| 2003年7月1日(火) 天気:くもり |
| 『真岡線の蒸気機関車の愛称が「シュッポくん」「ポッポちゃん」に』だそうで。あまりお脳にお花が咲いてるような愛称も何ではあるのですが、ここまで直球だとちょっとつまらない気も。 交流的な変化、とまでは言い切れないのでしょうが、サーキットが一旦リセットされることはあるわけで、マル経的にはそれは例えば恐慌や戦争です。対して「そういうのはリセットされる前に何とかコントロールするべき」と国が博打を打つべきである、と主張するのが近経なわけですけど、まぁだから国庫の地方への還流なんてのはサーキットの流量調整であり、近経の視点に立ったれっきとした経済政策なのです。いや、だと思います、くらいにしておきます。 ※最近の某米国のやり方は「左手でマル経(戦争)、右手で近経(経済援助)」というダブルスタンダードと捉えることができるわけですな。左手にマッチ、右手にポンプ。もっとも恐慌や戦争はマル経的にはあくまで古典的経済論の破綻する「特異点」であって、それを経済「政策」として使用するようなもんではないはずだけど。 グルダは大学の視聴覚室でベートーヴェン全集聴いたりしていました。私的にはまあ、嫌いじゃない程度。 |
| 2003年7月2日(水) 天気:はれ |
| 「涼風さつさつ」のことばかり考えていたので印象に薄い日でした。 夜は実家に帰ったのですが、父の日のプレゼントを忘れてしまいまして。また忘れるといけないのでここに書いておきます。夜遅くまで妹と何故か高校の時の卒業アルバムなどをひっぱり出してきて眺めながら無駄話。 |
| 2003年7月3日(木) 天気:いまいち |
| 明け方雨が降ってきたりと。 「さようなら食パン電車」とどっちが先になるでしょう(爆)。そういえば西の交流区間って北陸だけでしたね。将来的にはあそこも直流になってしまうのではと思っています。 ※で、その時まで食パンは存置、と(ぉ |
| 2003年7月4日(金) 天気:あれ |
| 宝島に行ったのですが、セットで頼んだカルビロースがどうしてもただのカルビと区別できなくて困りました(月曜日にも行って、その時はふつうのカルビを頼んだのです)。討議の結果両者の違いは「皿の上に乗っているタマネギの切れ端があるか否か」であろうという結論に達したのですが正解でしょうか>宝島 |
| 2003年7月5日(土) 天気:はれ |
| 久しぶりに東京にお出かけ。女鹿^Wメガライナー2Fから八潮駅の工事現場などを眺めてから上野駅でさぬきうどん屋に入ってみたり。ホンモノを食ったことないんですが、あんなもんですかねえ。 NAXOSの8.554499(ピアノ協奏曲「黄河」ほか)などを仕入れてきました。10年以上前に出てた奴ですけど。協奏曲はうーん、展開部はどこへ行ったよというところです。一緒に入っている「7つの内蒙古民謡」がよかった。 で、唐突に気がついて日記用cgiスクリプトを修正。name属性の引数が同じであるアンカータグが同一ファイル内に複数存在してしまっていました(こちらで弄ったときのミスです)。 |
| 2003年7月6日(日) 天気:あんまりよくないとおもう |
| アパートの契約更新に連帯保証人の印鑑証明が必要になったので面倒で放置プレイしていたら催促が(あたりまえですが)。ちょっと待ったせめて給料日まで待ってくれ。平身低頭しながら出しに行きますから…。 近所のミニストップで7000円下ろしたら2000円×3+1000円で出てきました。二千円札が三枚も財布に収まったのは始めてです。ということはひょっとして9000円下ろしたら二千円札は四枚出てきますかねえ。引き落とし手数料が勿体ないのでおいそれと実験できないのがアレですけど。 「モスクワの野外ロックコンサート会場で自爆テロ、15人死亡」というニュースを見てもちろん思ったのは最近日本を「お騒がせ」したらしい、例の二人組のことだ。 もちろんチェチェン過激派の跳梁に代表されるロシア国内の政情不安とt.A.T.u.のやんちゃっぷりを安直にイコールで結ぶことはできないけれど、ここで私たちはまず、彼の国においては音楽する、ということは今日において(もちろん、これまでも)それなりにリスクを伴うものなのだということに気づくのだ。もちろん自爆テロを行いたい側にとって「人が集まる場所」であるロックコンサートの会場は絶好のターゲットだからつまりそこに音楽というパラメータは一次的には介在しないのだけど、もう一歩踏み込んで考えよう。他に人が集まる場所が沢山あるはずのモスクワ近辺で、何故ロックコンサートが標的に選ばれたか。いぜん自爆テロや武装勢力による占拠が世界を震撼させた広場や歌劇場などに比べて、野外ロックコンサートという場が、比較的警備が薄い場所であったということは理由として挙げられるだろう。