たら見捨ててはおけない性分のドライバーがたまたま私がバスを待っているバス停の前の道路を通りがからなかったら)、青い芝の会は大谷産婦人科を訴えなかったでしょうから(その人が通りがからなかったら時間まで排気ガスを浴びていなければならなかった私は、誰かに乗せてもらうことで車社会の論理の側に取り込まれてしまった私に、議論の主題である「そういう感情」を抱くことはなかったでしょうから)。この問題を本質的に解決ないし解消するためにはおそらく、「私はバスに乗りたいのである」という主張に対応する何かが必要でしょう。例えば、「私は私の天与の受精卵の持つ性質のままに生きていたいのである」、より難しくかつ一般的に言い替えれば「ひとは自分が持つことができる資質の可能性のままのみに生きることができて、それは権利なのである」と主張する必要があります。この主張は障害者にとってはありのままの自分をそのままに認める覚悟を求めるものであり、そうでない、数の上で大多数の存在である健常者にとっては現在の自分の姿そのものが「ありのままの自分」でしかないのだとどうしても認めざるを得ない覚悟を突きつけるものです。

私はこれは過剰にストイックで、かつ絶対に正しい意見だと思います。走り行く新幹線を横目で見ながら18きっぷでただひたすら旅行してきた自分、「覚悟できてる?」といま一度問いかけたAIR編の観鈴(ここまでゲームを進めてきたプレイヤーは当然そんな覚悟はできてるはずなのに、なおそのように問うゲーム製作者の真意をプレイヤーは読み取るべきだ。余計なことをいうとkeyの連中は『暗示的に』自分たちのゲームの登場人物を障害者のように描いている。ひとは、つまりKanonやAirのプレイヤーはこの暗示に対して暗に「覚悟」できている必要がある)などのことを考えると、元記事の場合には大谷産婦人科ないし健常者と表現されるべき側の「覚悟」がどれほどのものであるか、その深さによって元記事に対する態度は異なるだろう、と思います。私は私のいままでの経験に即して、私じしんを含めた一人でも多くの人が、ストイックな18きっぱーや観鈴の側に立った態度を取ってほしいな、と願います。話のオチをつけるためにあえて言おう。私は18きっぷで旅行する権利があるのだと。というわけであー、時間足りない。
2004年4月6日(火) 天気:はれ
公民館に今年度の市民べんり帳が積んであったので貰って眺めていたら「つくば音頭」の楽譜が。これって21世紀カウントダウンの時にやってたりしたっけ?何この「ナイトディスコのエネルギー」ってEXCELがつぶれて何年経ったよとか思っていたらうちのパートの小学校の先生が「私踊れますよ」といいます。「ふるさとTSUKUBA」という曲も。これって何年か前の湖沼会議のときに作った奴?音教の一発芸(楽器紹介、などとは呼んであげない)のネタに使おうかな。

