| 2003年12月1日(月) 天気:台風だか木枯らしだかどっちかにしろよって感じ |
| 衣更え予定も先送りに。 『「自衛隊が攻撃されたら反撃、殱滅を」 石原知事が発言』。敵を追いつめてみたら米軍だったりして:-) ※そうだったらよりいっそう大手を振って殲滅(どかばく 東京芸術劇場12回分で「がらがら」とは如何に。何、東京ドームって5万人も入るのか。人大杉です。それはそうとセザール・フランクは客の入りが少ないと聞いて「ならよく響くだろう」って言ったそうですね? ※商業主義とt.A.T.u.については以前から意見があります。 |
| 2003年12月2日(火) 天気:はれのよてい |
| 合格おめでとうございます。というわけで今度からETCにしましょう(論点違) |
| 2003年12月3日(水) 天気:はれ |
| 土浦駅の月見そばと水戸駅のけんちんそばがご飯でした。栄養なさすぎです。そばをすすりながら壁のお品書きを眺めて、けんちんそばに納豆を追加したらおいしいだろうかと考えていました。あとは玉子納豆そばとか。納豆に玉子は一般的ですし。駅そばにしては多少値が張りそうだけど今度色々頼もうと思います。 |
| 2003年12月4日(木) 天気:はれ |
| 「萌える英単語」買ってしまいました。それなりのレベルかなと思います。アレゲな言い回しをなんとか英語に置き換えようというあたりに工夫を感じます。大学受験とは縁のなくなってしまった大きいお兄ちゃんたちにとっては、単語集というより例文集として熟読すべし、という使用法が適当かと。 |
| 2003年12月5日(金) 天気:冬らしい |
| 関東平野においては冬らしい天気は二種類あって、晴れてるのとどんより曇ってるの。今日は後者です。 ここ半年くらいSpirocorのStarkに替えています。DominantのStarkに比べるとまぁチューニングしずらいは(スチールだからね)すぐ切れるは(スチールといっても色々あるもんです)で使いにくいことこの上ないです。下手に張力が強いので困ります。ヴァイオリン族の糸倉の構造はけっこう単純かつ繊細で、糸倉の部分の静力場を律する弦(例えばガット弦を張ったヴァイオリンなら唯一スチール弦であるE線だったり。個々の楽器の個性と弦の種類なんかによってこれは異なってきます)のテンションが変わる(切れるとか、緩むとか)だけで他の弦のピッチが影響を受けます。Spirocorみたいにどの弦の張力も比較的高いスチール弦だと、本番の長丁場(楽章間がないとか、とにかくすぐにチューニングができない状況)で「G線が狂った→ペグをいじった瞬間にうっかり『落して(弦の巻が完全に緩んだ状態)』しまった→A線が半音上がってしまった→自分の耳が保持していたピッチ感が崩壊」なんて泥地獄にはまりかねないです。先日は練習中にD、G線がいつものように落ち着かないまま、管の(テンション上がりっぱなしでピッチも上がりっぱなし)ピッチにあわせようとC線のペグに手をかけたらそれで限界だったらしくぶちとか切れてしまい、唯一持っていた予備の巻線剥がれまくりのDominantを張ったらそれも湿度が高かったのですぐにまたぶち切れですよ。うわ、もう予備ねぇや、と呟いたのをりんちゃんが聞いてくれていたので、お前ら(中略)となる前に使用済みの弦を貰えました。やっぱり気が回る子は(以下略)それはともかく、Spirocorは実用上は結構問題があります。 それでもSpirocorを使うメリットというと、何を措いても湿度の高い日本において錆びにくいというのがあります。DominantのC線なんて下手すると一晩であちこちに錆が浮き、そこから巻線が破断していきます(線密度の関係で、巻線の材料組成は同じDominantシリーズであっても各弦ごとに変えてあるようで、つまり耐酸化特性も異なります。巻線の太さ、巻線の隙間に水分や塩分が染み込む割合ももちろん違います)。汗を拭き取りにくい指板側が特によく錆びています。それと、楽器の響きも伸びました。音色も多少ざらつき分が増え、その分表現に幅を持たせられるようになったと思います。Dominant臭さともいうべきある種のモコモコ感が消えた、というべきか(同じDominantでもStarkだと比較的感じなかったですが)。もちろん楽器とは音楽を表現するためにある道具なので、実際にもSpirocorの方が安価である状況でどちらかを取れと言われたら、よほど理由がない限り結論は明らかですが。 先日、DominantやSpirocorを販売しているThomastik-Infeldの日本国内向けの価格が改定になり、両者とも値上げになりました。そもそも本社のほうで値上げしたのかもしれませんが、こういうのはえてして日本向けの総代理店みたいなところの事情で決まってしまったりするものです。というわけでSpirocorのC線一本の定価で600円、Dominantの錆びやすいC線にいたっては900円の値上げになりました。何とかならんの? |
| 2003年12月6日(土) 天気:予報おおはずれ |
| 土浦市内の回転寿司屋に行きました。カウンターの前をのべつ寿司の行列が流れていくので目がくらくらしてきます。味にかんしては新鮮なネタ「も」あったというところ。 |
| 2003年12月7日(日) 天気:いい |
| 午前中がひたちなかの練習、その足で午後のH響を聞きに日立まで。ビゼーの1番やりたいなあ。あとドボ8のラストは金管パワーが。トロンボーンにあそこまでやってもらえたら弦としてはもう消されてもいいかもってもんで。アンコールは「シューベルトの」アヴェ・マリア。無印マリみてを買ったのは去年のH響の帰り、駅前の大野書店だったなあなんて思い出しました。 帰りの電車に乗っていたら、ドア脇の前の席にさっきのH響のプログラムを持った初老のおばちゃんが座っていました。と、私のところにやってきて「さっきまで弾いてらっしゃった方ですか?」なんて聞くのです。事情を説明して、ひたちなかの方もよろしくお願いしますと言っておきました。ひたちなかのちらしはプログラムに挟み込んであったのですが、おばちゃんははじめて存在を知ったとのことです。 |
| 2003年12月8日(月) 天気:はれ |