だとしても、どうして野外ロックコンサートの会場は、警備が薄かったのだろうか。つまりここで官警を筆頭とする体制側にとってロックコンサートとは何だったのか、そして、管理が(多分)手薄なそういった場所に多くの人が集まったとき、そこには(そこまで目を光らせることができない)体制側にたいするどういった思いがあったか。そしてテロリスト側にとっては、そういった場でテロ行為を起こすことが社会にどういったインパクトを与えるものであるか。現在のロシアにおいて、つまりt.A.T.u.がそこで産声を上げた場であるロシアにおいて自己表現を多くの人に聞いてもらうという行為はそのパースペクティブのどこかにそういった非道なテロリスムを据えていなければならないものであるはずだし、つまりそれはどこかしらリスキーなものであるはずだ。そして、大衆にヒットする音楽を表出したいという欲求はつまり、そのリスクをあえて背負うのだと自ら宣言することに等しい。それはある(いくつかの)意味において「音楽は世界に勝る」と宣言することだ。それはきっとひとりt.A.T.u.にとどまらず、グリンカからショスタコーヴィチに至るロシアのすべてのすぐれた音楽家がそのすべての作品の上に決して消し去ることができないいわば烙印として刻みつけてきた刻印だ。ムソルグスキーは音楽と社会を天秤にかけてアル中になった。チャイコフスキーはホモに殉じる道を選んだ。グラズノフは耐え切れずにフランスに逃げた。プロコフィエフはどうしてもロシアを忘れられなかった。ショスタコーヴィチは全ての人に、ムラヴィンスキーにさえ誤解されて構わないという孤独を選んだ。そして現在のロシア。t.A.T.u.は何を選んだ。 t.A.T.u.の来日にからむ「騒動」をネガティブに批判する言説がなべて平和ボケした拝金主義者の戯言にしか聞こえなかったのは自分がほからなぬt.A.T.u.の音楽から上の段落の最後に書いたような「表出者じしんがそのことに必死になっている何物か」を感じていたからに他ならなかったのだが、今回のいまわしいテロにおいてはからずもその思いはひとつの裏付けを得るものになっただろう、と思う。私にとっては、Mステに出演拒否した彼女たちのその一見青臭い芸術家気取りな自己主張をたんに迷惑な我侭で片づけるのはたとえば「チャイコフスキーの交響曲第六番は盛り上がらないで終わるから駄作だ」などと放言してのける(チャイコフスキーがなぜ終楽章で絶望を描かなければならなかったか、その …なんてことを酒を煽りながら書いてたのですが、つまりあれだ。元々"Roll over Beethoven"な音楽であったはずのロックが(少なくとも)日本では完全に「体制側の」音楽になってしまっているのがこちとら不満なわけだな。ドラッグやり放題スカトロからバイセクシュアルまで何でもOKギター噛りまくりという前衛音楽だったはずのものが日本ではたとえば従前のクラシック音楽などと同じ「なんだか有難い舶来品」の裡のもとに扱われてしまった、という歴史的事情があるのは事実だけど、つまり舶来の音楽に対して日本人はいまだそのようにしか対処し得ていない。それは千年の歴史を持つ雅楽や各地方で生まれ育った「節」(それは世界レベルで見て最高の部類に属する音楽性を持つものであるはずだ)を文化的母体として持つものとしてまことに恥ずかしいばかりの思考停止および感受性の停止でしかないだろう(でなければどうして、日本を代表するテレビ音楽番組であると放送局じたいが自負するものである「ミュージックステーション」で宮廷雅楽や |
| 2003年7月7日(月) 天気:雨だのくもりだの |
| わ、あんな放言に反応していただいちゃった…。すみませんわかりにくくて。ということで、昨日の長広舌をちょっと直しました。漢字の誤用と、少し説明不足を補った程度です。 ついでに行間隔も修正。ルビを入れると※あまりにも不均等になってしまっていたのですが、こいつのマージンってどこでいじるんだ? ※実際はこの日記のドキュメントタイプはただのHTML4.01ですから、<ruby>なんて書いてあるのはいわゆる「不思議マークアップ」なわけで。そろそろなんとかせねば。 |
| 2003年7月8日(火) 天気:こさめ |
| ふむ、ということは「破られにくい」暗号系はそれだけエネルギーが必要、というかんじになるのでしょうか。系を計算量で評価するのと本質的に何か違う自然な定義があれば面白いのだろうなあ、と思います。 |
| 2003年7月9日(水) 天気:くもり |
| 早めに仕事場を出てセンターに寄ってみたんだけどどこにも寝間着が売ってない〜。Tシャツとかで寝る癖がない人なので、夏用の寝間着が足りなくてちょっと困っています。 |
| 2003年7月10日(木) 天気:納豆が降ってきました(嘘) |