お、宝鏡山の登山ルートが載ってる。つい最近整備されて復活した道で地理院の地図なんかになくてどっから取っついたもんかわからんかったんだが、今度GWにでも登りに行ってみよう。あ、ちなみに筑波山の特に手前の方の山ん中については、地理院の地図の小径(幅員1.5m以下の道)はあまりアテにしないほうがいいです。高校の時に描かれた道のとおりにとある尾根に踏み込んだところ、かつて人々に踏みしだかれ人の背ほどの窪地になった道には厚く倒木と腐葉土が溜り、そうでない場所は「稠密」という表現がぴったりな笹薮(道の所だけ。下手に光が差すからでしょう)と化していてとても歩けず、やっとパープルラインに出たときは全員が全身草の汁で緑色、寮に(短期入寮中だった)戻って風呂の時間までベッドで寝ていたら髪の間から小さな尺取虫や蜘蛛が這い出して枕元を這っていました。別のルートのグループ(部活の一貫、というか課外授業の候補に上がったルートが使えるかの下調べに駆り出されたわけだが)は途中で任務放棄して下山せざるを得なかったとのこと。彼らは麓の人に尋ねてみたらしいですが、「戦前には通る人がいた」という答えが返ってきたそうです。
2004年4月7日(水) 天気:高曇り
こういう日は眠くて仕方ありません。
2004年4月8日(木) 天気:はれ
もっと他に誘拐すべき人間がいくらでもいるだろうに…
2004年4月9日(金) 天気:うららか
旅に病みて夢は枯野をかけめぐる(芭蕉)。
2004年4月10日(土) 天気:せんたく
9日夜に洗濯しまくったぶんがあっさり乾きました。ついでに上の階のベランダに干してあったらしいシーツも飛んできました。
2004年4月11日(日) 天気:春晴れ
はとこの結婚式なので、土曜日の夕方にヴァイオリンと服をかついで実家まで戻って、夜中に妹と一度合わせてついでに先日BSでやってたフンパーディンクのヘングレの録画を演出がえぐいえぐいとか騒ぎながら一応全部見て、日曜のちょうど昼に東京は新宿へ。なんで休日は動く歩道を動かしてないんでしょうか。けちくさいと思います。これだから東京は(以下300行略)。一応なんとか弾き終わり、式が終わってから一旦実家に戻って、それからつくばに帰還。いやね、実はヴァイオリンの裏板が一部はがれかけてるわけですよ。だから何か恐くて恐くて。給料入ったら即リペアに出さないと。あー、あとヴィオラも派手な弓使いしすぎてサイドブロックの表板の端っこを欠いちゃってるんで、それも直してあげないと。あと二人ともいい加減ボロな楽器ケースに入れっぱなしなんでいいケース買ってあげないととか、世に出費の種は尽きまじ。
2004年4月12日(月) 天気:はれ
昨晩、ひみつ練習場所に行って歩き回りながら弾いていたらげじげじの小さいのを踏みつぶしてしまいました。えーん、げじげじきらい。

右脳派左脳派どっち(エロチック街道さんから)。派閥だったのか。というのはともかく、「あなたは多少右脳寄りです」だそうです。「腕時計もデジタル式(数字による表示)よりもアナグロ式(針による表示)の方が好みではないでしょうか?」って、そもそもそのまんまな選択肢があったんですけど…。「何か問題に出会ったら情報を収集して分析をする方法で解決してみましょう」まあそうなんですが、判断に判断を重ねて失敗するのと、直感で決めて失敗するのとだと後者のほうが心理的ダメージは少ないといえるかもしれないわけで。case by case というところではと。