| うずらの卵の目玉焼きを作ってみました。…割りにくいです。おまけにフライパンからはがしにくい。味は濃くておいしかったんですが、いかんせん量が少ないです。仕方ないことですが。やっぱりゆで卵として中華丼の上に乗っていてもらうとか、そばつゆに溶くとかの方が reason d'etre っぽい。 |
| 2003年12月9日(火) 天気:はれ |
| 数学教免持ち(小学校ではない)としては反応しないとと思いつつ。もっとも小学校の頃の算数で何をどこまで教わったかなんてすっかり忘れちゃいました。数学が面白くなりはじめた(=成績が上がり始めた)のは高校からです。 先生がどういった考えで可換則を教えないほうがいい/禁止しようと思ったか(どういう授業展開を考えているか、その結果どんな教育的効果が望めるか)わからないので「どれがいい/悪い」と断言はできません。が、自然数の乗法が「可換である」というのは自然数の乗法の特徴の一つなのですし(だからこそ行列の積が可換では「ない」ことに人は驚くのです)、またかりにも小学校低学年の算数は形式陶冶というよりまだまだ実用的な「読み書きそろばん」のそろばんであることをあわせて考えると、あえて「掛けられる数値、掛かる数値」なんてお経を覚えさせることに大した意味があるとは思えません(が、(教育的)意味があるかどうか、ないし持たせられるかどうかは実際の授業展開に思いきり依存します)。もちろん、例えば「せんせーどーしてごかけるろくをろくかけるごにしちゃいけないの?ねーどーしてどーして」とか騒いで授業を中断させるようなおマセさんをちゃんと説得できるような何かを期待したいところではあります。私ならどうするかって?そりゃもう公理的集合論から始めてペアノの公理に沿ってみっちりと。 で、このあたりですが、「行列の積」と「行列のスカラー倍(スカラー積)」の話がごっちゃになっている気が。それぞれ元のとくそんさんの記述の「#そりゃABが行列だと違うが、算数との比較なんで厳密にはやんない」のあたりと「正 : 5(個) × 6(人) = 30(個)」のあたりに対応するものです。 |
| 2003年12月10日(水) 天気:はれ |
「小笠原祥子さん、ね?」 「はい。…?」 「私は…自己紹介が必要かしら?」 「いいえ。存じております。 「なら、話が早いわ」(うぁ。こんな子を妹にできたら(ry)) 「私に、何か用でしょうか?」 「…あなた、お姉さまはいて?」 「いいえ」 「そう。は、話が早いわ」(うわぁ、素敵だなぁこの子。こんな子を(妄想炸裂)) 「どういったご用向きでしょう?そろそろ、次の授業がありますので」 「私を妹にしてください」(…え?…あ!あわ!!わわっ、しまったっ) 「…は?」 「…え、いいえ、そうね、そうよね。いい?もう一度言うわね。私の妹になりなさい」(どどどどうしよう。あわ、あわわ、あわわわ) 「…お受けします」 「ありがとう。そうね、いい?私の妹になったからには(以下偉そうなことを延々と)…」(どどどどどどうしよう。って何私道路工事してんのよ。それにしてもうわどうしよう。さっき言い間違えたの、確かに聞こえてたわよね?もう私、この子に足向けて眠れないっ。えっと小笠原邸のある方向は家から見て…ってそういうことじゃないわよ!あぁもう何考えてんだろう、私もうどうしたら。お、思い出すだけで赤面がっ。出来れば今の数行間、バックスペースキーで削除してしまいたいっ!) …。 月日が流れ、祐巳が祥子さまの妹にぴったり収まることになる背景には、こんなエピソードがあったのですね。 403/415系の鋼製車が全廃、ということになるようです。ハイスペックの新車はもちろんすごく楽しみだし、やっと関東圏も通勤電車が本格的に130km/h出しはじめるかと思うと嬉しいけど、あの子たちがいなくなるかと思うととても悲しい。 |
| 2003年12月11日(木) 天気:はれ←昼から雨になってしまいました;_; |
| ここの背景色をまた黒に戻さないといけないんでしょう。いえ、単なる派兵反対、という意思表示では断じてなく(自衛隊、が「Defence Force(自衛軍)」と同じ英訳を持っていることにひとはもっと自覚的であるべきでしょう。少なくとも、治安がきわめて悪いと思われる地域に親米と見故される一国の看板引っさげて赴いていく以上、丸腰で行かせるわけにはいきませんよね。軽火器どころかバズーカ砲くらいは持っていきたいところです。さてそういう状況だとすると、どこまでが自己防衛で、どこからが武力行使になるのでしょうね?)。そう、なんらかの武力行使なしには「やってゆくことができない」人類の(つまり私の、そしてあなたの)いわば原罪の色ということです。 「私は嫌だ」で戦争は防げません。少なくとも今までのところ、今までの人類の数千年の歴史において、防げていません。有史以来の反戦運動をしてきた/いる全ての人に対して喧嘩を売る発言でしかないですけど、大まかに言って、防げていません。ごめんなさい。でも事実です。結局のところ言葉は、国を、社会を成り立たせているその根元であるところの言葉は、そしてその言葉によって組み立てられたものであるところの論理はいつだって自縄自縛に陥って、その先には誰が望んだわけでもない折衷案みたいなものしか残りません。例えば最終兵器彼女の「仕方なかったんです」というネームを思い出しましょう。あるいは伊里野のいなくなった後でも続く日常を過ごす直之の心のうち、とか。でも、だとしたら、それでもなお、私は問います。どうして防げないのでしょう。このどうして、に答えなんてないでしょう。それでも、それでもどうして?という問いを、おそらくは魂の叫びを、私たちはけして喪ってはいけません。いいえ、喪うことなんてできません。それが、人間だから。 音楽は言葉ではない何かで意思表示をすることができる、つまり言葉によらない意思表示の手段の一つだ、と思っています。世界が平和になることができる、その時まで、私はひとりの人間として、楽器を構えて自己表現するその時にいつだって、この「どうして」という叫びをその気持ちの裡に、ひそやかに、しかしいつだって混ぜておきます。そのことを、ここに宣言します。 |
| 2003年12月12日(金) 天気:あめ/くもり |
