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々ゞ仝〃(日記)

2004年02月


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2004年2月1日(日) 天気:はれくもり
MM(マリみて)線が開通したとのことで乗りにいってきました。東急沿線なんてそもそも普段用がないんで、こういう機会でもないとなかなか乗りにいこうという気にならないものです。

もうずっと工事中というかんじの横浜駅地下連絡通路に降りると、東横線への連絡改札が工事現場のゲートよろしく封鎖されています。東海道線の車内でもその旨放送していましたが、改札を出ると「東急東横線・マリみて線→」という看板を持った東急の職員がうようよと人波に揉まれています。アフター5の歌舞伎町みたいです。今まではこっちだったんだよな?と階段を上がると東急ののりばは入口で白いシートで塞がれ、一昨日まで大きな人の流れがそこに飲まれていったはずの場所は今はたんに足早な雑踏がその前を流れてゆくだけです。それ以上の面白いものは見あたらなかったので、人が滞っている狭い仮設通路から地下へと下ります。通路の入口に止せばいいのに次発の案内板が出ています。案の定渋滞しています。止めて欲しいです。

改札階は広いのですが、まるでイベントの入場を待つかのような人の列が発生していて一種異様な光景です。向こうの方できっぷの買い方を連呼する拡声器が響いています。きっと汽車に乗るのも始めて、という人たちばかりなのでしょう。これだから田舎は困ります。水戸や土浦を見習いなさいなどと思いながらさっさとパスネットを改札機に通します。ホーム階に下るところでも右往左往するおじちゃんおばちゃん達がいたりします。「どうせ、また上に登るんでしょう?階段はどこ?」なんて声も聞こえます。たった一夜で線路を高架から地下線に切りかえた工事のおじさんたちが聞いたら号泣しそうだと思いながらエスカレーターを下ります。ちょうど8000系の特急がきました。ちなみに東急でいう特急とは「特に早いわけでもない急行」という意味です。昔のカップスターの容器みたいなうねうねが特徴的なぎん色のコルゲート板が60年代スペース・オペラのような古さを嫌がうえにも醸し出します。東武の8000系とは大違いです。少し遅延しているようでしたが、開通初日の今日にかぎってマリみてから先は各駅停車です、と放送がありました。ほどなく新高島を通過します。ホームの薄暗さのせいか長野電鉄の地下区間の特急通過駅みたいな雰囲気でした。

一昨日で廃止になった横浜?桜木町間は乗ったことがあったかどうかよく覚えていません。地下線切替えが決定して放置プレイ状態になっていた高架のホームを何となく覚えているのですが、根岸線の車窓から見ただけだったかもしれません。雰囲気的にはちはら線開業以前の京成千葉駅みたいなかんじだったようにも覚えています。今回の切替えで線路は反町の渋谷寄りから地下にもぐるようになったようで、仙石線みたいな感じだといえば判りやすいでしょうか。すぐにマリみてです。結構な幅のホームには反対側にも電車がついたためかかなりの人がいます。アニメ化でいっそう人気が出たということでしょう。駅員の制服もブリーツスカートにしたほうがいいのではと思います。駅のホームはずれには結構な数のカメラちゃんが張りついていました。先頭車両のスカートは乱さないように、パンタグラフは振動で揺らさないように、ゆっくりと走るのがこの線でのたしなみ。というか、先行列車がつかえているからかもしれませんが遅いです。次は馬車道。壁一面に煉瓦積みふうパネルが張りついています。こちらも制服を矢羽の(略)次の駅の駅名は日本大通り。ほかに駅名のネタはなかったのでしょうか。「この次、元町・中華街駅は大変混雑しております、当駅の御利用をお願いします」なんて放送が入ります。人の乗降はあまりありません。さて、その混雑しているらしい終点の元町・中華街にあっけなく到着です。ホームに人がてんこもりになっていたりするのかな?と思いましたがそれほどでもありませんでした。

電車のドアが開くとあちこちに侍っている駅員が「降りる人が済んでからご乗車ください!」などと喚きます。はじめて旅客鉄道が開通する地域では乗客へのマナー指導も重要です。すぐに折り返して行く古びたコルゲート板のかたまりをバックに記念写真を撮る人が多数見受けられました。架線は剛体架線かと思ったのですが、スパンの短いコンパウンドカテナリでした。まだカテナリ線も銅の光沢にぴかぴか光っています。線路の先はすぐコンクリートの白い壁です。混雑しているのは改札へ上がるエスカレーターと階段のところ、でした。人々はエスカレーターの右側を律義に空けながらのろのろと地上を目指します。右側を急いで登る人はほとんどいません。その分詰めればずいぶん空くのに、というところです。階段はというと両方向エスカレーターに場所を取られたためか、何か狭いです。緊急時にはちょっと不安です。やっと改札を抜けると、乗車口の方ではまたも駅員が「きっぷは買わずにお乗りください!降りる駅で精算してください!」などと叫んでいます。それでも律義に券売機に並ぶ人の列。きっときっぷを買うのも楽しい、ということでしょう。外に出てみると都市高速の道路が頭上をつらぬき、右手遠くに汽車道か何かの古いトラス橋が見える夕暮れの街なかで、迷子になりそうなのでとっとと引き返します。駅の建物はマリみて線の経営母体である小笠原グループ横浜高速鉄道の社屋も兼ねているようでした。駅入口?券売機?改札というのったりした列を後目にさっさとパスネットを通します。

帰りはこのまま反町の先にあるはずの旧線合流地点を車窓から観察して渋谷まで戻ろうか、と思ったのですがもう暗かったし、渋谷くんだりから混雑する山手線で東京まで移動するのも面倒なのでまた横浜から東海道線で戻りました。狭っちい東海道線のホームの後ろの方まで歩いていくと頭上をトラスが横切っています。その右手は一昨日まで東横線横浜駅だったところです。まだ撤去作業などははじまっていないようでしたが、灯りは全部消えています。あのへんを全部取っぱらって東海道線と横須賀線のホームを広げるのでしょう。やってきた東京行は211系の0番台で、結構空いています。久しぶりにバケットシートのボックスシート(常磐線ではサハ411-1701一両しかないので)を一人で堪能したわけです。

今日の日記は比喩に関連した文体練習も兼ねています。
2004年2月2日(月) 天気:かぜ
かぜひきました。うー。
#なら早く寝なさい
2004年2月3日(火) 天気:あめ
「せいぜい1千万円でいい」北城氏が東京地裁判決を批判だそうで。一千億円の間違いでは。