青かった ああ青かった 青かった(Y.ガガーリン)
2004年4月13日(火) 天気:くもり
夕銅鑼から印象事務所へのアドレス帳の変換が事実上手動でしかできないのはなんとかならんのでしょうか。フィールドデリミタは全部置換でなんとかしたけど、フォーマットがあまりにも違うんでねえ…
2004年4月14日(水) 天気:くもり→あめ
暗い部屋の、少し手を伸ばせば届くはずの所に由乃さんの寝顔があった。カーテンを引いた窓をうすぼんやりと通り抜けてくるあわい光の下で、目が慣れてくるにつれてそのすずらんのような端正な横顔がひんやりと眠っているさまがしだいにはっきりと見えてくるのだった。それは羽根布団とやわらかい枕の海に安心して身を委ねているようにも見え、かといって手を伸ばせばそのために波が起こって、その静かな寝顔はどこかへ消えてしまうように思えた。祐巳は無防備なその寝顔をしばらく眺めていた。由乃さんは令さまの前でこんなふうに寝ているのだろうか、とふと考えた。いつも前向きでいで、弱いところを見せるのが嫌いで、祐巳が思っているよりたぶんいつだって強いつもりでいる女の子。一瞬、何か見てはいけないものを目にしてしまったような気がして、それから自分のお姉さまのことを考えそうになって、祐巳は目をつぶって眠ろうとした。たしかに、眠ろうとしたのだ。
「…巳」
呼ばれたような気がして頭を上げると、由乃さんは布団から全部顔を出してこんどははっきりと祐巳、と呼んだ。その呼びかけかたがいつもの祐巳さん、というそれではなかったので、祐巳はこんどこそはっきり半身を起こした。読書灯のスイッチはどこだったろうとそれから思った。
「どうしたの?」
由乃さんはそれに答えず、まるで冬の朝早くに起こされた寝起きの悪い人が寒さのあまり一度顔を出した布団にまたもぐり込もうとするかのように体を動かしかけて、それからとす、と体をくねらせて向うをむいた。そのまままた、ね、祐巳さん、と言った。その後にすぐ何か言葉が続きそうだと思ったので祐巳はそれに何、とは答えず、しばらく部屋の中に空調の音だけが低くひびいていた。
「起きてた」
由乃さんは誰に聞かせるともなくその先を続けた。それは祐巳に対する呼びかけでもなかったし、自分は実はさっきから起きていた、ということを言いたいわけでもなさそうだった。それでも、たぶん自分はそれに何か答えるべきだろうと祐巳は思った。そうしないと会話が続かないから。
「眠れない?」
「ううん。寝てた」
相変わらず向こうをむいたままの後頭部のあたりから声が聞こえてくる。いつも聞き慣れた由乃さんの声よりそれはいくぶん眠そうだった。部屋の反響がそう聞こえさせているのかもしれないし、横になって喋っているからそのように響いているだけなのかもしれない。
「いっつもね、寝てたの。こうやって。令ちゃんが帰った後とか、あのね、昔のことだけど」
眠そうに聞こえる声が続く。由乃さんがどんな表情で喋っているのかはわからない。
「祐巳さん。でも祐巳さん、今、そこにいるから」
「うん」
「うん、ってゆってくれる。誰かがいるから。ね、祐巳さん」
「うん?」
「私、弱いよね」
ただ薄暗いだけの、深夜(いや、もう早朝というべきかもしれない)の、静まりかえった二人だけの部屋。そこに投げ込まれた、変化球。
「私ね、いっつも壁を見つめながら思ってた。どうすればいいのかな、って。…壁、って、病院の壁とか、部屋の壁とか、ね」
「由乃さん、壁、見てないよ」
祐巳は答えた。向こうをむいているはずの由乃さんの視線の先にあるのは今は部屋の中央にただ青白く蹲っているソファセット、その先に壁に対して斜に置かれたライティングデスクと、その隣の作りつけのクローゼットの扉。
「よくわかったね…」
「壁のことを思い出したの?」
祐巳が聞くと、ふふっ、という笑いがそれに答えた。
「祐巳さんは、面白い」
「…そうかな」
「それでいて、勘が鋭い」
うす青白い光の下で、由乃さんのシルエットはそう言って続けた。
「だからね、私は祐巳さんに弱みを見せられる。うん、多分そうなんだ」
「弱い、だなんて」
「でも、さっき見てたでしょ」
「…」
「私、直観はある方だと思うんだ」
由乃さんはまた黙った。部屋をまた静寂が支配した。布団から身を起こしたままだった祐巳がいい加減寒くなってきて、身じろぎして膝の上に落ちていた布団をたくし上げようとすると、その衣擦れのかすかな音をも遮るかのように由乃さんが続けた。
「祐巳さん」
祐巳は手を止める。
「ねぇ」
「ねぇ、祐巳さん?」
そうしてくいっ、とこちらに顔を向ける。小悪魔がすずらんの顔をしているとすれば、振り向いた由乃さんの動きは、すずらんの花房が風に揺れたように見えた。
「…眠い?」
「んー、ちょっと」
あたしも。そうして由乃さんは続けた。
「一緒に寝て欲しい、なんて弱音言えるの、祐巳さんだけだよ」
「由乃さん?」
「祐巳」
おいで、と祐巳は誘われるまま体をずらして、由乃さんの布団に潜り込んだ。

…ここではっきり宣言してしまいますが、マリみては恋愛小説だと思います。各巻の、描かれなかった部分で必ずやこういったシーンが展開されていたに違いない、いやそうでなければおかしい、と私は思うわけですが。いや、百合って書くの結構難しいですね。
2004年4月15日(木) 天気:はれ
吉田全射(なんでもありません)