| ハンス・ホッター逝去。もう94歳だったですか…。 あ、ペアノの公理云々はギャグのつもりだったんで、意味不明でどうもすみません。何、ZFでないと駄目でしょうって<余計わかりませんってば ※誰にも解らないギャグはギャグといいません>自分 ※※それはそうと小学校の算数のカリキュラムを全面改定して数学基礎論から始めたらどうなるか。面白そうではありますが、よくて「先生の言うことは正しいとも、正しくないともいえない」なんて屁理屈ばかりこねて足し算の計算も覚束ない子供が量産されて終わりかも。 (少なくとも日記では)はじめまして。あれ、いつだったか萌え文集の掲示板でレスいただいたような気もします(覚えてませんってば)。「「交換法則は成立」するんですか?」なんですが、どっちみち最終的には(その単元を授業でやり終わるまでに)「掛ける数と掛けられる数を交換しても計算結果は同じ」ということは教えるはず、と思います。でないと例えば「3×457」を普通の方法で筆算するのにノートを何段も余計に使うような(ノートが勿体ないという意味ではなくて、計算の手間がかかる、という意味のつもり)ことになってしまいますもの。457×3にすれば線引いた下に一段で済むわけで。まぁ、一度くらいは「3×457」のままで計算してみるのもいいでしょうけど(それで「交換しても結果は同じなんだ」という理解が深まるでしょう)。 ついでに言うと、(たぶん)中学で文字を使って一般化した形で四則演算をやり直しますけど、そういった演算規則は計算機のなかった昔における計算技法の数々だったわけです(いや、多分そうだろう、と思います)。例えばBeeさんの引き算の問題では実際、加法における結合則、加法と減法の相互規則が使われています。3ケタくらいだからまだあたりまえじゃんという気もしますけど、もっとややこしくなったら、計算規則をちょっとでも使って楽ができるというのは嬉しいことなわけで。99^2なんてのは(a-b)^2の展開を使うパターンとして有名ですよね。 うーん、うろ覚えながら書きたいことはいっぱいあるんですが、一応止めておきますです。本当にうろ覚えで適当なこと書いてしまいそうなんで。あ、書きたいこと、ってのは全部数学/数学教育の話です。例えば小数(小数点による記法)の起源とか。 |
| 2003年12月13日(土) 天気:散策日和 |
| 突発性初冬の小春日が谷あいに続く低い山ふところを縫って走る非電化ローカル線のがらがらの車内で幸せ光線をだだ漏れにしないと居ても立ってもいられない症候群を発症してしまったので、対処療法として小湊鉄道に行ってきました。 千葉県南部全体を占める房総半島は地勢的には、物流の中心地であった東京湾沿岸の東部に長く伸びた陸塊であり、標高においては最高でも千葉県最高峰である愛宕山(標高408m)からなる、主に第三系の堆積岩からなる隆起山地である。熊谷付近を中心としてその周辺が隆起するという特徴を持つ関東平野造盆運動にともなう比較的大きな隆起速度のために、その絶対的高度に比して急峻かつ脆弱な山肌を持つ地域として特徴づけられる。古来より、東京湾沿岸と太平洋に直接面する房総半島東岸を繋ぐ物流のルートは例えば水運においては利根運河など、いくつもその手段が模索されてきた。明治時代以降において鉄道が物流の主役と位置づけられるようになると、さきに述べたように比較的急峻な房総半島を横断して東京湾沿岸と外房地区を短絡しようという気運が高まってきた。こういった動きのうち、実際に房総半島の山地を横断するといういささか無謀な目的を曲がりなりにも果たすことができたのは小湊鉄道といすみ鉄道(旧国鉄木原線)によって結ばれた、五井〜大原間だけである。 旧国鉄木原線(現いすみ鉄道)は本来、内房の主要都市であり、かつては軍港であった木更津と外房の大原を結ぶ鉄道路線として計画されていた。木原線という名はそこに由来する。大原から房総半島内陸部にわけ入るように路線を伸ばしたものの、その終点である上総中野と同時期に延伸されていた久留里線の上総亀山までの間が計画倒れの未成線として残されたまま今日に至っている。地図上で見ると、大原から谷沿いに大多喜、上総中野と迂回して上総亀山からさらに久留里を経て木更津、というルートは冗長にしか見えない。恐らくは限られた予算配分と、軍事目的としての代替ルートの必要性とを天秤にかけた結果ちまちまと延長されてきた日和見主義の結果だろう、と思われる。国鉄再建法にともなう特定地方交通線に指定され、現在は第三セクターのいすみ鉄道として国鉄時代には考えられもしなかった毎時1本ヘッドという運転間隔で夷隅地区の地域輸送を担っている。 その名前に当初の目的が残されているという意味では、現在も会社線として営業を続けている小湊鉄道の名は端的である。内房の五井から上総牛久、里美を経て山に分け入り、現在の終点である上総中野から先はまっすぐ南下して急峻な清澄山を経て日蓮上人ゆかりの上総小湊を目指していた。上総中野から先は房総半島南東部の急峻な地形に阻まれて延伸できないまま、上総中野まで伸びてきた木原線と接続する形で房総半島縦断、という使命はとりあえず達成されてしまったまま今日に至っている。会社自体は現在は京成電鉄の傘下であり、戦後の高度成長期には京成電鉄が千葉から内陸部に路線を伸ばして小湊鉄道の海士有木まで連絡誌、そこからさらに南へ直通するという計画までが存在した。実際には京成の延伸計画は千葉急行(→経営破綻にともない、現在は京成電鉄ちはら線として存続)線としてちはら台までは開通したものの、そこから南は一部用地買収がなされただけで事実上計画止まりである。現在は五井から上総牛久までは東京近郊の路線として気を吐いているが、そこから南、終点の上総中野までは現在は一閉塞、観光地かつハイキングの要衝として知られる養老渓谷から終点上総中野までは1日5往復という状況(他はみな養老渓谷止)である。お互い当初の目的地とは異なるものの房総半島縦断という使命を果たした両鉄道はわずかな直通客のための「房総横断記念乗車券」(五井〜大原が小湊/いすみ経由で大人片道1600円)も発売している(普通運賃は五井〜上総中野が1370円、上総中野〜大原が620円)。もっとも、五井〜大原間は現在はJR内房/外房線経由で結ばれており、運賃も1110円と安いから、たんに乗ることを目的とした乗客のための便宜であろう。 