| 「米国で400km沖合に津波計六ヶ所」だそうです。NOAAのプロジェクトだそうで。いーないーな。一台二千万なら5つ買ってもたった一億じゃん。システム入れても二億あればばっちし、というところですが、日本あたりだと津波の原因になる地震は400kmよりずっと近海で起きるものなので、これで万全というわけにはいかないのがアレですね。 |
| 2003年7月11日(金) 天気:あめふらないといいな |
| なぜって、洗濯してきたから。 長崎の少年による男児投げ落とし殺害事件にかんして鴻池防相が「親は市中引き回しで打ち首獄門」などと言ったそうです。あまりに極悪非道かつ前代未聞な事件を前にして脳味噌が江戸時代にタイムスリップしてしまったものと思われます。かわいそうに。ちなみに私はもう少し冷静な思考回路を持っているので、「少年は市中弾き回しで打ち首獄門」にするのがいいと思います。ここで弾き回しというのはもちろん、ど下手なびよら弾きが同じフレーズを何回も練習しているさまを延々と聴かせるという(ぉ ※今思ったのだが、親権者責任を問うべきという流れにしたいのであれば、例えば少年犯罪の場合は「親の」実名を報道してみるというのはどうだろうか。 …驟雨になりました。今日夕方に茨城県南部を通過した雷雲は市中引き回しの上打ち首獄門決定。 このコーナーの名前をただの日記から「々ゞ仝〃」に変えました。この四文字で「わたしのにっき」と読みます。ちなみに三番目の「仝」は「同」の異体字です。JIS符号表なんかでは記号の部分に押し込められていますが、れっきとした漢字です。古い公文書や墓銘碑なんかで見かけますね。「 で、これがどうして「わたしのにっき」という読みになるかについては説明が長くなりますので、各自お調べいただければと思います。このあたりの蔵書を片っ端から当たれば見つかると思います。 |
| 2003年7月12日(土) 天気:はれ |
| 暑かったのですが、風があったのでそれほどでもなく。 海保の統計資料を見る限りではスラドにまで取り上げられた先日の玄界灘での衝突事故がその後何日にも渡って大騒ぎになるほどの規模の事故とは思えない。玄界灘っていったら海難事故のメッカだと思うし、だいたいこの一週間で新聞沙汰になる大事件が他に幾つあったよ。だからこういうのは無知を食い物にした扇情に過ぎない。今後、このことが騒ぎになるのであれば日本人大多数のメンタリティは多分「思考停止」という四文字に代表されるような、たとえば関東大震災後において朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだというデマに過剰反応していた当時とまるで変わっていない。同じ日本国籍を持つものとしては情けないばかりだ。 |
| 2003年7月13日(日) 天気:くもりときどきあめ |
| ※書きかけていたらマシンごと吹っ飛びましたので、火曜日に書いています 暇だったので茂木まで行ってきました。下館から真岡、益子を経由して茂木まで結んでいる真岡鉄道は最近はSL列車で有名ですが、私はだいぶ前、冬の夕方に乗ったことがあるだけだったので、こういう湿っぽい時に乗ったらもっと魅力的だろうなと思ったのです。ほんとうに、行ってきただけです。以下、箇条書きで。 行程:西平塚入口=下妻〜下館〜茂木=ツインリンクもてぎ=大工町=つくばセンター=大学会館 ・下妻の駅そばは以前食べたときと同様、茹で加減が足りません。朝飯がまだだったのでちょうどいいやと思っていたのですがちょっと失敗しました。なんか胃にもたれそうです。 ・常総線の一両の奴が下館駅に近づくと前方の駅構内からもうもうと黒煙が立ち上っています。ちょうどSL列車の発車時間でした。黒煙は駅前のジャスコの看板を乗り越えて流れてゆき、C11の牽引する三両の列車がゆっくりホームを離れていきます。こちらの乗客もみんな左側の窓に顔をくっつけてそれを見送ります。 ・次は40分ほど後の定期列車です。SL列車は機関区のある真岡からここまで回送なのですが、下館駅には転車台なんてないので、どっかから貰ってきた補助のDD13を編成の反対側(下館側)にくっつけてここまでやってくることになっています。そのDD13が今は側線で寝ています。茂木まで行くとちゃんと転車台が作ってあって、折り返しが下館にくるとまた後ろ(今度は茂木側)にDDが食いついて真岡まで引きずり戻す、という案配。C12によるSL運転が始まった当時は逆機のまんまで運転してたと思います。タンクなんだから逆機のままでも絵になるのにと思うのですが。 ・茂木行はロングシートのレールバスです。昭和63年製ですが、あちこちがそろそろボロっちさを隠せなくなってきているようです。セミクロスシートの車両もあったのになあ。席が埋まるほどの乗客を乗せて発車します。