イラク人質事件に関して。

ここ数日の有名どころのWebで見ることができるなんで行ったんだとか自業自得だとか不注意だとかなんとかかんとか騒ぎ立てるありがちな言説は私には例えば海外旅行の相談をしている若手社員を横目で見ながらもっと仕事しやがれだいたい俺の若い頃はとか心の中で陰口叩いてる典型的田舎思考の親父とかレイプされるのはされた方が悪いのだという意見を開陳して憚らない阿呆とか街といえば渋谷と新宿しか知らず伊豆高原や軽井沢にはほいほい行くくせに山手線から乗り換えて電車でわずか40分の取手は東北地方かと思ったなどと自らの地理音痴を暴露する馬鹿とかの同類項にしか見えない、という印象だけをとりあえず吐き出しておく。だいたい、イラクなんて一生行くつもりもないのにテレビか何かのコメンテータの真似のつもりなのか勝手放題撒き散らした挙げ句誘拐事件が起きるまでは何一つ知らなかった赤の他人を断罪することで時事問題に触れてみせることで意識的ないし無意識のうちに自らの社会的体面を取り繕おうと画策してしまう「典型的日本人」(おそらくあなたのことだ)と、誰が何と言おうととりあえずバグダッドに行ってみよう話はそれからだとばかりに自国の外務省勧告さえも自己のうちに相対化して向こう見ずにも現地に乗り込んで犯罪に巻き込まれてはからずも国際問題のかけひきの駒にされて日本中をお騒がせしてしまった「普通じゃない日本人」のどちらを支持したいかと問われたら私は間違いなく後者を選ぶ。私は「普通じゃない日本人」(多分。この「多分」は多分、まっさきに「日本人」にかかる「多分」だろうと思う)だし、いつなんどき自分の、自分では正しいと思っていた行為が自分にとって見ず知らずの赤の他人によって勝手に断罪されるかわかったもんじゃないから(これを読んでいるあなたが私のこの文章に反感を抱いたとして、そのことで私自身を何らかの意味でネガティブに判断するなら、それはラディカルにいえばすでに断罪だろうし、そんな心の動きは私に断わりなしで起こるものだから、つまり勝手なことだ。言い替えよう。あなたにとって私はいつだって「勝手な存在」だし、私に取ってあなたは「勝手な存在」だ。そしてあなたは(私は)その勝手さを何とかする術をたぶん永久に持てない)。彼らはこれから帰国して世間の「何迷惑かけてんだ」といった、多分にムラ社会的な感情に裏打された譴責をおそらく免れないだろうが、私は普通じゃない日本人であるという自覚を持つ身としていつなんどき同じように「何迷惑かけてんだ」と譴責されることにならないとは限らない、と思うので、そんな意見には汲みしないことに、つまり彼らを譴責しないことにする。加えて、自国民ひとり守れなくて何が外務省だ、という有体な批判と、当の外務省が以前からイラクに対して出している渡航自粛勧告(私の友人の一人は米軍による開戦直前のイラクに渡っている)とどちらが重要なのかと問わなければならない。後者の方が重要なのだとしたら、そんな場所に今現在「自衛隊」(今日はあえて「軍隊」なんて呼んであげない)の数千人の人的資源を派遣したのはどういう理由に依るのか。人質問題が深刻化するまで外務大臣に「絶対に行かないで下さい」と言わせなかった、その根拠は何なのか。ないし、どうすれば「イラクを平和にできる」のか。「ないし」の前の課題はたぶん、「何とかすれば」多分何とかできる。でも、本当に「何とかしなければ」ならないのは、後者の命題の方だ。

文章が痛いきがするのはシューベルトの後期のピアノソナタのせいです。世界がこの音楽を知っていたら、戦争なんて絶対に起きっこないだろうに。
2004年4月16日(金) 天気:はれ
シューベルトを聴きながら4時までぐだぐだと日記に書いたりしていたので眠くて仕方ありません。

orz
※誰か言ってやれよ…

バスの方が安いみたいですが、鉄道でないとダメなんでしょうか。
2004年4月17日(土) 天気:はれたらいいね
ブラウザ戦争は終わっていない(エロチック街道さんから)。最近operaしか使ってないよ。