時間も何も調べずに家を出てきたため一日5往復の上総中野行に乗れるかどうか微妙だったのだが、内房線の電車が五井にさしかかると上総中野行にすぐ接続するとの放送があった。五井の駅は橋上駅で、小湊鉄道の乗り場も改札内である。あまり時間もないので急いで階段を上り、一段細くなった小湊鉄道の乗り場への通路を眺めてみる。養老渓谷への往復割引企画切符などに混ざって「1日フリー乗車券 1700円」のポスターを見つけたのでそのままホームへと下った。二両編成のむこうで立ち話をしている乗務員に「1日フリー乗車券は買えますか?」と訊ねると車掌が扱っているとのこと。そのままなつかしいデザインの車内に乗り込むとすぐ発車の笛が鳴った。 小湊鉄道で使用されている車両は全車キハ200という二扉両運転台のロングシートの車両である。形式名から何となく連想されるように、車両の基本設計は国鉄キハ20と同等であり、トイレなしのロングシートとそれに伴うドア間の窓割変更(一枚増設)が外見上の主な相違点である。また、妻面のヘッドライトは左右に分かれた二灯式となっており、私鉄車らしい特徴を醸し出している。他に特筆すべきことは基本設計を変えないまま長年にわたって増備されつづけてきたことで、東京のベッドタウンとして通勤圏に組み込まれてきた頃に増備された車両は窓がユニット式に変更となっている。車内天井に張り出したユニットクーラーはバスと共通のもので、後年になって取り付けられたものである。キハ200導入以前にいた国鉄払い下げのキハ41000タイプの車両などはすべて淘汰され、現在は旧三信鉄道の電車を気動車化した車両が使用されずになぜか一両だけ残されているが、発車してすぐ見える車両基地の奥の方に押し込められているらしく車窓からは見えなかった。 カーブして内房線と別れるとすぐに枯れたセイタカアワダチソウの茂る休耕田を突っ切る。見回す周囲は五井の市街、とおくに続く住宅地と高速道路、京葉工業地帯の煙突に囲まれて、線路沿いだけが開発の手が伸びていないように見える。うす茶色の風景が流れさり、車窓が刈り入れの終わった田んぼに戻ると駅があった。窓下をスプリングポイントの標識がかすめてゆく。ちゃんと交換設備が生きていて、変形寄棟の小さな木造の駅舎がホームから一段低いところにあった。メーンルートから分岐するローカル鉄道の最初の駅、としてはもちろんありがちな形でありながら、どことなく異なった印象を与えるのは駅が何よりも昔からの姿のまま今日まで整備されているからだろう。気負って新しい(つまりチープな)駅舎に建替えたりせず、いささか教条主義的な合理化の歯牙にかかって待合室だけになってしまったりもせず、あるいは懐古的な教条主義に流されてやけに不自然な形で復原されたりもせず、おそらくは開業当時から手を加えられ改修されてきた飾らない姿のまま現在までずっとそこにあり続けてきたというその事実だけで、それは何の変哲もなかったはずの小駅はあちこちのローカル線を多少は渡り歩いている旅行者に「一味違うな」という印象を与えるものとなる。小湊鉄道の駅は大体において、みな同じような雰囲気を持っていた。 車掌が切符を売りにきた。もちろん1日フリー乗車券を求めると制服のポケットからやけに分厚い束を取り出し、一枚を千切って日付を記入してくれた。車内に張り出された広告で知ったのだが、小湊鉄道は全線にわたって往復割引制度(往復切符を購入すると割り引きになる制度。例えばJRだと片道601km以上にならないと適応できない制度だ)があり、往復切符を買うと往復ともに一割引である。前の席で退屈そうにしていた女性も車掌に往復切符を所望していた。車掌はちょっと待って下さい、と言って、次の駅を発車した後に切符を作って持ってきていた。ふと気づいて車内を見渡すと、ワンマン運転のための設備はどこにもない。一見旧態然とした、古びた非合理的な鉄道路線なのに、荒れ果てた、あるいは殺伐とした赤字ローカル線といった印象を少しも受けないのは接客態度によるところが大きいだろうと思われた。 次の海士有木はその美しい駅名で有名である。周囲には上総台地が近づき、ミニ開発の住宅が点在する典型的な大都市近郊の風情である。改札窓口の奥に昔ながらの硬券用の出札機が見える。ほぼすべてのスタックに切符が入っているのが見える。この鉄道では有人駅ではきっぷは基本的に手で売っているのだ。もう少し京成電鉄の羽振りがよかったらこの駅まで都内から直通の電車がきていたはずだ。小湊鉄道の運命も相当異なっていただろうと思う。電化されて京成の一路線となり、三崎口発養老渓谷行の行楽列車が走っていたりしたかもしれない。 2/3くらいの駅に交換設備がある。嵩上げの後の見られない低いプラットホームは開業当時からこのままなのだろうと思われる。交換設備以外に特に何もない田んぼの中といった感じの駅と、多少敷地が広がって砂利敷きや古い倉庫が建ち並ぶ、かつては貨物の取扱駅だったことを伺わせる駅とがあった。周辺の家並みからして、古くからの房総を縦断する街道添いの集落だったのだろう。その中に一駅だけ島式ホームに跨線橋という比較的近代的な雰囲気の駅がある。光風台駅で、駅の手前に丘の上まで続く大規模住宅団地が開発されている。駅の放送も発車ベルもここだけは電子式であった。ホームの屋根の鉄骨の錆びや、安普請を隠せない跨線橋の外壁などがかえって他の駅よりずっと荒れている印象を与える。時間帯のせいだろうが、乗降する客もわずかだった。ここまで常緑樹の上に送電線が並んでいるような台地に囲まれた田んぼの間を走っていたが、その谷がそろそろ狭くなりはじめ、やがて上総牛久に到着した。2両編成に散らばった乗客がかなり降り、変わりに同じくらい乗ってくる。中学生やお年寄りなど、客層が明らかに地方ローカル線のそれに変わる。 ここから終点の上総中野まではわずか一閉塞である。以前は多くの交換可能駅があったのだが、駅の無人化と列車削減とにともない(その分、上総牛久以北が増発/増結された)、今はどの駅も茶色く錆びた側線が草に埋もれているばかりである。ここより以南は全線往復しても1時間40分ほどで、運行間隔はそれで十分、という判断なのだろう。発車してうねうねと台地の脇を抜けると片面ホームだけの無人駅がある。ホームの境の植え込みがよく手入れされて茂っている。