ちょっと補足しておくと、件の判決は多分にアピールというか、打ち上げ花火の要素が強いと思います。「お白州の桜吹雪」ではなくて「開戦ラッパ」でなければならないと。北城氏の発言の真意がどのあたりにあるのかは知りませんけど、私の意見の趣旨としてはパテントサロンのコラム「中村判決雑感」あたりと大体同じ。まぁ日亜化学はいいダシにされたのだというべきでしょうか。
2004年2月4日(水) 天気:はれ
鼻に悪そうな乾いた空気が仕事場の室内に充満しています。床屋に行ったので外に出ると耳が冷たいです。帽子どこに仕舞ってあったかな。
#去年深川で買った奴>帽子

午後になって空気が乾いてきました。昼までは見えていた真っ白な富士山もかすんで見えません。体中から水分が蒸発していくようです。

腎移植ルール変更後、生存率8%低下 見直し提言へ って、それ有意な差なの?まぁ生データ見ないと何とも言えませんがね。少なくとも元記事の書き方だけでは「意味が通りません」。

あれ俺トゥーランガリラ持ってたっけという実存的疑問(=際にCDが在するかどうか的疑問)を止揚するためにケント・ナガノ&BPOの奴を買いました。いやね、600枚越えたうちのCD棚漁るのが嫌なんすよ誰かの演奏で持ってたと思うんだけどどこにあるのかな??音戸の丸殿(オンドノ・マルトノ)の「きゅにょぉぉぉおおん」という感じの音がBPOの濃密なアコースティック指向の管弦楽の響きになんだかミスマッチです。この曲における最大の失敗はオンドノ・マルトノを入れたことだ、と主張してみたくなったり。
2004年2月5日(木) 天気:くもり
・雨がざあざあ降り続いている地方(熊本っぽい)でのじゃりオケの「魔笛」公演の手伝いに駆り出されて山奥(阿蘇あたりらしい)に1週間ほど缶詰になることに。初合わせで「アンタたちあと一週間でそんなんで弾けると思ってるの?」などと早くもキレる指揮者を大人連中でなだめすかしたりした後何故か猿丸さんの広大な邸宅で全体打ち合。猿丸さん(スポンサーらしい)は私が未読の「まほろ」だの「おさんぽ王国」だのを貸してくれるというのだが、これから何もない合宿場所に籠って連日練習であり、読む暇あるのかな、そもそもこんなに毎日楽器弄ってたら上手くなっちゃうよとか思っていた。合宿場所で早朝にひぐらしが喧しかったらロケット花火で威嚇するのがいいかななんて考えていると目が覚めた。

・昭和15年ごろ、(多分)モスクワ市内の、中庭に面した大きなガラス窓が解放的なのにどこか古びたアパート。私は夢の中では私の母で、夢の中では自分の母である祖母と自分から見た弟(その頃はまだ2歳くらいだった)と暮らしている。母(祖母だが)は表向き某国の大使館事務員でありその実日本の「裏」外交官であり、モスクワを訪れる各国の政府要人やらスパイやらと日本帝国政府との間で隠密裏の交渉を「隠密裏に」行っていた。私は小学校高学年くらいで、母の持つ二重の顔をよく知っていた。母が不在の時はよく弟と、飼っているまだ小さな黒にゃんと遊んでいた。父は芸術系の人で(この後に作家として名をなすことになる…夢の中ではそういう設定だった)胆石だかの手術のためにしばらく前からベルリンの病院にいた。国際情勢が緊迫しつつある中、母のようなヤバい立場の人間がまだこちらに留まっているのは(表向き)そういう理由からだ。父の手術が成功したことを知り、私たちは帰国の命を受ける。不要なものは全部処分し、アパートはからっぽになった。今日は小学校でお別れ会だった。いっつもアパートの中庭で遊んでくれたともだちと手を降って別れ、私は片手にトランク、片手に弟を連れた母と一緒に歩きだす。街路樹の葉がひらひらと舞っている。ふと、弟が「おしっこ」と言う。仕方ないわねえあそこでしてきなさい、と簡素な公衆便所を指さす。弟はこらえきれずにおもらししてしまった。何となくばつが悪い。まだ汽車(飛行機だったかもしれないが、覚束ない)の時間にはたっぷりあるから、と母はアパートへ戻る。中庭からがらん、とした自分たちの家が見え、ホールにどこかの国のお偉いさんらしい一行がいた。今まで何人ものそういう人たちから接してきた感じからして、ゲルマン系の人たちのように思えた。私は道を譲りがてらイズヴィニー、とか何とか言ったようなきがする。母はこの人たちはいいのよ、と言ってアパートのホールの奥に引っ込んで彼らを見送った。そこには床にいくつものレリーフが飾られている。このアパートを訪れた各国の著名人の名を、大家さんがレリーフにして刻んでいるのだ。母に用事があって訪れた幾人もの政治家の名前が残っていた。それを指でなぞっていると母は階段を上がる。見慣れたはずのアパートの一室がふたたび私たちを迎え入れる。人が住まなくなった部屋はこんなにも殺風景だったのか、と思った。母はさあ服を取り換えましょう、と弟を奥のベッドに寝かせ、ドアの影に父がいた。
「あ、おとうさん」
父は驚いてちょっと硬直している母に構わず、お、元気だったか、と私に笑いかける。たしか私たちと合流せず、別経路で日本にむかうはずだった。気まぐれな父のことだから、コネを駆使して裏ルートでモスクワ経由で戻ることにしたのかもしれない。あるいは日本政府の指示で、何か一緒に帰れ、という指令でもあったか。かすかに覚えている父のにおいが確かにした。
「しゅじゅつ、おわったの?」しばらく見ないうちに父はすこし老けていた。日本でばいばい、と言って別れて以来だったかもしれない。3年ちかく見なかった父はそれでも父だった。
「おう。ほら、元気さ」
あらあらあら知りませんで。母がやっと動転し始める。何か頂きません?たいしたものはないと思いますけど、お茶づけでもいかが?なんて口走りながら冷蔵庫(電気冷蔵庫ではない。氷屋さんから氷を買ってきて上に載せておく、今でいうクーラーボックスみたいな鉄の箱のことだ。ソ連も夏はそれなりに暑くなるんで、そういうのがある)を開けようとする。中にはもう何にもないのに。昨日の夕ごはんに冷蔵庫にあるものは全部食べてしまったのに、それでも母は何か作ろうとする。母がいつか言っていた。毎日ね、お仕事から帰ってきたお父さんにご飯を食べさせてあげるの。それがお母さんの役目なんだ、って。それがお母さんがお父さんに「ほんとうにやってあげたいこと」だったんだ、と気づいたら私はそれ以上何も言えなくなった。お父さんはお母さんの動転も止めもせず、ほら、と私に一冊の文庫本を手渡す。今度お父さんが書いた本だよ。
「これ、お父さんが書いたの」
「おばあちゃんが書いた本、ってことなんだけどね」
「読んでいい?」
「あら、それお祖母様の名前で出すっていう」
「そうだよ。ま、あのばーさんに義理立てしなきゃいけない、ってこった」
表紙をめくると今は.亡き母方の祖母の名がある。本名ではなくて、号のほうだ。茶道ではかなり知られた家元である母方の祖母がつれずれに父に語って記させた茶道の奥儀にかんする本だった。手術を待ってる間暇で暇でしょうがなくってねぇ。それでまとめておいたら、岩波の方で出せるっていうからさ。あらま、いつのまにそんなところまで話が。お父さんの名前で出せばよかったでしょうに?ネタはみんなばーさんから貰ったもんだよ。自分の名前で出したらあの世で苛められっかんな。そうだね、と私は言って、そういう気遣いがお父さんの優しさなんだ、と思った。ぴらぴらとめくるといぜん私が日本にいたころに時々目にすることがあった墨絵で書かれた図(釜の切り方とか、理想的な茶室の設計図とか)があり、おくづけにちゃんと祖母の号があった。お父さん、これ読んでいい?ああ、読んでくれ、と父は言い、母はがらんとしたアパートの中でまだあたふたと右往左往していた。今、母の「任務」にかんして誰かが入ってきたらとりかえしのつかないことになるな、と思った。でも、アパートには差しあたって誰も入っては来ず、お父さんもこのまま日本に戻るまでみんなと一緒に居られるのかな、と思ったらわけもなく嬉しかった。まだ仔猫だった黒にゃんもスーツケースの上でにゃー、と鳴いた。