「イラク人質事件で緊急世論調査 政府の対応を6割が評価」だって。評価ってどういう意味だこのアカヒの馬鹿野郎。記事本文を読んでも何をどういう立場で「評価」したのかまるでわからないし(私がもしこの電話による緊急世論調査を受けたら「評価ってどういう意味だボケ」とつっぱねて電話線を引きちぎり、怒りのあまりNTT東に乗り込んで預けてある電話債券を千切って燃やしたと思う。それくらい、これは無意味かつ煽情的な問いである)、それに引き続いて「自衛隊の派遣継続の意義」なんて誘導尋問以外のものではない質問項目を並べてくる精神に至っては日本人の人質を確保して踊り喜んでいるどこかのイラクの「テロリスト」と同じ卑怯な発想である。政府の対応を評価?評価しないわけにはいかないだろう?だって、政府があってそこに外務省があって外務省の連中が「なんとかし」てくれなかったら今回の誘拐事件は解決しなかっただろう?都内での救出懇願のデモの映像を流してくれるようアルジャジーラに工作したのは誰だと思ってるのかね?政府が今回の事件に対して無為無策でただ右往左往してただけだなんて本気で信じてる人はもしかして自分ならもっとうまくやれたなんて思ってるんじゃないんだろうね?いや、もっといいやり方はあった「かもしれない」けれど、そのやり方が「今、イラクで」実行できなかったら、それは存在しないやり方、つまり無意味なものでしかない。もしこれができたらなんて妄想するのは勝手だけどたぶん国際社会はあんたの妄想より日本政府の方をむしろ信じると思うよ。で、その上で「評価しますか?」なんて質問は最も好意的に判断したところでこの誘拐事件に対する社会的感心を計るための踏み絵でしかないと思う。その上で、記事中においてその後に置かれたことで暗黙のうちにその命題がさきの「政府の対応の正しさ」に従属するものだと言いたいのだというメッセージを伝えるものであるところの「自衛隊の派遣継続の意義」ときたもんだ。こんな設問の並びは例えば前者にYes、後者にNoを唱える輩が自己矛盾している、と暗に示したいのだ、という意図を持っているとしか考えられない。電話回答で得られた数値がどんな割合であれ、元記事は実際はたんに「自衛隊はやることをやり終えるまで派遣を続けるべきだろう」と主張したいのだ、というだけだ。そんなありきたりな主張のために電話口で質問項目に答えさせられた不幸な誰かさんはだから朝日新聞に良心を搾取されている。搾取する側およびされる側、ともに無意識のうちに。

もちろんこれは読売や産経よりはマシ、という文脈の上でのことですんで誤解なきよう。

高校の時の日記を読み返していたら鮎川信夫の「死んだ男」が全文引用してあった。あと、自分が「退嬰化してる」とか書いてあったり。酒あおってるような時でないととても読めねぇや。
2004年4月18日(日) 天気:なんではれるんだよ
当日客が減るじゃねーか馬鹿野郎。あと、ステージ上はなんだか暑かったです。

某ノバホールの袖や楽屋前の壁はここで演奏した歴代のミュージシャンのサインで埋め尽くされているんですが、袖のあたりで紛れて「河野洋平」とかあるのを見つけました。個室の楽屋のあたりには10年以上前から前橋汀子と書かれた文字が踊っていて、周りを来ノバした日付がいくつも取り囲んでいます。たまに日付が増えています。大部屋に降りる階段のところに森進一のサインがあって、何故か鏡文字で書いてあります。どうしてなんでしょうねえとトラの人が話していました。オケの来日公演だとステッカーも多いですね。南西ドイツとか国立リヨンとか色々。上手の袖にはシスコ響のベースセクション一同というサインもありました。

うちのパートでのだめカンタービレを読んでる人がほかにもいることが判明。
2004年4月19日(月) 天気:なつい
もやってます。何か恨みでもあるのか。

シューベルトの21番の第一楽章の2かっこの部分は作曲者が(演奏者が、聞き手が)乗っている列車がふいに速度を落として、ポイントが支線側に切り替わって、車体がにぶくきしんで揺れて、そして見慣れた本線側の景色が遠ざかって、二度と見ることができない車窓が遠ざかってゆくさまをたった一人で窓にもたれて見ている、今日的にたとえていうならそんな風景だ。それはもう二度と戻ることができない、だから死出の旅を直接描いた、これは唯一の音楽だ。