波板の張られた駅の待合室が柱は茶色、波板が濃い青に塗られているのが印象的だ。最近塗り直されたのかもしれないが、こういった感じの簡素な無人駅にありがちな落書きは見あたらない。手を入れる人がいれば荒廃はしない、という見本のように思える。 房総の丘陵地帯にどんどんとわけ入る。次は関東の駅100選にも含まれている上総鶴舞である。寄棟造の古びたかつ端正な駅舎が選定の理由であるが現在はもちろん無人で、上総中野方面にむかって見通しよく右カーブした構内には赤錆びたレールがかつての上りホームに寄り添っている。折り返しにこのへんで降りてみるのも一興かな、と思う(結局降りなかった)。この駅だけでも有人のまま交換可能駅として残してくれていたらもっと趣深かったのに、という感じだったが、小湊鉄道の社風からしてそういうことはしないのかもな、とも思った。古いものは古いまま使えるだけ使う、けれど、不要だと判断した暁にはさっさと切り捨てるのだろう。小湊鉄道で現在走っている車両はかなり昔から全てキハ200型に統一されている。これはどちらかというと大量輸送向きの、無個性なロングシートの車両である。全国的に見て合理的な部類に属する車両だ。たんに路線の風情だけからすれば、上総牛久からこちら側はボックスシートの車両の方がむしろ車窓の風景にも、観光客が多いという輸送実態に似合っているはずだ。が、小湊鉄道はそんな、たまにしか乗りにこないだろう首都圏からやってくる流動的な客より、普段の、日常における輸送効率の方を選んだ。鉄道がかつてない斜陽に直面している現在の状況で、それが正しいことなのかどうかには未だ結論が出せないだろう。が、観光客目当てに新車まで導入した挙げ句に廃線になった下津井電鉄、地元の理解を得ることができずにほんらいの本線であった区間を廃線に追い込んでしまったのと鉄道などの例に比べて、恐らくはるかに困難な経営状況のもとでまだこんな山奥に鉄道を存続させ続けている小湊鉄道に、いち鉄道ファンとしてそこになにがしかの希望を見出したい、と思うのは単なる妄想だろうか。 |
| 2003年12月14日(日) 天気:はれ |
| 昨日の帰りにバスを待っていたところ、中学〜高校の時のクラスメートとばったり。名前を言われるまで全然わからなかったのですが、相手もセンター行のバスに並んでいるのでなければ私とわからなかっただろう、とのこと。「地元に貢献できる何かをやりたい」と気を吐いておりました。懐かしかったです。 |
| 2003年12月15日(月) 天気:はれ |
| bullfrog=ウシガエル。食用ガエルとして知られる米国からの帰化種ですね。和名はもろに直訳だったみたいです。しかしありゃどうみても「toad」だろう…。toadだと食べるにあたって抵抗があったりしたんだろうか。カエルの肉ってチキンみたいで結構いけるらしいです。 先日の会話。 MO「あれ、マトリックスって合計何作あるんでしたっけ?」 TY「えと、今やってる奴を入れて…」 私「え、あれ、えーと」 MO「知りません?」 私「すみません、『マトリックス』で全然別なこと連想してました(直前まで重回帰分析ツールを弄っていた)」 MO「あ、あー、あははは」 TY「で、初代があって…」 私「リローデッド、そして今公開中のリボリューション」 MO「アニマトリックスってのもありましたね」 (中略) 私「初代のマトリックスの次回作って、絶対『デターミナント』だと思ってたんですよ」 MO&TY(きっかり3秒後に)「がははは」 普段そういうしょうもないことばかり考えてるのは私だけですか。そうですか。 |
| 2003年12月16日(火) 天気:はれ |
| InselnはInsel(f)=島の複数形ですね。Inselbahnhof(m)=島式停車場、とか。Insular(adj)で、手許の辞書だとこれと同じ項にInsulin(n)が載ってます。 |
| 2003年12月17日(水) 天気:あめだかはれだか |
| 由乃さんのけなげさって宮崎アニメに出てくる少女たちみたいだと思った。いや、みんなそうだ。聖も蓉子もみんな、乃梨子も、可南子だって、みんな実はやたら「熱い」。熱くないと物語が読者を惹きつけたまま進んでいかないから、つまりマリみてシリーズのような大河ドラマ的物語の主人公はみな選ばれたように熱くなければならないのだけれど、そこに「平凡なお嬢様が学園を引っぱってゆく主体になる」という成功物語の要素が加わっているので、読者はその熱い物語を身近なものとして読むことができる。物語のために「選ばれた」者たちの、生身の感情を疎外することなく展開されてゆく(少なくとも、そのように見える)物語。そのあたりの構成は宮崎アニメと同じだ。マリみてが大ブレイクしたのには、そういう部分があるからでは、と思う。 戦争の話。 第二次大戦において日本が、技術力や統率力にかんしてはときに連合国側とひけを取らないものでありながらなぜずるずると太平洋戦争を4年間も、無謀にも人的物的資源をすべて消費し尽くすまで戦いつづけ負けつづけてしまったのか、そのことに関しては例えば日本人的な組織構造が原因であるとか、多く考察されてきているけれど、原因のひとつとして、当時の日本人が戦争をどういうものだと思っていたか、ということがあると思う。日本人にとって戦争とは勝つためのものではなく、まず戦うためのものだったのではないかと思うのだ。 欧米において戦争とはつまり勝つためのものだ。もちろん戦争に勝者などない、という反戦的な謂いはたぶん正しいのだろうけど、そんな洞察はまず「戦争には勝者と敗者がいる」という認識に対する反対命題であって、つまり戦い→勝利というパースペクティヴを持つ文脈がそこには前提としてあるのだ。だからこそハムレットは「たかが勝利したところで」と世を厭うたりもしたのだ。対して日本人のメンタリティの内にある戦争とはどういったものであったか。古来より人口に膾炙してきた平家物語や太平記を引くとよい。個々の戦いについてはそこで事細かに記されているにもかかわらず、そこで勝者が、例えば源氏が壇ノ浦で平家を滅亡させた後に例えばこんな記述はない。源氏は鎌倉に幕府を設けそこですべての人民が幸せに暮らせるような善政を施しましたインフレは収まり消費税は0%に戻りGDPは上昇し国土は新幹線と高速道路でくまなく結ばれみんなめでたしめでたし、とか。