・あと一つ見たんですがさすがに煩悩炸裂だったんで書くのは止めておきます。リリアン女学園関連の何かが出てきたわけじゃありません。
2004年2月6日(金) 天気:はれ
「開かれたウリ党」って書き方、なんか夏の暑い日に畑から真桑瓜か何かをもいできて縁側で包丁で割ってかぶりついてるみたいなんで何とかならんのでしょうか。

美森さんの日記からサイバーノーガード戦法。「メソッドA」ですが、然るべきところを適当に書き換えれば今世界で猛威をふるっている「メソッドAmerica」になるだろう、と思いました。

NetBSDのfortune(1)で"Excellent day for putting Slinkies on an escalator."という文字列が出てきました。上りエスカレータに置いて延々と動き続ける、ってことでしょうか。位置エネルギー消費しないから駄目じゃんとか思うんだけど、ああそうか、個々の「リング」が「流れ落ちる」速度よりエスカレータの上昇速度が遅ければ動作するかな?うう、試してみたい…
2004年2月7日(土) 天気:風
Web日記占い。選択肢が少なくて結果が無責任に断定的なので解答して楽しいです。あれ、さっきやったのと結果が違うぞ。選択肢は何の関係もなくて結果がランダムに出るだけだったりして。というわけで「おどりこ さんは 思考日記 を書くと多くの人を魅了します。」だそうです。「あなたは純粋に自分の考えを論理的に推し進める形の文章で作られた日記を書くと成功するかも知れません。」。書いてるつもりなんですが、まだまだ精進が足りないということか。

というわけで、今日は多くの人を魅了してみようと思います。
かれこれ2年間ほどお祭り騒ぎのあと
意味ありげな笑みを浮かべて猟銃を持った男
上の言葉をすべて使って 夢に見た話 風にまとめると良いかも。

とのことですので、これで逝かせていただきます。

「見て見ぬふり日記」

2/7 夢日記

・楽器ケースを掴んで渡り廊下を急ぐ。楽器は肩当をつけたままケースの中だ。ファスナーは閉じていない。肩当の高さのおかげでそのままでは蓋が閉じないまま楽器をケースに納め、ケースの蓋の留め金の金属の輪っかとケースの把手を親指と薬指でつくった輪っかで繋いで楽器ケースの蓋が開かないようにし、そのまま体育館の袖まで持ってゆくのだ。何かのはずみで右手を離したら楽器が床に転がってしまう危険な運び方だ。真似しないように、と後輩には言い含めてある。チューニング場所である音楽室から階段を一番下まで下り、寒風吹きつける渡り廊下を経由して体育館袖まで、というルートは弦楽器を剥き出しで運ぶのには遠すぎる距離だし、かといって楽器をちゃんと仕舞い込んで、体育館の袖でまた店開きするというのもリスキーなことだった。いつだったか珍しく校長の話が短かった時(校長室にサン=マルティーニの「猟銃を持った男」(ということだったと思う。夢のことなのでよく覚えていない)の模写を掲げた、とかいう話だった)があって、その時は本当にお祭り騒ぎだった。そう、月一の全校朝礼の折りに管弦楽部が校歌斉唱の伴奏をする、という伝統がこの学校にはある。いつ、どういった理由で始まったことなのかは「昔からやっていた」という顧問の森先生やOBの証言以外には詳らかになっていない。しかしそのおかげで、僕は入学してからかれこれ二年間ほど全校朝礼にまともに出ていない。クラスメートたちが棒立ちになって校長の、これが大喜利なら座蒲団マイナス一万枚という寒いギャグがてんこもりのスピーチを聞いている間、管弦楽部は暖房もロクに入っていない音楽室で楽器を出してチューニングをし、簡単に合わせを行い、校長の長話の間に迅速に体育館のステージ袖に移動して静粛に待機する、ということになっている。迅速に、かつ静粛に。あくまで建前の話ではある。実際にはいつものように遅れに遅れる通学バスから降りるなりものすごい勢いで廊下を疾走して音楽室に向かい、今日のような冬場なら弦楽器はまだいいものの管楽器はかちんこちんに凍りついたように冷え切っている楽器を一肌だの日向だのまだロクに稼働していない集中暖房のファンネルの前で温め、一般の生徒が体育館に勢揃いしている頃にやっとオーボエの出すチューニングも半音ちかく低い状態のままとりあえずイントロだけトゥッティで音出しして、それからふたたび楽器を仕舞って(あるいは仕舞うふりをして)わらわらと体育館に向かう。管楽器の誰かが遅刻したりするとまさにお祭騒ぎだ。コンサートマスターの鳩山が遅れてる奴(たいていフルートの二階堂とかホルンの与謝野とかベースの海江田とかだが)に電話を飛ばし、そういう場合に限って「電車の中でおっさんに電源切れと言われた」とか「充電忘れてた」とかの理由で通信途絶していたりするから、体育館の袖で非常にしばしばこういうやりとりが交わされる。「あいつが来なかったらお前ここ吹けよな」「無理ですよそんなの!絶対ダメですさらってないしいきなり言われても無理だし」「馬鹿やろう、先輩のゆーこと聞けねーのか」「止めてくださいお願いですいきなりなんて無理です大体どうすんですか誰がここの対旋律やるんですか」「ヴィオラと一緒だろう?音がなくなるこたない」「えーだってでも」「だっては吹いてから言え」「何だったら僕が吹きましょうか?」「…ダメ。俺はコンマスの責任としてだな」「でも、やっぱり楽器の違いはあれ、吹きたい人が吹いた方が」「わかった。学食の食券1000円分でどう」「…おい、そろそろ校長の話が終わりそうだぞ」「1000円ですか(?_?)」「2000円」「えー」「5000円」「…わかりました」「いいんですか鳩山さん?」「構わん。与謝野は金持だ」こうして、ただでさえややこしい管弦楽部の人間関係は更にややこしくなってゆく。今日はめずらしく遅刻者もおらず、のんびりと江田と駄弁ったりしていたらちょっと遅れてしまった。急ぎ足で下駄箱の前まで行くと、楽器を持って体育館脇の渡り廊下に楽器を抱いて待機している純ちゃんがいた。おはよ、と僕は声をかける。おはようございます、とちょっと伸びぎみのボブカットが振り向いた。くりくりっとした瞳の下にマスクをしている。ここ何日か風邪ぎみなのだった。SARSや鳥インフルエンザではないだろうかと僕は心配してみたりしたのだが、彼女は何心配してんですか、と言う。そしてくしゅん、とくしゃみをする。