シューベルトがそんな音楽を残すことができたのは、彼がまず、人生そのものを旅と捉えていたからだ。これは音楽的に真実だと思う。貧困の中でマージナルな、困難なその生涯を(ほかに生きる道があったとは考えずに)生きて、都会の片隅でひっそり死んだある作曲家がその人生という、たんに寂しいだけの旅の途上で見た、本来なら作曲者の死とともにとうに喪われてしまうはずだった、心象風景。たったひとり、というのがどういうことなのかわかっている人でないとこの曲は演奏できないだろうし、たったひとりというのがどういうことなのかわかっている人でないとこの曲は受容できない。まやかしの共同体という伽藍(吉本隆明ならこれを共同幻想と呼ぶだろう)に留まるかぎり、たぶん永遠に理解できないはずの音楽。シューベルトの後期のピアノソナタがマイナーなのは、本質的にはそんな共同幻想がシューベルトの生き方そのものを疎外しているという理由によるものだ。シューベルトがけしてベートーヴェンやヴァーグナーになれないのはそういった理由による。ただ、そんな共同体意識から疎外された存在にとってシューベルトのこのピアノソナタは「長い旅の途中で、同じ木陰を選んで休んだ言葉の通じない」だれか、自分ではない、旅人だ。

先日の日記でシューベルトの後期が出てきたのはだからそういう理由です。もしこの曲を「判る」ことができるなら、ひとはそこで「鎧のような固い甲冑を脱いだ状態のまま」そこにいられるだろうから。着ているものにも、背負っている重荷も、何を信じているかすらも、たぶんきっと関係ない。その先に明るい未来が開けているわけではない。相手と一緒にどこまでも歩いて行けるわけではない。自分の重荷を誰かに肩代りしてかわりに笑っていることができるようになるわけでもない。たまたま道が同じだったとしても、それは自分にとって(相手にとっても)、そんな一時の間がほんの少しだけ長く続いた、というだけのことにすぎない。誰にとっても、旅のゆくすえにあるのはたんなる死、誰もその先まで一緒についてきてくれない絶対の孤独でしかないのだから。そこまで、保証してくれる存在があるならそれは神であろう。そして、現実の人間は神じゃないから。それでも人はたぶん、同じ木陰を求めて腰を下ろすだろうし、荷を解いたその先にたぶん、誰かがいる。その誰かを同じ人間として見ることができる。同じ、旅人として。だとしたら、何か諍いを起こす必要がはたしてあるだろうか。諍いが発生する可能性があるとしたら例えばそれは「この木は安全な場所に植えたのであるが実際にこれを維持するためにいくらかかるからあんたらにはこれだけ払ってもらって云々」などとしたり顔で現われる地主くらいのものであろう。生涯貧乏人だった反体制(ビーダー・マイヤーにおける)ボヘミアンだったシューベルト(しかも生涯懐は親がかり)にとってはこういうのは嫌な話だろうけれど、幸いにして旅人はこの木陰を捨ててどこかへ行くことができるのだから。
2004年4月20日(火) 天気:なついなつい
4月下旬の頭の時点でこんなに蒸し暑いのは絶対におかしいです。今日の天気が投稿論文だったらリジェクト間違いなしです。
2004年4月21日(水) 天気:なつ
駄洒落をひねり出すのも億劫です。何があれってね、体の対応に時間がかかるんですよ。冬モードから夏モードに移行するのが。そのくせ明け方なんかは冷え込むんで気を抜くと喉が痛くなってたりします。
2004年4月22日(木) 天気:あつ…
予報でmax29℃ですって。

「熊本東映劇場 42年の歴史に幕 6月に撤退、配給は存続」。新市街が寂しくなる傾向が続いていますねえ。中心部は空き店舗やパチ屋ばっかり、健全で明るい平均的な庶民は家族揃ってクルマで郊外型大規模小売店舗へなんて図式はぞっとしないのですけど。