しばらく田舎道みたいな雰囲気が続きます。周りに田んぼばかりの駅で交換待ちをしていると平行する294号を車がじゃんじゃん抜かしていきます。ちょっとした街になるとすぐ真岡です。SLを模した変わった形の駅舎が遠目にも目立ちます。 ・三番線まである真岡の駅は車両区が併設されていて、下館側の草むした側線には保存用のキハ20だの車掌車だのが適当に転がしてあります。「ジャンク屋」という単語が脳裏を横切りました。その隣に線路を覆うように、側面がスモークのガラス張りの小屋掛けがあって、中にもう一台のSLであるC12がちんまりと収まっていました。こんな瀟洒な機関庫は前代未聞なきがします。洗車線にはギンガムチェックの緑と赤という変な塗装の大型のディーゼルカーが二両います。半分くらいの人が降りましたがそれ以上に乗ってきます。 ・少し山がちかな、という風景になってきます。民家の軒先では、時おりぱらつく雨に洗濯物が濡れています。次の大きな街は益子で、ここでも半分ちかくの乗客が入れ替わります。見た感じ高校生のカップルが買い物のビニール袋を下げて乗ってきます。半透明の袋越しにカレールーやじゃがいも、たまねぎなどが見えています。ほのぼのしているというべきか、判りやすいというべきか。連中は二つほど先で降りていきました。こんもりした緑の丘の間に古い集落があるだけのところです。 ・カーブが連続し、SLにむかって三脚を立てたら絵になりそうな風景が続きます。低いサミットを越えると終点茂木です。カーヴの先の駅構内には先に到着した茶色い客車が転がっていて、その先でSLが給水中です。給水タンクは新たに設けられたもので、アパートの上にあるようなFRPのクリーム色の四角いのが線路脇にでんとあります。機能的かつ興ざめな風景ですが、手作りの雰囲気が伝わってきていい、という見方もできます。 ・改札の前に階段があって、ちいさな駅構内は上から眺められるようになっています。給水を終えたC11は今は奥のほうに引き上げて、ときおり安全弁をしゅっしゅっと鳴らしています。むこうに山ふところまで続く小さな茂木の街にマッチした、いい風景です。作業を終えたTシャツ姿の機関助手が転車台の脇にある水道をかぶっています。乗客が傍まで寄って眺められるように転車台の手前まで通路が作ってあります。さて、これからどうしましょう。 ・折り返しのSLは午後二時過ぎです。それまでぼうっとしていてもいいのですが、実はここから水戸に抜けられるはずなのです。真岡線がここまで開通したのは昭和の始めですが、計画ではここからあと少し山を越え、そこから那珂川を下った御前山で当時そこから赤塚までを結んでいた鉄道である茨城交通の茨城線に接続する予定でした。那珂川沿いまでは戦争中に路盤が完成していて、1/25.000の地図では今でも跡を辿ることができます。ほぼ同じルートを今はバスが結んでいるはずです。 ・なので駅前のバス停の時間を見ると確かにJRバス、茂木町営バスのポールに混ざって茨城交通のバス停はありましたが、唯一の行先である石塚(水戸から茨大前を通る、よく乗るバスの終点)行は夕方までありません。一日三本です。以前来たときはここからJRのバスで宇都宮に抜けたのです(そちらは結構な本数がある)。が、それも何なのでどうしようかと缶コーヒーを買い、ぶらぶらしているとJRバスの時刻表のポールに「ツインリンクもてぎ行臨時バス」の案内が出ています。そう、さっきから低い車のエンジンのうなりが山にこだましているのが聞こえていました。 ・ツインリンクもてぎへは水戸からもバスが出ています。茨大の前を通過していく「ツインリンクもてぎ行」の行先をよく見ます。ということはこの案内にある、宇都宮から茂木駅前を通るバスでツインリンクもてぎまで行き、そこから水戸行に乗ることができるということです。ちょうどそろそろバスがやってくる時間です。臨時が出ているということはレースでもやっているのでしょうか。よく知りませんが、なら水戸まで戻るバスもすぐにあるかもしれません。というわけで、車に全く興味がない私のような人間が何故そのような場所へ、という実存的疑問を飲んでいたコーヒーの空缶と一緒にごみ箱に投げ捨て、やってきたJRバスに乗ることにします。 ・バスの乗客は私一人でした。冷静に考えれば、車好きな人がそれほどメジャーでもないサーキットまでわざわざバスで行くか、ということです。運転手に「ツインリンク行ですよ?」と確認されます。茂木の街を出ると道路はいきなりアップダウンの連続になります。がらがらのバスはずびびびと坂を登り、エンジンブレーキを利かせながら谷に下ります。谷が入り組んでいるので真っ直ぐ道路も引けず、かといって丘陵の斜面はそう急ではないのでトンネルやつづら折りにもできないのでしょう。地域別エンジンブレーキの使用回数の統計とかを取ったらこのあたりはだんとつだろうと思います。