ヴィオラパートの後輩として入ってきた純ちゃんの制服の襟口に尺取虫が這っているのを見つけたのは今年の5月のことだった。やはり全校朝礼でスタンバっていた時のことで、初ステージで緊張していたはずの彼女は僕が彼女の、その時はベリーショートだった下に産毛が残るうなじからほど近いブレザーの襟から若葉色のそいつ(まだ体長1cmくらいだった)を自分の指に這わせてやるまでかっちんこっちんになっていてまるで気づかず、つんつん、とつつくとえ、え?何ですか?と動転して、ほら、尺取虫、背中に這ってたよ?と見せるとあ、尺取虫ってこんななんですねえ?初めて見ましたぁ。こら、声が大きい。あははは、すいません、逃してきますね?とそれを掌で受け取り、渡り廊下の脇にある植え込みに尺取虫を逃しに行った。指先を這っていた尺取虫が一瞬立ち止まり、彼女の小さな掌に乗り移る。わあ、可愛いですねえ?と純ちゃんは言う。掌は緊張のためか火照っていて、ずいぶん柔らかそうなそれは自分の掌よりずっと小さいように見えた。その時僕はステージで何となくずっと彼女の方を見ながら弾いていた。無事に校歌の伴奏が終わり、袖に戻ったとき純ちゃんはなんだかお祭り騒ぎのあとみたいですね、と言って、それから小さくくしゅん、とくしゃみをした。お祭り?だって、ふいんきがそうじゃないですか。ふいんき?思わず聞き返すと純ちゃんは何がおかしいのだろう、という顔をした。雰囲気(ふんいき)、でしょう?そ、そうなんですか?えーうっそー。変な子だなと思った。やっぱり辞書で調べたら「ふんいき」でした、と電話がかかってきたのはその日の遅く、もう日付がかわったてとうに経つころだった。やっぱり変な子だよと僕は確信した。その印象は今でも変わらない。くしゅん、とくしゃみをしたそのテンポでマスクを外す。マスクしてちゃまずいですよね?なんて聞かれる。んー、さあ?知らない。かっこわるいから外しますっ。弾いてる時にくしゃみして鼻水出すなよ?そんなことしませんよう?くしゅん。

校長の話が終わったらしい。スタンバイ、というひそひそ声がステージの袖に近いところから伝染病のように伝わってくる。自発的なひそひそのかけ声に、校長の話の間ずっと止むことのなかった私語が潮のように引いてゆく。管楽器の連中がふー、ふー、と管に息を吹き込みはじめる。待っている間に冷え切ってしまった楽器を少しでも温めようという無駄に近い努力だ。夏場はかわりに湿度100%に限りなく近いですみたいな環境の中で弦楽器の弦が切れまくるという、いずれにせよ困った環境である。
ファゴットの丹羽がいつものように楽器を構え、「猟銃を持った男」みたいな感じで出てゆく。音程と音色とリズム感がいまいちなのを除けばいい奴だと思う。管楽器に続いて弦楽器が入場する。さ、行きましょう?純ちゃんが意味ありげな笑みを浮かべて、それがくしゃみをこらえているような表情に歪んだ。さ、いくよ?プルト裏の純ちゃんが先に出てゆく。そのすぐ後を追う。雑談で緩んでいた頬をステージに一歩出た瞬間に引き締める。かれこれ二年間も続けていれば、無意識のうちに習慣になってしまう。全校生徒の倦怠感を含んだ投げやりな視線がステージに向けられる。今日は比較的平和だったけど、こっちだっていつも大変なんだから。指揮台の前に目障りに置かれた教卓の上に教務主任の筋肉馬鹿の体育教師がいる。校歌斉唱を生オケ伴奏のカラオケと勘違いしている44歳バツイチのエロ親父だ。部長が指揮台に経ち、棒を構える。体育館のざわつきはいつものように、収まらない。

対旋律の部分。ホルンの音程が定まらない。今日はみんな眠いのだろうか、いつにもましてテンポが遅い。ぼそぼそと聞こえてくるやる気のない歌声が指揮のテンポに一拍は遅れているきがする。繰りかえし。1括弧の一瞬の休みで、純ちゃんが鼻をすすったのが見える。いつも隣にいるから、言われなくても彼女の姿は視野に入る。サビの部分。恥ずかしいほどの大音量のトゥっティ。純ちゃんがついにこらえきれずにくしゅん、とくしゃみをし、鼻汁が楽器に飛んだのが見えた。後で冷やかしてやろう、と思い、その場は見て見ぬふりをした。
2004年2月8日(日) 天気:朝は冷えるらしい
昨日の日記はなんだかものすごい勢いで妄想日記になっていたようなので、結局多くの人を魅了することはできなかったようです。いや、元は夢ネタなんですよ?設定以外全部どっかにいっちゃってますけど。

水曜日の日記、有意かどうか検証するのは実はなかなか難しいと気づきました。ってよく元記事読んだら「有意かどうかはわからんが」って断ってあったやん。ただ、生存率/着床率の低下はルール変更の時点で当然予想されることで、あくまでポリシーの問題に帰着させたほうがいい議論かな、とも思います。