OTL(一番最後の項)
※ネタが古いわい
2004年4月23日(金) 天気:くもり
湿っぽいので不合格。

あめふってきました。見るからに夕立っぽいです。私が許可しないうちに夏になるのは許しません。こんなことがまかり通っていいのでしょうか。平和と民主主義を揺るがす異常気象反対。

竹園の霞の一角にこるまめ(というのは熊本弁なので、一般的に表現すると干納豆です。納豆に小麦粉をまぶしてころころにした上で天日乾燥させたもので、甘納豆のたぐいとかじゃないぞ)が積んであったんでおつまみにと買ってきたんですが、いぜん食べたの(産地不詳)と比べてちょっと仕上げが固いかな…。他のメーカーのも買って食べ比べてみよう。
2004年4月24日(土) 天気:くもりあめ
ヽ(`Д´)ノ

実家に帰ったので例の人質事件について母親に、もし私がイラクで人質になったらどう思うかと意見を求めたところ「政府勧告を無視して渡航するような子はウチの子じゃありません」とのことでした。私が人質になっていれば誘拐犯、国際社会、イラク世論、日本国政府、日本国内世論全部まとめてなんだか後味の悪いいやーんな当惑で覆うことができたろうにと思うとちょっと残念です(ぉ。いや、実際にはそう言いつつ単身イラクに乗り込んで「True Lies」よろしくハリヤーか何かかっ獲って私を救助すると同時に敵のアジトを殲滅した帰りがけの駄賃でイラクにイスラム法を範とした平和国家を樹立して米国単独覇権体制に永遠の終止符を打ち、その後死ぬまで事あるごとに「あの時は息子がどれほど親に迷惑をかけたか」延々と吹聴して回るような両親なんで別にいいんですが。
2004年4月25日(日) 天気:はれ
母親がこともあろうにルピナスを鉢植にした(特に矮性の奴というわけじゃないみたい)のでひょろひょろっとしたのが玄関先にありました。花の盛りでしたが、ほんとはそういう咲き方をする花じゃないの〜。直根性だから地べたに直植えしろとあれほど言っていたのに。後で植え替えしても根付くかどうか微妙だろうなぁ…。実家の庭十勝三股化計画まではまだ遠いようです。
※整備されてしまった現在ではなくて、放置された駅構内で線路の玉砂利の間から旺盛に花穂を伸ばしていた士幌線末期のイメージ。

夜は赤坂でしゃーみんの面々の飲み会。久しぶりな方もいらっしゃいましたが、根っ子のところは誰も変わってないようでなにより。赤坂見附の駅周辺は日曜の夜10時過ぎると開いている店を探すのも一苦労というど田舎でした。
2004年4月26日(月) 天気:はれ
そういえば書いてなかったのね。火曜日の日記の一部にしておきます。

以前から気になっていたPARI/GPを入れてみました。なんてマニアックいや、面白いですねぇ…。teichmuller()なんて関数まで。

で、Teichmüller characterって何だっけと調べていたらTeichmüller って第二次大戦に従軍して東部戦線で戦死してるんですね。
2004年4月27日(火) 天気:くもり
雨がぱらつくなか仕事場へ。ゆっくりPARIでも弄っていようとおもいきや今日もサポートセンター状態。

なんかいい加減日本は分裂したほうがいいんじゃないかって気がしてきた。「反日で構わないじゃないか」(←これは垢日の記事の受け売りだが)なんてのうのうと他人の神経逆撫でしてのける人間とそれ聞いて血税無駄遣いの非国民氏ねとかしか思えない人間(←多分そういう奴ばっかだろうという思い込みだが)との間を取り持つ日本的な(つまり、日本語で諒解可能な)いかなる回路も存在しないのだもの。少なくとも公的には、ないし、日本的には。日本語と日本語によって生成しうる社会システムからなる総体は両者の溝を埋める回路を持たない。だから逆にこの総体は外圧に、つまり日本語と日本語によって生成しうる社会システムに属さないものたちからの干渉に、弱い。例を挙げれば、たとえば日本文化を護れといういかなるかけ声も、この弱さを認識した上で扉を閉めろ、塁を築き深く濠を張りめぐらせよ、という自閉のパースペクティブの上にある。それが日本語で語られている限りにおいて。