谷が狭くなったところで右に折れ、下に急流が流れる橋を渡るとその先がツインリンクもてぎのようでした。 ・坂の入り口にゲートがあります。バスの自動アナウンスが「お客様はチケットを御用意下さい」などと言うのでナニと思いましたが、乗り込んできた係員は私にパンフレットを手渡しただけでした。何か大きなイベントがあるときはここでチェックするということのようです。バスはそのまま坂道を登ります。と、運転手が「お客さん、このまま上まで行っちゃっていいの?」なんて聞いてきます。実は水戸に行きたいのだ、ここは乗り換えのために寄っただけなのだと説明して、上のバス停まで連れていってもらいます。 ・あちこちにバス停みたいのがあります。場内を無料バスが巡回しているらしく、黄色いバスがゆっくり走っているのが見えます。駐車場だの何だのを通り過ぎ、登り切ったところにはいくつもの建物があり、バスのりばが作ってありました。運転手は「茨交さんのバス、あるのかなぁ」なんて言いながらバスを止めます。確かに向こうに茨交のポールがありましたが、それによると水戸行は二時間後です。「どうすんの?」なんて聞かれましたが、どうしようもないのでここで二時間待つことにします。茂木で大人しく石塚行を待っているよりも早いんですもの。 ・雨がぱらつく場内は人影はあるものの、がらんとした風情です。貰ったパンフに挟んであるコピーのスケジュール案内によると今日はアマチュアのレースがあっているだけで、特別イベントはない、ということです。人があふれていたらコミケに紛れ込んだ一般客の気分を味わえたのでしょうが。案内所などの入る平屋の建物が壁のように続き、ゲートがある向こうが窪地のコースになっているようです。ここからは絶えず聞こえてくるさぞや高性能と思われるレシプロ・エンジンのうなりがその存在を教えてくれるだけです。あちこちに設けられたスピーカーから女性の声が実況中継を行っています。落ちてくる雨粒だけがそれを聞いています。ずらりと並んだチケット窓口もその隣の出走ゲートみたいに並んだエントランスも無人で、子供が走り回っていました。雨ざらしの場所で飛ばしまくる車を見たいとも思えなかったので、屋根のあるベンチを探して本でも読んでいることにします。 ・ゲート前でスピーカーの正面じゃない場所に傘とベンチを見つけたので「ものぐさ精神分析」(岸田秀)なんかを広げていると雨が強くなってきました。椅子の場所を変えてしのぎます。雨粒の断片が紙面にまで飛んできます。鞄を置いているテーブルは半分水浸しです。隣にはちゃんと屋内の喫茶コーナーがあるのですが、こういうところは高いだけですし、何時間も粘れる雰囲気の場所には見えません。向こうのスピーカーが今ピットインした車はどこからきた何々チームのなんとかであり、ダートが得意なので雨が降ってくれた方が嬉しいそうなのだ、なんて喚いていますが、そういうのを聞き始めると本が読めなくなるので耳の方はシャットダウンしておきます。 ・車関係のロゴが入ったトレーナー姿の親子連れが変な顔でこちらを見ながら通り過ぎていきます。その姿を見送ってから手元の本に視線を落とします。人間の世界認識は所詮幻想なのだ、と岸田秀は説きます。だから今通り過ぎていった親子連れも、向こうの売店のあたりに見え隠れする人影も、接触が発生したと伝えるスピーカーも、雨さえも幻想に過ぎません。マリみてをフロイト=岸田理論でぶった切ってみるってのはコピー誌のネタくらいには丁度いいかななんて考えていると結構時間を潰せました。おなかがすいたのでアリーナの方に行きます。売店が並んでいますが、メニューを見ていてもそれほど食欲が湧かない上にみんな高いので結局一番外れで焼きそばなどというどうでもいいものを腹に詰め込み、トイレに行き、バス停に戻ります。水戸行の行先標を掲げた茨交の路線バスがもう横づけされて、運転手が車内の掃除をしています。 ・乗り込んで続きを読んでいると運転手が話しかけてきます。今日は何かやってたの、とか、ああいう車ってのは性能はどうなのかねえ、なんて聞いてくるので、わずかな知識に想像力という水分を80%ほど混ぜ、もしこれが公共施設のコンクリート打ちであれば即指名停止間違いなしと思われる会話を交わすのです。発車時間になりますが、もちろん乗客は私一人でした。だだっ広い場内を抜けてふたたび谷沿いの道に戻り、那珂川を目指します。すぐに茨城県に入ります。御前山村です。 ・このバスは一応特急の水戸行、という扱いのようです。時々ウィンカーを出してバス停に停まりますが乗降扱いをするわけではなく、後ろに詰まった一般車を逃すためです。運転手曰く、ダイヤにはかなり余裕があるとのこと。もう少し飛ばしても罰は当たらないと思うのですが、春秋の観光シーズンや何かのイベント時には道路が混雑するでしょうから、それを見越したダイヤなのかもしれません。那珂川を長い橋で渡り、広い河原に澄んだ水が目に映える風景の中をバスは下っていきます。いえ、上空には雲が垂れ込め、時おりぱらつく雨滴がフロントウィンドゥを濡らしているのですが。 ・時々停まっては車を逃しながらまた那珂川を渡って桂村、台地をよじ登って常北町、すぐに水戸市に入ります。山がどんどん低くなって街の中にな、見慣れた茨大前の風景が過ぎていきます。つくば行の急行バスに乗り換えたいので大工町で降ります。ここまで1450円、乗客は私一人でした。家に帰ってから、今日乗った交通機関は全部ディーゼルエンジン駆動でワンマン運転だったのだな、と気がつきました。 |