午後からベルデを聞きに行きます。900人以上入っていて開演前の入口だの休憩時間のホワイエだのは大変なことに。さらには大学の先輩から近隣オケの顔見知り程度の人にいたるまで舞台の上下を問わずうじゃうじゃと。けんたろーさんよく吹くよなとか米本さんベートーヴェンがあってるなとかいうところ。ちなみにピアノはベーゼンの方でした。ベートーヴェンだからね。そういえば「皇帝」ってやったことないや。第二、第三楽章はどうもベトコン(弦楽器弾きがそうゆーたらヴァイオリンの方のことだ)と印象が混ざってしまっていました。あー、そういえばこんな曲だったんだというかんじ(ぉ。帰りに翠芳楼で新製品らしい酸辣湯麺を食べて戻りました。
2004年2月9日(月)  天気:くもり
「読みが長い漢字」流行っているようですが、形が面白い漢字で紹介されている一文字目は「由乃さんと祐巳さん」と読むと思います。あと

で「かぜのはやっているさま」というのも考えたんですがあんまり面白くないですか。そうですか。

Bright Shengの管弦楽曲(NAXOS 8.5558666)。いつかの「黄河」みたいだったらどうしようと思ったんですが、普通のモダンな管弦楽曲で安心しました。
2004年2月10日(火) 天気:多分晴れ
マリみてでGO!。おどりこはドリ子(←de facto standard 的呼称)さんタイプだそうです。あー、たしかに可南子みたいなタイプとは生理的にソリがあわないかもしれない。祐巳ちゃんみたいなのも見ていてハラハラドキッチョのモグたん(←古)しそうな気がする。ただ、「周りには自然と人が集まります」はちょっと嘘かも。「気がつくと周りに同類項なヘンな人がわらわら集まっています」が正解。「自信に溢れたあなたの発言には説得力があり、安心感を与えます」に至っては大分嘘だ(笑)。特に「安心感を与え」るあたりが。「細かいチェックさえ怠らなければ、事業などで大成するでしょう」だそうですが、「細かいチェック」がぢつは一番苦手なのよねぇ…
2004年2月11日(水) 天気:はれ
暇なので上信電鉄に。ひたち野うしくでお金を下ろして行こうと思ったらいつのまにかリフレが土日祝日休みになっていて往生しました(中にしかATMがない)。こういうのは非常に困ります。

帰りにほぼ20年ぶりに「草津」の185系200番台に乗りました(0番台は未経験)。内装はただの転クロからふつうの(安っぽい)リクライニングに換装されていますし、化粧板などもその時に交換されたようで、齢20年以上ということを考えれば丁寧に使われている方だろうといえるでしょう。もちろんスーパーひたちや最近の新幹線と比べるとどうしても「内装が多少豪華な普通車両」という印象は免れません。無駄に編成単位が長いので転用先もそうそう見あたらないんでしょうね。今さら大改造して使うのも二度手間なのでしょう。そもそも153系や165系の代替として作られた車両なのだから、クモハ185といった車両を作って貫通式にして3両や4両で運用できるようなシステムであるべきでした(4両は組めるのかな?)。
2004年2月12日(木) 天気:はれ
朝日新聞の「声」イラスト事件(といっていいのだろうか)のおかげではじめて「銃とヘルメット」というのがそういう意味なのだ、と知ったわけなんですが、つまり何ンにも知らない人間(が少なくとも一人ここにいたわけだ)には、件のいささか悪趣味な皮肉を込めたイラストはあっさりスルーされてしまうということになります。義務教育で教えられることでもないのに、イラストを見て兵士の墓を連想できる人が朝日新聞の読者にどれだけいただろうか、とも思います。というわけで朝日新聞には今後、悪趣味は悪趣味でももっと「わかりやすい」何かを期待したいです。サマワの街の広場、こないだまでフセインの銅像があったはずの場所に立つ小泉首相のどでかい銅像、とか。

それはともかく、澁川氏の主張には問題があります。国家やマスコミなどの権力主体の主張の問題から一旦当事者の、個人の視点に話を落としておきながら、結論は「いつまでもゴネとらんと新聞社は自衛隊をサポート汁」なのですから。つまり、元のイラストが問題であるとする根拠である「隊員の家族の気持ち(澁川氏は自衛隊員家族にアンケートでも取ったのだろうか)」は澁川氏が自分の主義主張でもって朝日新聞という権力を叩くためのいいダシにされてしまっています。当事者である自衛隊員とその関係者を結局疎外するという構造においては国家も戦争も、朝日新聞も澁川氏も変わりません。そしてそういった疎外が言論という「戦いの場」において不可避なことだというのであれば、まずは目の前にぶら下がっているより巨大な疎外の方から叩くべきです。そう、澁川氏は隊員の家族の心配をして朝日なんかつるし上げるより、戦争と、戦争をし向ける主体である国家そのものをまず糾弾するべきだろうと思います。あと、花瓶と花のいじめの問題は引き合いに出す例としてよろしくない気がします。自衛隊関係者にとっての朝日新聞は生徒にとっての先生とは到底言えないだろうから。どっかの国の子が「お前の国、戦争ばっかしてやーい」なんていじめられる、とかいう方がいいと思います。
2004年2月13日(金) 天気:はれん
現代日本語において、話しことばと書きことばが大分違っていたら面白かったよな、とときどき思います。

「静しゃまな、志摩子しゃんのこつば好いとったとですか!?」
「うんね、祐巳しゃん。静しゃまな、そぎゃんこつば言いたかとじゃなか」
もちっと黙っとって、と志摩子さんに注意されて、仕方なく口にファスナーする。
「おうちんとって、そぎゃん悪か話じゃなかと思うと」
祐巳は心の中だけで「ほんなこつ」とうなづく。
「考えといてくだはり」
五時間目の予鈴が鳴って、静さまは立ち上がった。
「待ってくだはりませ」
志摩子さんはすぐに追いかけた。
「立候補云々についてはまだ結論ば出しとりませんけっど、こっだきゃあこん場で言わさしてもらいます」
「何でしょか」
「今後何があっても、うちはおうちん妹になっつもりゃなかとです。おうち以外の(だっ)でんあってん同しです。うちんお姉しゃまな、佐藤聖しゃまただ一人(ひとっ)です」

…風情のカケラもないようになってしまったと思うのは私だけでしょうか。異国情緒漂う長崎の言葉だということをさっ引いても。
2004年2月14日(土) 天気:はれ
昨晩はmikenekoさんから九州のおみやげを貰いがてらなか卯に行きました。ストラップありがとうございます>mikenekoさん。話題の豚どんぶりですが、牛丼に似せたいのかどうなのか、というところ。家で作れるとまではいいませんが、半端な味です。もっとも以前から日や時間によって牛丼のあたりはずれが大きい店だったので、たまたまかもしれません。肉うどんが豚肉になっていたのですわいわきの豚生うどんの再来と期待しましたがこれもやっぱりってところ。肉うどんには生姜をつけてくれるよう関係各機関には強く要請します。やっぱり親子丼屋なのね。

今日の夕方はすき家で豚丼でした。こ れ は い い 豚 丼 で す ね。生姜焼っぽいという噂どおりです。ただ、セットについてくるような卵をかけると生姜の風味が消えてしまうのでお勧めしません。キムチもあんまりよくないかも。騒ぎが収まったあとも可能なら継続してほしいです。