「日本語」を広げないといけないと思う。言ってはならないことを言う、並べてはならない語句を並べたてる、他人の「日本語」をどこまでも曲解する。「日本人」には理解不可能な論理で詭弁を弄する、そんな詭弁の楼閣の上に金閣寺か戦艦大和あたりを据えておけばインパクトは増すだろう。そうやってどこまでも日本語がそこに属するものであるところのある言語国家を解体していった勝利の先に何が待っているかは今は多分誰も知らない。恐らくは直視に耐えない、例えば荒れ掲示板のような荒野がただ、広がっているだけだろう。しかし多分、上の段落に書いたような堂々巡りに心底辟易しているたぐいの人間にとってはそここそが、約束の地となるだろう。もしそこ以外に言論の場が、つまりそこで日本語が「意味上での命懸けの飛躍」によって交換されることによりその自己の価値を後付けすることができる場が、存在しないのなら。

いやね、「言論の自由」って、そういう解体を保証するという意味だと思うんだね。断じて、「「言論の自由」が保証されていると書かれている文章を記述しているある言語空間/言語国家の論理で生成可能なすべての言説について国家=言語国家はそのケツを持つ」という意味ではなく。いや、それは自己破壊だろうって?システムとして自己解体の回路を持っている例としては例えば自己分解酵素を持つ生体システムなんてのがちゃんと存在するよね。無理じゃないと思う、というより、そちらの方がむしろ正常に思える。

「他人の神経逆撫で君」というあだ名を頂戴したことがあります。高校の頃ですけど。
2004年4月28日(水) 天気:はれ?
空は青いのにたなびく雲は低くて、筑波山も手前の山も裾しか見えません。雲高300mくらいだと思います。しかもけっこうつめたい(寒いとは表現しない)。比較的いい天気です。少し湿度が低ければもっといいんですが。

夕飯を買いに仕事場を出たら肌寒くて、すきとおった西日が辺りをあかく照らしているのはまるで秋の夕暮れのようです。
2004年4月29日(木) 天気:はれ
ハードディスクの使用率が90%を越えてdfするたびになんだか恐いのででじこわんだーに価格調査に行きました。中古の棚をぶらぶら眺めていたらガイジン二人連れにえくすきゅーずみーとか呼び止められます。値札の上にペン書きしてある日本語を指さしてくじゅえくすぷれぃんわっだずいっみーんとか何とかいうので中古だけれど三日以内なら返金可能という意味だ、などと教えてやったらOh, it's interestingとか呟いて買うことにしたみたいですが、日本でパソコンの中古パーツを揃えるなどといった微妙にnerdなことをしたいのなら、「保証3日」といった程度の日本語にもinterestしてほしいなと思いました。それはそうと何だか最近、外人にコンピュータ関係だの何だの説明をする羽目になることが妙に多いんですが、背中かどっかに「English OK」とか何とか書いてあるんでしょうか。帰ってから上着を確認してしまいました(これは嘘
※この場合はもちろん面白いとか何とかではなくて「じゃあこれにしよう」という程度の意味ですけど。

そのあとセンターのボザールでシャツを買ったりしてから、自転車を走らせてTXの建設現場を眺めに葛城の集落の先へ。防錆の亜鉛がまだ夕日にぴかぴか光っている架線柱まだ架線までは張られていません。今日は工事は休みなのですが、作業用に組んである仮設の通路から高架の中を覗けるようです。おー、ちゃんと複線分の線路が敷いてありますね。9月くらいからはこのあたりまで試運転列車がくるみたいですが、楽しみです。
2004年4月30日(金) 天気:はれくもり
虫熱い奈〜。度に地もこん茄銚子打とし多良で×野茂おっ空です。

[沖ノ鳥島]「唐突に『岩だ』と主張し始めた中国」。瀬戸内海が川に見える国らしい言いぐさだと思います(笑)今度中国の地図を指さして「混沌はどのあたりにあるのか」と言ってみましょう。

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