| 2003年7月14日(月) 天気:くもり |
| この五冊だけ与えてよしとしてしまう馬鹿親が大発生の予感。いや、私はたんに量の話をしているんです。五冊では全然足りません。少なくとも100冊は読ませてほしい。未だに不思議なんだがね。世の中に「本を読まない人がいる」ということが信じられない。文字もない学校もないような国地域ならともかく、この日本で、だよ。 この五冊で私が何度も読み返したとか、一生の本になったとかいうのはないですねえ。レスで紹介されてるのだとドリトル先生くらいか。あとは大草原の小さな家シリーズか。「大草原」はNHK教育で米国制作のテレビ版をやってましたが、それは全然面白くなかった。そういえば友人たちがこぞって読むような種類の漫画も全然面白さが判らなかった。科学啓蒙ものとか歴史解説ものとか「はだしのゲン」とかは読めたのだけど、週刊誌に連載されるようなメジャーな漫画をたまには読もうかという気になりはじめたのはなんと、大学院入ってからです。いえ、今でも全然といっていいほど読みませんが。まぁ、中身の薄いものを読みたい、という気持ちになることはもちろんありますけど、普通は本のほうが面白くない? 幼稚園の頃に歳の離れた兄貴の中学の課題図書をかっぱらって読んでたんですがねえ。そういうのが原因でしょうか。 |
| 2003年7月15日(火) 天気:なんとなくはれ |
| 「国公立大学は独法化を機に、ギルド体質から脱却すべきだ」という読売の社説なのですが、どこで笑えばいいのでしょうか。何かのウィットのつもりだとしたら滑りまくっています。ついでに言うと社説の日付である7月11日はもちろんエイプリルフールではありません。もう少し真面目な社説キボンヌ ※後日追記 えと、上のはアンカー閉じ忘れじゃないです。ええ、ある種の嫌味です。きついことを言っておきながら自分は「ギルド」といった、今の日本であまり一般的ではない言葉に逃げるというのは論説者としては無責任で、つまり上でアンカー張った社説は床屋談義以上のものではありません(床屋談義としてはレベル高いですけど)。叩くんだったらもっとちゃんと叩いて欲しい。でないと国公立大学が現在抱えている矛盾と日本の現在の科学技術文化振興の板挟みにされてきた/いる下っ端研究者がいくらなんでも浮かばれない。 ※ちなみに私は「ギルド」でいいと思っています。先祖が職人だったという家柄もあるんでしょうけど。 |
| 2003年7月16日(水) 天気:いい |
| 洗濯すりゃよかった。 あさがお用の支柱をまた買ってきました。店に並んでいるうちで一番長い奴。以前に立てた支柱の一番先っぽまで辿りついてしまい宙を右往左往している奴がうまいこと探し出してくれるといいんですが。どこまで伸びるかわからないものです。 あさがおの支柱っていえば笹竿だったんですが、最近は見ませんねえ。 |
| 2003年7月17日(木) 天気:くもり |
| 日曜日の奴の続きを書いています。 仕事先の近所にできたブックエースは理系の専門書の棚がないのでダメです。ていうかなんでブックエースにもカスミブックランドにも「理系白書」がないのよ。下部構造としての技術者なんてことを考えている身としては押さえておきたい本なのに。あまぞんで頼んじゃおうか。 |
| 2003年7月18日(金) 天気:くもり |
| 昨日は風が強かった上にプランターのひまわりに水をやるのを忘れていたので、そろそろ花序が大きくなってきて頭が重くなってきた奴が一本、しおれたついでに折れてしまいました。しくしく。 |
| 2003年7月19日(土) 天気:ぱらつくもり |
| 毛の用事で東京に行きました。弓の毛替えの間に床屋に行ったというだけですが。 いっしょに「キャラクター小説の作り方」(大塚英志)を買ってきました。理系白書のほうは立ち読みしているうちにまあ、今でなくてもいいやという気分に。もちろん余った時間と帰りのバスと帰ってお茶を飲んでいる時間とで全部読んでしまったのですけど。あることに対する実用書であると同時に優れた批評書、というのは別に矛盾したあり方ではないと思います。 |