学園地区中心部にはあまりジャンクフード屋がなかったんですが、東大通り沿いに郊外型の吉野屋が開店準備中でした。JAXAと物質研究所の正門から歩いて2分のところにあったガソリンスタンドが過当競争で潰れた跡地に建設中で、開店すればこれが家から最寄りの吉野家になる予定でした。11月ごろにできると聞いていたのですが工事が遅れ、1月末開店にむけて従業員募集という広告が出たのが12月頭でした。現在、建物は完全にできあがっているもののパイプ組みのゲートで敷地の入口も塞がれ、真っ暗なままです。というわけで、今回のBSE騒ぎはJAXAと物質研の食堂による陰謀という説に一票。
2004年2月15日(日) 天気:はれ
たまにはいじってあげないとと思ったのでヴァイオリンの日。右手から力が抜けるのに時間がかかりますね。物理的にはほんのわずかの差なのかもしれないけど(ヴィオラとヴァイオリンでは弓圧が、つまりそれを与える右手から弓に与えるための力が少し違います。鳴らさなければいけないハコの大きさがそもそも異なりますから。その差のことです)。あと安物のきわみな弓がヘタレているというのも大きいです。弓は右手から楽器にエネルギーを与える道具であると同時に楽器本体と右手というかたや木工製品かたや人間の体の一部というまるで異なった物体の間のダンパであり、つまりそこには柔軟性が要求されます。そういう役割を要求される場所である弓がヘタレていると、つまりダンパとしての機能に問題があると、結局その柔軟性の部分の大部分は右手でカバーしなければならなくなります。いい弓がほしいな。どっかに札束落ちてないかなー。
2004年2月16日(月) 天気:はれ
「冷やし唐揚げそば」などという呪文を書いてみるてすとサークル先輩いわく「揚げたての唐揚げに上からつゆをかける時のジューという音が絶品」というものでした。いわきの、恐らく数多く存在したであろう「裏メニュー」のひとつであり、「出来なくなった」という噂とともにいつしか人々の記憶から忘却されてしまったメニューです。同じ揚げ物ということで、どちらかというと「冷やしかつそば」の方が好みでした。いわきがなくなったおかげで自炊率が大幅に上昇したのはここだけの秘密です。

きわめて一般的な経路です。長旅というほどのものではないと思います。ちなみに富山からお乗りになったのは「日本海」じゃなくて「きたぐに」ですね。一度全区間乗りたいと思っている列車なのですけど>きたぐに。
2004年2月17日(火) 天気:はれかも
「中央センターにはどうやって行ったらいいんですか」なんて聞かれて吹き出しそうになるのをこらえる羽目になりました(正解は「つくばセンター」)。

この間の、聖×祐巳だとそれほど違和感ないかも、と思った。たとえばこんなふうに。

「忘れ(もん)、でしゅか」
「あぁ、祐巳しゃん」
気がついて、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)は「きなはり」する。
「悪かばってん、閉めて拝領(はいよ)

「教室んね、お別れば()いかったと。図書館で時間ばつぶして、みんながぃなくなった頃合ば見計らって戻ってきたと」
(わろ)うてよかよ、と自らが笑った。
「三月いっぱいな籍んあっとばってん、明日ん限りにこん場所から出ていかんとならん、て考えたら、なん、感傷的になちしもうて」
「リリアンば去っからでしゅか」
「いろんなこつ、あったけんね」
「いろんな」
「楽しかこつ、苦しかこつ、心残りなこつもあるばってん、よか思いでになったこつとか。高等部ん三年間がね、こんまでん人生ん中で、いっちゃん濃厚だったと思うと」

「ロ、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)、うち!」
「な、何な、祐巳しゃん」
「うちん、何か出来(でく)るこつ、あるまっしぇんか」
「祐巳しゃんに?(なん)ね?」
「頼みたかこつとか、して欲しかこつとか、約束とか、托したかこつとか」
「何ーんな、そる」
「何でもよかとです。志摩子しゃんのこつとか、ランチ…んね、ゴロンタんこつとか、何かあっでしょ、一個くらい」
「なかよ」
「はっ?!」
「だけん、なかてば。祐巳しゃんにお願いしたかこつなんて。ゴロンタな、もう大人だけん人間(ひと)がエサばやらんちゃ平気だし。一人で生きてけんようなら、野良やっちょる価値なかもん。
それんな。うちが頼まんちゃ、祐巳しゃんな志摩子ん危機ば無視でけんでしょ?見苦かこつば人ん前に晒したっちゃ、志摩子ば助くるためなきっと渦中な飛び込んでくるっと思う。だけん、純粋な友情ば存在しとっそん場所に、うちん気持ちなっと必要なかと。
仮にな、祐巳しゃんが、うちに頼まれたから志摩子ば助くるちう(じん)なったんなら、やっぱうちな志摩子ば助けち、なんて言わん」
「でも、うちな白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)んために何かしたくて」
「餞別、ちう奴?」
白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)は机から飛び降りて伸びをした。
「んー、そぎゃんこつなら、お口にチューでもしてもらおうたい」

……
………
「愛しちょるよ、祐巳しゃん。おうちとじゃれ合っとっとば、本当(ほん)に幸せだった。祐巳しゃんになりたか、てうちは何度か思うたよ」
「愛しちょる、って()っでん言うとっとでしょ」
「ん」
2004年2月18日(水) 天気:はれ
唐突ですが、そして今さら言うまでもないことですが、山田風太郎が面白くて仕方ありません。何より文章がいいです。

音楽も文芸も再現芸術だと思うんですよ。もちろん絵画だろうが建築だろうが映像芸術だろうが、基本は一緒ですが。「それを見聞きしたり知ったり読んだり眺めたり歩いたり嗅いだり感じたりした誰か」が、つまり「他者」に何を感じてもらえるか、という以上のことは、すべての芸術的表出にはそれ以上のことは
できないと思うんですよね。芸術の発信者は「俺はこう思うんだ」以上の発言権はない。誰がいつどこでどういう精神状態で己が芸術作品を受容するのか、発信者は100%の責任を持てませんから。芸術の受け手は、発信者に対して「自由」です。例えば極端な話、ルーブルで「モナ・リザ」を見た誰かが「何でこんな女がいいんだ」と例えばWeb日記で言明したところで、ダ・ヴィンチは彼の発言に対して抗弁することができません。そして、少しでも責任を持てない可能性がある、ということがわかってしまったら、その「完璧ではない責任」に拘泥するのは単なる労力の無駄だろうと思います。言い替えれば、歴史の荒波に揉まれてなお現在に至るまで生き残ってきたすべての芸術作品はすべてそういった不特定多数の視線に耐えてなお芸術的価値を持つものにちがいないだろう、といえます。