平家側の圧政にあえいでいた人々は開放され農地がすべての人の手に渡りました永遠に偉大なる頼朝将軍様万歳、とか。戦争をふっかけたから結局何がどうなる、といったことは少なくとも明治維新までのたいていの一般の人民(農、工、商)には無関係なことで、かといって武家といえば主君の命の継に殉じるのだといった忠義の精神ばかりが涵養され、つまり戦争を始められる、政治のトップにいる人間以外は誰も戦争の主体であるという自覚がなかった。時代は明治に入り、明治政府の軍隊はその程度の戦争認識しか持たない人民によって構成されることとなってしまった。日清、日露の両戦争で日本が勝利したのはたんにそうやって組成された軍隊が「もしかしたら勝てないかもしれない」という臆病風を余裕で押さえつけられるほどの統率力(言い換えれば、従順さ)を持っていたから、というだけのことだと思う。日中戦争以降のいわゆる15年戦争に突入する直前までの日本の軍隊はこと欧米の戦争観からすれば「どうやったら勝つことができるか」といった具体的な戦略もろくにイメージできない上に「負けたらどうなるか」ということも知らない超大甘のお坊ちゃん、悪い言い方をすればただの軍事オタクになってしまっていたのである。下手に勝利を続けていたことは不幸だった。だからノモンハンで露軍にボコられて慌てたってもう遅い。かくして日本はあれよあれよという間に「戦争とは、勝つものである」という強力なテーゼを持つ列強と同じ舞台に引きずり出された上に無謀な戦争をふっかけざるを得なくなり(せざるを得なくなった、という発想じたいが武士道的なものであることに注意しよう。「今の国力なら戦っても絶対に負ける」ということは太平洋戦争開戦直前の政府首脳は承知していたはずだ)、例えば世界最大の軍艦を持っていながらそれを伝統の宝刀(武家的表現だ)のようにロクに使いもせず温存した挙げ句最後には「負けるための戦い」である沖縄戦に投入して連合軍のなぶりものにし、海の藻屑としてしまうといった「戦争とは、勝つものである」というテーゼからすれば愚行ではないオンパレードを繰り広げることになったのだ。国民に対する敗戦の告知さえ、ラジオ放送を通じての天皇の肉声の放送といういわば「洋才、でも和魂」の技だった。言い方を変えれば、「戦いを始めた人間の代表による、戦いを止めようという宣言」だった。かりにこれが連合国総司令官マッカーサーによる「アナタタチハァ、マクェマシタネェ。コレクァラワァ、アメリカニシタガテクダサーイ」なーんて人を舐めたようなメッセージだったらどうだったか。勝者による、敗者への敗北宣言だったら、はたして日本の占領政策は、今日史実としてたしかに知られているようなものだったろうか?私が当時の日本人で、こんな放送を聞いたら、絶対激怒するだろう。屋根裏に隠してあった三八歩兵銃に弾を篭めてジープに乗ってやってくる米兵を片端から狙撃しただろう。戦争というものに対するイメージの違いは、第二次大戦=大東亜戦争においては、おおまかにいって奇跡的な平和的結末をもたらした。 アメリカとイラクの「旧勢力」の間で今も続いているらしい戦争にかんして、両者の間に横たわる齟齬を説明しようとすればそこにはやっぱり、両者の「戦争」に対する認識の違いがあると言わなければならないだろう、と思われる。アメリカにとって戦争とは「勝利するもの」ないし「戦場となった場所の住民の声を受け入れた上で(寛容の心をもって)撤退するもの」(後者としては日本、そしてベトナムとか)であって、対する側、現在のところイラク国内で散発するテロリスト集団、にとってはそれは「外敵の侵入に対して戦うもの」だ。米軍とイラク人との間でいざこざや発砲事件が絶えないのはまさにそういった「戦争」およびその(あくまで欧米=アメリカから見た)結果である「占領」に対する両者の認識の違いがそもそもの根底にあるだろう、と思う。イラク側は、イラクに住んでいた人は、戦争が終わった、とはたぶん思っていない。自分たちが住んでいた土地に米軍が攻めてきた、そして占領された、としか思えないだろう。例えば米軍が世界に向けて「大規模戦闘の終結」を宣言したのと時を同じくしてフセインが何か声明を発表したとしたら、それは50年前の太平洋戦争終結時のような「戦争について異なったイメージを持つ者どうしが戦争を始めてしまった時、その終結をお互いの陣営にスムースに告知できる何か」だったろう、と思う。でも、実際にはアメリカはただ急進的にイラク全土をその軍事的パワーにまかせて蹂躪しまくっただけであった。もちろん、イラクと旧大日本帝国の国家構造は異なる。米軍がイラクに総攻撃を仕掛けた時点で、フセインがイラク国民に対して例えば昭和天皇のように「キリスト教徒の蹂躪に対し、これに対して忍びがたきを忍び」なんて訓示を垂れることができたとしても、フセインのその言をイラク全土の人民がすぐに受け入れられたとはとうてい思えない。いやしかし、ここで大切なことは、戦争というものに対する米国とイラクの人々との認識が異なるのだ、と洞察することである。かつての日本と連合国のように。そしてそうだとすると、現在のアメリカのイラクに対する処遇は果たして、占領政策として合理的なものだろうか。そして、かつて戦争に対する認識が連合国、つまり欧米、つまりアメリカと異なっていた、まぎれもない国際社会の重要な一員であるはずのとある国の国民として、私は(あなたは)アメリカとイラクの、未だ終わらない戦争の当事者たちである両国に対して今、何ができるのか。少なくとも、両国に様々に関わりを持つ国であるところの日本国国民として、私たちはこの、いまだ終わらざる戦争に対して、私たちの国の自衛隊=自衛軍を派遣しようという流れにさえなっているこの戦争に対して、どういう意見を持つべきであるか。それは本当に「勝たなければならない」ものなのか。逆に、それは「戦う」べきものなのか。もしそうだとしても、「戦う」とはそもそも、いったいどういうことか。誰に対して?何のために?どういう手段でもって? |
| 2003年12月18日(木) 天気:はれ |