| 2003年7月20日(日) 天気:アレガアレでアレなんだけど蒸し暑い | |||||||||||||||||||||||||||
| 夕方、自転車でユニクロを冷やかしに行った帰り(Tシャツが安いかな〜と思って覗いたんですが、欲しくなる柄のものがあるはずもなく)、交差点で「花より男子」を音読しながら大爆笑している女子中学生(茗渓の子だったからつまり、私の後輩になります)二人連れを目撃しました。「箸が転んでも可笑しい」ってこういうことなのだなと気づきました。 そうめんとひやむぎの違いを知りたいとずっと思っていたところ今日、近所のスーパーで安売りしていたので両方買って比較してみることにしました。白石蔵王の高野本店製の1kgのものです。裏の記載によると、100gあたりの栄養表示は以下のようです。
ゆで後のめん100gあたりの食塩相当量はそうめんが0.3g、ひやむぎが0.5gだそうです。 このことから、ひやむぎはそうめんより乾燥水分が少し少なく、たんぱく質と脂質、灰分が少し多いもので、調理した際に残る塩分も少し多い食品であるということがわかりました。長年の疑問が氷解したので満足です。 |
| 2003年7月21日(月) 天気:これから雨 |
| 仕事行きそうになりました。 ※行ってもよかったんだけど打ち合わせできないし… 「湿舌に尽くしがたい」という言い回しを以前に思いついていたのですが、先日の九州の大豪雨に関連してしばらくぶりに「湿舌」というタームがメディアに出てきたきがするのでこれを機会に公表しておきます。意味は知りません(ぉ |
| 2003年7月22日(火) 天気:山背まみ(謎 |
| 茨城県が地殻変動で北海道あたりに移動したかと思いました。無茶苦茶寒いです。アメダスの22時のデータだとつくばが17度とかゆってます。北海道北部と比べると増毛や手塩と一緒です。ちなみに稚内は16度です。 |
| 2003年7月23日(水) 天気:くもり |
| 今週のスラッシュ国民投票の選択肢に「新幹線甲種回送用建築限界測定車コヤ90」とかがないのは何ででしょう←何でって言うな というわけでそのへんをぐぐっていたら軌道計測器専門の会社が。細々した機器が多いわけですが中には何でもいいからとにかく名前をつけましたみたいなものも。 |
| 2003年7月24日(木) 天気:はれ |
| 用事で実家に戻ったついでにやっと父の日に買っておいたベルトを渡せました。部屋の隅ですっかり忘れ去られていた始末。しかし、自分が思いつくその手のプレゼントってハンカチとか水泳用ゴーグルとか、小物ばっかだな。花束の宅配なんてかっこいいわけですがこれは関東随一の花どころ館山にいる下の兄がいつも箱で送ったりしてるから駄目。こまごました日用品は普段一緒に住んでいないと今何が足りないか判らないからこれもパス。面白そうな本(本のプレゼントってのはそもそも難しいものなのですが)とかいうのだと、妹とかくらいなら面白がってくれそうな本を選べるんですが、親が喜びそうな本って、たいてい自分たちでもう買っちゃってるんですよね。 |
| 2003年7月25日(金) 天気:くもり |
| Kato Havas の「Stage Fright」(邦訳「『あがり』を克服する」音楽の友社)の日本語版の訳者あとがきの Havas のレッスンを受けたときのエピソードとして「楽器に名前をつけなさい」と勧められた話が出ていて、ああその通りだな、と思ったものだ。私のヴィオラには名前がない。自分の楽器を名前で呼べたらいいなとは思うけれど、なかなかいい名前が思いつかないのだ。 ヴァイオリンの方はちゃんと名前をもらっている。最近はヴィオラばっかり弾いてるからたまに顎につがえてやると駄々ばかりこねるのだけど、ヴァイオリンにかんしてもオーケストラに関しても右も左も判らない頃からずっとつき合ってくれた子だ。この子の名は某所のペンネーム制の閉じたニュースグループで自分が使っているペンネームと同じものだ。この子のほうが先にその名前をもらった。後で某所でのペンネームを考えるにあたって、自分の分身みたいに思っていたその子の名をそのまま使ったのだ。楽器をその名で呼ぶことは今でもあまりないけれど、とにかくヴァイオリンにかんしては、名前はつけている。 ヴィオラの方には今までついぞ名前をつけられなかった。色々思いつきはしたのだが、どれもしっくりこなかったのだ。思うに多分、名前をつけるという行為は「名前をつけた対象が成長していくのを見守りたい」という気持ちがあるのではないだろうか。生まれた子供に名前をつけるなんてのはその典型だろうし、自分が出した企画書のプロジェクト名にご大層な名前をつけてみたりするのも、そういった「自分が努力することによって名前をつけた対象が成長/成功してほしい」という心理が働いているからだろうなんて考えることもできる。