さて、対して受け手の方はどうか。発信者に何らかの制約が存在する以上、受け手はその上でさきに延べたような受け手の「自由さ」を自らに保証するために、何らかの前提を必要とします。おそらく、それは受け手の、発信者に対する「誠意」だろうと思います。発信者がそこで何を発信したかったのか、受け手はそのことについて最大限の関心を持ってそれを理解し想像し共感し、必要あらばすべての手法をもって発信者の心理に近付かなければなりません。誠意、と書いたのはそこに何らかの人間的信頼が存在するだろう、と思うからですが、つまり、発信者と受信者お互いがまず「自分(たち)は芸術が好きである」というテーゼのもとに信頼した上で、お互いの間を埋める溝をそのテーゼに沿って可能な限り「埋め立てた」上ではじめて、その上で受信者が発信者を理解できたか、できなかったか、あるいはどの程度理解できたか、と言明する自由が発生するだろう、と思います。無制限の自由が実世界においては単なる絵空事である以上、私たちは自由に付帯して回る制限に対して無自覚であってはなりません。そして少なくとも芸術に関しては、その制限は「芸術に対する誠意」によってしか規定され得ないでしょうし、そしてそんな規定を許すのは個々人の、芸術に対する「好き」、でしかありません。さきの例えでいうなら、「モナ・リザ」の美に異義を唱えた誰かさんに別の何とかさんが反論するためには、誰かさんも何とかさんも等しく芸術を、そしてそれを好きであるという感情を共有していなければならないだろう、と思います。
2004年2月19日(木) 天気:はれてました
茨城の不思議ドリンクなるものが評判になってるみたいですけれど、「北茨城の常陸多賀駅というところへ出かけたときに」という謂いはどういうつもりでしょうか。筆者は北茨城市という地方自治体名が存在することすら知らない「田舎者」ということなのでしょうか(ここでいう田舎者とはもちろん世間一般においてはきわめて自明であるところの「自分達が住んでいる場所(例えば東京23区内とか)以外についてまるで知らない地理音痴」という意味です。ああ、それは彼/彼女が知らない土地に住むものにとってどれほど迷惑な存在であることか!言い替えれば、自分がよく知らない土地のことについて何か書くのであればそれくらいは調べろといいたい。編集部は何をやっておるのか)。かりに日立市が茨城県において「茨城北部」であると多くの場合認められる所であったとして、「というところ」とはどういうつもりか。たとえばあなたが日本人だったとして、そのへんの中国人やアメリカ人にたとえば「日本というところに行ってみた」なんて書かれたらどう思うか。多少なりとも馬鹿にされたと思わないあなた=日本人がもしいるのなら見てみたい。筆者は「何々というところ」という言い回しにともなう疎外のラングに対して少なくとも自覚的であって欲しかった。もし筆者のような言い回しを私も平等に使うことができる、というのなら、私は例えばこういうふうに言うことができる。「山手の渋谷というところへ出かけた。山手線の列車の扉が開いたとたん、『吸えるのか?!』という思わず震える雑菌と塵芥にまみれた空気と遭遇」といったぐあいに。私はここで渋谷のあたりに滞留している空気が常陸多賀の駅前の雑貨屋で売られているドリンク以上に不衛生なのだと言いたいのではない。さきの記事の筆者が感じたような「レアな感じ」は「都会=東京=常識」対「田舎=茨城=常識外」という対立項を前提とした、悪く言えば排他的、ぶっちゃけて言えば先入観のもとでの、その実あくまで相対的なものにすぎない、といいたいのである。さきの記事の筆者である彼/彼女は上野から乗り換えなしであっさり到達できる常磐線の特急停車駅である常陸多賀の駅前でいちいち驚いている暇があったらイラクにでも取材にでかけるべきだろう。だってその方が、札幌でも売ってた気がするような「不思議ドリンク」なんかよりずっと刺激的ななにものかに出会えるはずだ。そりゃあたりまえだろうって。だとしたら、そんな差異を足掛かりにして逆に東京を振り返ってみよう。わずか150kmほど離れたくらいで「とのこと」「だったとか」などといった言い回しで表現しなければならない何物かが確かに存在している東京とは何と、地理的、歴史的に狭く色褪せた矮小な存在であることか。

追記。記事中に「北茨城市」という地名は出てきますね。でもだったらなおのこと「日立市」とか書いておいてほしかった。あと、別にヘンなドリンクを探したりすることには何の文句もないです。「というところ」という書き方が好きじゃないだけです。
2004年2月20日(金) 天気:はれ→くもり
昨日みたいに酔っ払って書くとどうも攻撃的ですな私。いつものことか。

女書―消滅に瀕している中国湖南省の女性文字。「この地の女性たちは、少女のころ、血縁はないが、仲のいい娘同士が姉妹の契りを結ぶ、「結交姉妹」の関係をもつことが盛んであった。」(仝コンテンツより引用)
…先生、大変です!(ぉ
2004年2月21日(土) 天気:あつ
実家に戻ったら、商店街に近藤勇などと書かれた新撰組の旗を模した幟がいっぱい立っていました。ほかにネタはないのか>流山。そもそも実家のある場所は合併で旧流山町に編入されたというだけの場所で、縁もゆかりも何ひとつとしてなかったりします。
2004年2月22日(日) 天気:ぐぉぉぉぉぉおおおおお
自転車で流山大馬鹿おおたかの森建設現場まで行ってみましたが、西部開拓時代の荒野みたいに砂埃が空を茶色に覆っていました。あと一年半で沿線開発を何とかしないとぎん色の電車じゃなくて茶色の電車になっちゃいますよ>TX。駅の施設は半分ほど完成していて、あとは東武線側の駅をとっとと作らんとねというところです。線路の方は、秋葉原側は架線の支持腕は取り付けが終わっていますが、線はまだ張られていません。



「あのねぇ。私は世界中の人たちにわかってもらわなくていいの。大切な人にさえ、わかってもらえればいいの。わかる?」(ISBN4-08-614591-X p.125)

「ショスタコーヴィチの証言(ISBN4-12-203852-9)」。発表当時これがセンセーション扱いされたことの一因は、ヴォルコフがインタビューしたときのショスタコーヴィチがすでに老人だったからだろう、と思う。「ソヴィエトを代表する現代作曲家」とチェーホフの戯曲の登場人物なら「かわいそうなおじさん!」なんて言われかねない、体の自由も効かなくなってなお音楽にのみ忠実であろうとしつづけた真面目人間のギャップに読み手はショックを受けたのだろう、というきがする。ここでのショスタコーヴィチは多くの意味において老人だ。だからひとはこれを、例えば生真面目で実はしたたかで海千山千であるところの、ドストエフスキー的な造型がそのまま作曲家になったような(つまりはロシア的な)人間の回想録として読むべきだろう。そしてこれを語っていた時のショスタコーヴィチが、どういった音楽をその時に書いていたか、残そうとしていたかについても。弦楽四重奏第15番とか、最後の作品となったヴィオラソナタとか。解説で池辺晋一郎が「厳密な言い方で二〇世紀の作曲家であった」と書いているこの作曲家の到達した裡がそういった作品たちだったのだとしたら、20世紀はいったい、どんな時代として総括されるべきだったろうか。そんなことを考えた。
2004年2月23日(月) 天気:view view(謎)
おかえりなさいませ