| 絶賛誰もそんなもの読まない長文日記更新中なわけですが、今日は特にネタがないです。そういえば昨日はクローゼット用のケースを買ってきて床に並べてあった本を整理したのですが、部屋の状態といえば「本が散らかって大変なことになっている」から「これ以上本が増えると大変なことになる」に移行しただけでした。本の重みで三段重ねのケースが心なしか歪んでいるように見えるのは気のせいですか。 |
| 2003年12月19日(金) 天気:しらん |
| 昨日の夕方は脳味噌リフレッシュついでにつくばの石丸でどうもダメダメな品揃えのCDを漁ってたりしたんですがいまいち不作だったので、今はバーンスタインの「ミサ」(初演の録音)を聞いています。これっくらいアクが強くないとまず体が受けつけないですね。 例えばね。バグダットでイラク交響楽団の演奏でこれを上演することができたら、世界は平和になるだろうな、と思います。思うでしょう?思いません?思えないという人は今すぐこれの演奏ないしスコアを購入してその内に盛られた音楽的メッセージに対してすべて理解しようと努め以下少なくとも100万行ほど略。で、ですね。いち音楽愛好家としては、そんな瞬間を願って止まないんです。 |
| 2003年12月20日(土) 天気:はれ→ゆき→はれ |
| 昨晩はI大のゲネプロでした。シューマンの3番とエニグマと仮面舞踏会(ハチャトゥリャンの、組曲の)です。3曲プロの2曲目のことを中プロと呼びますが、集合時間の連絡をするときに「中の人は…」というフレーズが飛び交っていました。帰って一泊分の支度をして休んで、本番にむけて10時半には出動。風が強かったのですが電車が止まることもなく。常陸野に枯草が舞っていました。窓側に座っていたら隙間風に紛れてコートにススキやセイタカアワダチソウの種子が。こういうこともE531の固定窓になったらなくなってゆくのでしょう。 開演前に少し吹雪いたりしていたのですが、本番は551人入ったとのことです。舞台から見たかんじだと700近く行っていると思っていたのですが。後で客席にいた人(数名、みんなオケやってて、客の入り具合は見れば大体分かるような人たち)と話したのですが、みんな多いように見えたよねえ?と不思議がっていました。エルガー限定の座敷ぼっこが沢山住み着いていたりするのかしらん。それにしてもエニグマはいい曲です。私の感性に合った(fit)曲です。例えばブラームスだと同じ「fit」でも作曲家が言いたいことを言葉にしなくても音符で全部わかる、という感じなんですが、エルガーの場合は音楽が自分の体温に合ってる、というところです。以前やって好きになっていたのですが、やっぱりいい、ということを再確認できました。 で、ハネた後で楽屋に戻ったところで2年ぶりに友人が。I大の大昔のOBなのですが、彼を知っている人が軒並みその出現に仰天していました。というか、そういう人なわけです。いつのまにか晴れ上がった夜空の下で凍りついた車で大学まで送ってもらって、打ち上げまで大学の近所のファミレスでくっちゃべって過ごします。打ち上げは海鮮料理が美味い中華料理屋でしたが、乾杯した瞬間にみな席を立ってあちこち挨拶に行きはじめてしまいフルーツバスケット状態に。 ※これだから一次会は立食形式に汁とさんざっぱらゆーとるのに。 |
| 2003年12月21日(日) 天気:はれ |
| 二次会はバス通り沿いに最近できた焼鳥屋です。いつも通るたびに気になっていた店でした。相変わらず大騒ぎします。鍋だのサラダだの色々出てたのですが、時間があまりなかったのと色んな人と延々話してたのとであまり食えず。歩いて大学まで戻って練習室で演奏会の録画の上映会です。後のことがあるのでそのへんに転がってる布団(打楽器だの大型楽器だのをトラックで運ぶ時に緩衝材として必要になるものです。どこのオケの楽器庫にも積んであります)ににくるまって横になっていましたが、上映会が終わってしばらくしたら知り合いの某OB氏(昨晩楽屋に出現したのとは別の人)が現役相手に音楽談義を始めたので起き出してついでに色々蘊蓄を垂れはじめたらいつしか冬至の陽も昇りなりはじめるのです。 アタッカで勝田のなんとか市民オケの練習に向かいます。昨晩は実はI大の演奏会の客席にいた人たちという面子と昼を挟んで、夕方まで来月にむけて延々と細かくピックアップ。グラズノフのVnコンがあるのですが、予め貰っていたパート譜で予習していたのよりずっと |
| 2003年12月22日(月) 天気:はれ |
| 夕日が沈むのが早いですね、とMOさんが言うのでええ、日没前後は加速しますよねと返したらフォロー不能といった顔で愛想笑いされました。しくしく。 ちみちみと研究に使うだけのコードを弄っているうちに一日が過ぎていくだけなので、BGMにシャハム/プレトニョフのグラズノフの協奏曲を買ってきました。一緒にプリムローズと一緒のシンフォニア・コンチェルタンテが入ってるハイフェッツのもあったんだけど今回はレコ勉もかねないといけないので録音の新しい方。廉価版で再版されるとまずライナーがヘボくなるのは日本特有の腐った現象でしょうかね。例えば一緒にカバコンが入ってるんですが(文脈から判断して明らかにカバレフスキーの作品48のヴァイオリン協奏曲のことである、と読み取れないといけませんです)、それの解説で「容易に入手可能なアメリカのインターナショナル版(おどりこ注:IMCのことだ)では献辞が省略されて云々」なんてあるんですが、IMCのコンセプトを多少なりとも理解してIMCの譜面を使ってる人ならIMCにそういった何かを要求するなんてお門違いということは常識なんですけどね。日本になぞらえて言うと例えばゴセックのガヴォットについて論じるのにスズキ・メソードの教本を持ち出すようなもんだよ?そこに書いてあるボーイングや運指をゴセック自身が書いたものだと勘違いするような錯誤だよ?好意的に解釈しても楽譜オタクにしか見えないどうでもいい蘊蓄を偉そうに開陳して金取るなとか思いました。俺でさえもっとまともな解説が書けるってば。 |
| 2003年12月23日(火) 天気:はれ |