とんがったプロやりたいなあ。ヴァーグナーとコープランドとショスタコーヴィチでアンコールがバッハとか。自分にとって「度を越えて好き」ではないけれどいつだってどこか気になる種類の作曲家たちとひとしく向き合ってみたい。コープランドって昔は弦つき吹奏楽にしか聞こえなかったんだけど、9.11の後くらいからかな、この国の、マスコミなんかには出てこない部分のメンタリティについて「わかった」と言えるようになりたかったし、その手段として自分には伝統的な西洋音楽の素養があった。真面目に聞いてみたらなんだ、ずいぶんいいじゃない。そして同時に悲しくなった。それは音楽の持つ「強さ」と現実との、音楽がおそらくあえて捨て去った世界の一部分との間にある断絶が見えたから、だろうと思う。具体的には、こんなにいい音楽を持っている国がなんで戦争ばかりふっかけるのかね、と思った。

ある(いくつかの)意味で、音楽は現実社会より「強い」。そして人々は(民衆は、為政者は、革命家は、独裁者は)その強さを利用してきた。それは音楽に対する簒奪だ、とショスタコーヴィチは言ったわけだけれど、おそらく「音楽を(自己表現を)誰かに喜んでもらえる」欲求はそんな現状認識より根の(業の)深いものなのだろう。でなければ誰が大ホールを埋めた幾千もの聴衆の拍手を期待するだろうか。でも、それを判った上で、だからこそ。上に書いたような一見悪食でしかないようなプロで、最高の演奏ができたらいいと思う。それは演奏者自身の音楽に対する最大の誠意の表出であるとともに、聴衆に対する、音楽それ自身以外の全ての意味における裏切りだろうと思うから。
2004年2月24日(火) 天気:くもっぽ
すき家の豚丼で試行してみています。

・キムチ豚丼
あまりよろしい感じがしなかったことに関しては先に予測したとおりです。具体的には、にんにくと生姜の味覚および風味上におけるニッチの奪い合いが、丼ものという比較的シンプルな食品構造上でその饒舌さを生かし切れていないように思えました。登場人物が3人しかいない物語で、そのうちの二人が由乃さんと瞳子だったら、普通はたとえば残りの一人が蔦子さんとか、それくらい濃い造型でないと釣合が取れないでしょう。何というか、二人の喧嘩を前におろおろする桂さんか何かを見ている気分でした。

・豚皿定食
一部朝定の24時間メニュー化と同時に「定食」グループに編入された「牛皿セット」の現在の姿です。生姜焼風味の肉を別に摂取すればそれは生姜焼定食になるのでは、という期待があったのですが、結論からいえばあまり芳しくありませんでした。本来ご飯の上に乗ることを期待されて味付けされているため、単体では味が濃すぎます。生姜は食品にさっぱりした風味を与える性質を持っているのですが、味が濃いままの状態にそんな風味が加わると「ボブ・サップが制汗スプレーのCMに出ている」とでも表現すべき違和感が出現します。これでは中途半端、悪くいえば逆効果です。生姜以外の要素が牛皿のそれを踏襲していることも半端な印象を加速しています。

・きんぴら豚丼
きんぴら牛丼はその半端さがあまり好きではありませんでした。何故かというと、例えば私の手元に牛バラとごぼうとにんじんがあったとしたら、私はそれを一緒にして料理します。決して「牛肉料理」と「ごぼうアンドにんじん料理」という別々のものにはしないでしょう。ましてや別々に料理したそれを同じ皿に載せて盛りつけたりはしません。アンサンブルのセンスのない演奏を聞いているような気分になるだろうからです。さて、これが豚だったらどうか。豚肉はごぼうやにんじんに対して、恐らくは牛肉よりは「合いにくい」と私は思います。言い替えれば、別々に料理してもかまわない。が、その「合いにくさ」は致命的なものではない。一緒の皿に盛りつけることはできる、という認識です。今のばあい、牛肉ときんぴらの間には確かに感じられた違和感は、より合いにくい食材の組合せになることで相当に低減されているように思います。もっとも豚肉とごぼうとにんじんの、牛肉に比べた合いにくさは調理の方法如何によっては解消できるほどのものだと思いますので、きんぴら豚丼の完成度は高い、と言及することはあえて控えておきます。
2004年2月25日(水) 天気:くもりはれ
ネタがない日にはWeb占いものが便利です。

女性のための体占い(エロチック街道さんより)。別に女性じゃないけど。『あなたを、からだのパーツであらわすと・・・ 「耳」です!』だそうです。いや、確かに耳の性能は結構いいんですけど…。
2004年2月26日(木) 天気:くも
どうも変な夢ばっか見るので、mikenekoさんから借りたナディアのDVDなどを見てから寝てみたのですが、午前3時に近所のコンビニで買い物の内容を巡って店員であるインチキエコロジストと喧嘩して負かしてしまう、という夢を見ました。ナディアと関係があったのかどうかは謎です。
2004年2月27日(金) 天気:ぽっかりと浮いた雲が
小川 小橋の左ひざ破壊」。どこぞの川にかかってる橋が流されたと思った私は脳味噌がどうかしてるでしょうか。
2004年2月28日(土) 天気:はれ
更新されたようなので覗いてみたら昨日みたいな本当にどーでもいい記述を読まされて損した20人くらいの人に謝罪しておきます。ごめんなさい。といいつつ今日も結構どうでもいい日記です。

ナディアの残りを見るのだなどと宣言していたのに古本屋で佐藤幹夫の新書だの池波正太郎の文庫本だのを購入してだらだら読んでしまう休日。「精神科医を精神分析する(ISBN4-89691-644-1)」はルサンチマンの遠いエコーを響かせつつ炸裂するウィットの羅列が楽しい。読後の感想としては、筆者を「センセイ」ではなくて、先生と呼びたいです。別に褒めてるつもりはない(←ウィット返し)。
2004年2月29日(日) 天気:はれ
雄木禽(おききん)は美深の近所にある地名で、1/25.000地形図の図幅名にもなっています。で、由来は何だろうと調べていたら(ちなみにo-kikinni-nai沿いの土地ということみたい)ダイオキキンというtypoを発見しました。

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