| 東京でしゃーみんの忘年会です。弦を仕入れたりスコアを入手したりしてから御徒町の焼肉屋へ。全然気づかなかったのですが、御徒町の駅集合ということだったようです。人でにぎわう路地裏の焼肉屋の前で買ったばかりのスコアを読みながら待ちぼうけする変な人になってしまいました。すいません。予定を流したメールが「Re:忘年会」というSubj:に埋もれていて発掘できず、見落としていませんでした。今度はちゃんとSubj:でわかるようにして下さい(ぉ お肉はおいしかったです。今回の出席者は9名、東京在住の人で2名ほどが体調不良でパスとのこと。「超肉体、超精神、超頭脳」のやまざきさんはそんなことではダメなのであると一席ぶちかます、というイケイケぶり。ご家庭でのお幸せぶりを彷彿とさせます。飲み放題なのである者はビールを燃料にある者はつつましくソフトドリンクをすすりつつ、某業界の危険話からオヤジギャグに至るまでがのべつ「だ〜か〜ら〜!!」「なんでやねんっ!!」「それは違うだろうっ!!(バンバンと机を叩く音)」「ぎゃはははは」「わはははは」「○○ヤバイ」「へぇーへぇーへぇー」といった大音声に乗って上野の夜空にこだまします。年末のために二時間限定のところ気づいたら座敷のエリアは他に誰もいなくなってしまっており、2次会でお茶でも、という予定がそのままその場で計4時間もひたすら大騒ぎで盛り上がったのです。ごめんなさい>お店 終電の時間が近くなってきた人もいるのでお開きです。常磐線方面組を中心にした一軍は広小路界隈のストレートな物言いのポン引きにまたも大ウケしたりしながら上野駅まで歩いていったのでした。 |
| 2003年12月24日(水) 天気:はれ |
| 今日のひるどき日本列島でぎんなんのことをやっていました。志摩子さんへのクリスマスプレゼントなのでしょう。 |
| 2003年12月25日(木) 天気:はれ |
| マリみてクイズ、84点でした。 星新一のショートショートで、地球という星の住人が戦争ばかりやっていてよろしくないのでどうするか、と(おそらく)高度に発達した文明を持つ宇宙人がモニタしたところ、ちょうどその日はクリスマスで人々がみなどこか幸せそうな顔をしており、人類は宇宙人による滅亡から免れる、というのがあったのを思い出した。もしそのモニタが最初に2ちゃんねる毒男板を覗いていたら瞬時にして太陽系消滅だったねというかんじだけどそれはともかく、そのショートショートが書かれた当時は宇宙人が地球の平和を望むといったモチーフが無条件で意味を持っていたと思う。ここでいう宇宙人とは「自分たちの状況を客観的に見ることができる存在」という意味だから、つまり「こういうのは(例えば東西冷戦とその代理戦争としての局地紛争といった構図は)よくない」と、少なくとも星新一の読者として想定される層は考えていたことになる。でなきゃ今述べたようなショートショート(相応にキャッチーなエンターテイメントである)が受容されるわけがないもの。振り返ってみれば冷戦時代というのは世界的に見て「もしも世論が好戦に傾いたらたちまち敵が攻めてきて家は焼け畑は滑走路キミは戦場送りだろう」という状況だったわけだ。その当時の反戦運動には、今と比べものにならないほどの自明性、必然性があった。さて、現代はポスト冷戦時代、ゲリラ戦とも言うべきテロリスムが跋扈する不透明な世界情勢の中で、それでも「なんとか」しなければならない状況になってきている。だろうと思う。冷戦のいわば勝ち組であるアメリカの陣営の筆頭、悪い言い方をすれば属国であるところの日本に住んでいる一人間として、これからは大手を振って戦争ができるじゃないか、とは言えない。いや、言いたくもない。もとより言うつもりもないのだけれど、だとしたらそんな私たちは今、「反戦」という感情にどういう根拠を与えるべきか。戦争はいけない、という主張に客観性をもたせるためにはどれだけの説明(価値観によって演繹されるものであるところの)が必要か。現代の大抵の日本人はこういったことに恐らくは無自覚であろうと思われるし、そういった無自覚が手綱を緩めるところに好戦派はつけ込むのである。少なくとも私が好戦派だったとしたら、そうする。 |
| 2003年12月26日(金) 天気:くもり |
| 幽霊名字。面白いです。 |
| 2003年12月27日(土) 天気:はれ |
| 雪が凍りついてアパートの前はちょっと大変なことに。 nekoさんと山岡屋に行って大辛ラーメンを頼みました。白胡麻が入ってると思ったら唐辛子の種でした。 |
| 2003年12月28日(日) 天気:はれ |
| だらだらと掃除をして、買い物。 遅ればせながら今ごろ「ぷちナショナリズム症候群」(香山リカ)を買ってきました。見返しの著者近影がすっかりお年を召されていてあああああというかんじです。 というわけでなんとなく昔書いたのを改題して再掲してみたり。是非声に出して読んで、日本語の美しさを堪能してみて下さい(ばき |
| 2003年12月29日(月) 天気:はれ |
| 日陰の雪がまだ溶けません。 「ぷちナショ」ですが、「キミはペット」をそういう文脈で使ってくるとは。あとWebで批評を漁ってみたんですがみんなどこかで思考停止してるのが多くてなんだかアレです。少なくともぐぐって上位だった批評がたいてい「そういう風に見え」たのは何というか。滑稽というべきなのだろうか。 |
| 2003年12月30日(火) 天気:はれ |
| てれてれと掃除をして、午後遅くに実家に戻ります。途中、我孫子駅で下車して唐揚げそばを。今日は4時半で閉めてしまうつもりだったらしく、私が唐揚げを頼んだ最後の客でした。「うまい」と言われる我孫子の弥生軒のそばですが、その印象を食ってしまうほどのインパクトのある唐揚げです。 |
| 2003年12月31日(水) 天気:はれ |
| 新星堂で Arnold Bax のヴィオラとハープのための幻想ソナタの録音を見つけてきました(Centaur CRC 2570)。先日東京で譜面を見つけて買っていたものです(ISMN M-050-03592-3)。NAXOSで出ているのは知っていたのですが、他にも録音があったとわ。うーん、物好きなハーピストいないかなぁ…。アイリッシュハープで十分、というかまさにベストなんですがね。あ、でも途中でがんがん転調するからレバーとかがついてないと駄目ですけど。 夕食時にイラン地震の話が盛り上がり、「医療援助するのもいいが、地震大国日本で蓄積された耐震基準等の行政ノウハウも教えにいくべき」「NHKは紅白やる金があったら義捐金に回すべき」などの提案が出されました。 |