その点、私のヴィオラにかんしては事情が大分違った。ヴィオラというまだまだ未知の存在を前にして、成長するべきだったのはまず自分だったから。右も左も判らないような状態でまず自分で買って、目の前に現われたヴァイオリンと違って、いちおう弦楽器の一であるヴァイオリンと、その活躍の場であるオーケストラのことを判った状態で自分の目の前に新たに現われたヴィオラという存在に対しては、それを(その成長を見守ることができると思い込んで)命名してやろうなんて精神的余裕はなかったのだ。自分が楽器に教えるのではなくて逆に、自分が楽器に教わる―どう弾いたらどんな色の音が出せるとか、その音色はオケだとこんな時に使えるんだとかなんとかかんとか―ことがまず多かったから、それに対して名前をつけてやろう、なんて奢ったことを考える気になるはずもなかった。 たとえば今、ヴィオラをもう一台買ったりしたとしたらそれには名前をつけられるだろうと思う。名前は思いつけといわれたらいくつも思いつけるだろう。けれど、上の段落で述べたような微妙なタイミングで自分のものとなった、今使っているヴィオラに関してはだから生憎と「自分で名前をつける」という状況からしてなんだかイメージできない。自分の母親の名前を考えてくれ、と言われたら多分人は戸惑うだろうと思う。それと似たようなかんじだ。自分が生まれたときにはもう母も父もいて、それぞれもう名前があったのだから。自分にとって父母の名前は常に「与えられた名前」だ。 私のヴィオラも、誰かに名前をつけてもらえればいいのかもしれない。誰かが私の預かり知らぬところでつけた名前であれば、ヴィオラをはじめてつがえた時からのヴィオラと私との立場を損なうことなく、それを認めることができるだろうと思う。それは自分が与えたものではないから。 |
| 2003年7月26日(土) 天気:くもり |
| 風のせいでひまわりがプランターごと横倒しに。押さえるものがいるな…。 茨響がATMでやるというので聞きにいきました。棒はいぐきゅんです(←きゅんって言うな)。アマオケ(ジャリオケ除く)がアマオケの定期としてATMでやるのははじめてだったかと。 行きがけのバスの中から、荷台にスイカをごろごろ満載したトラックを発見。かなりでっかかったです。売り物ならちゃんと梱包して運ぶと思うんですが。捨てるのはもったいないくらい。水戸につくと常総の甲子園出場が決定の号外が出ていて、向こうで人待ちをしていた女の子たちがそれを見てきゃあきゃあ喜んでいます。常総の子でしょうね。浴衣の人もちらほらいましたが、今日の大洗花火大会は8月13日に延期、だそうです。早めにホールに行くとうちのオケのO嬢を発見。しばらくカウンターでコーヒーをすすったりして過ごします。O嬢は今朝仕事場に行ったら対策本部ができていて、居づらくなってそそくさと辞去してしまったとのこと。 演奏はいぐきゅん(←しつこい)モーツァルトほんと好きなのね、という。セカンドの音程が悪かった(というより、全部低いの)のがアレです。あと毎度のことだけどファーストはなんでみんなもっと飯塚さん見ないのよ。アウフタクトで時々ヨタるのはそれが原因ですよ?りんちゃんはあいかわらずもそもそと弾いておりました。コンチェルトは木管がちょっとでかかったですね。全体のバランスとしてはチェロがあと一人多くてもよかったかなと。 終わったあと出てきたTさんに挨拶して、りんちゃんと一瞬立ち話をして帰宅。そういえばいぐきゅん(←もういいや)に楽譜返すのすっかり忘れてました。 出てきた人だの略語だの説明省略部分だの全部わかる人はいないと思います。そんなもんです。 |
| 2003年7月27日(日) 天気:くもり |
| 朝。向こうの林でかっこうが鳴いています。なんか涼しいし、軽井沢かここは。 ふとかけてみた検索。ゲシュタルト崩壊してます。 一昨日の話についてしばらく考えていたのだけど、わかりやすく表現するとこういうことだろう、と気づいた。私は音楽に対する今までの自分のスタンスによって、ヴィオラ(ヴィオラという『社会的・文化的』存在)に「所有されている」ものとなっている。ヴィオラ、という名詞はつまり自分にとっての Family Name のようなものなのだろう、と。自分の Family は自分で選べないものだから、自分はそれを選べない。そして、今自分が使っているヴィオラはその Family に自分が入るために必要なものだったから、そこに何かむすびつきが生じる。つまり自分はヴィオラという Family と自分の今使っている楽器を同一視してしまうしかなくて、だから名前を思いつくことができないのだ、ということだ。 このことを逆手にとって、つまり、今使っている楽器とヴィオラという Family を同一視したくなる状況を離れてみれば、今自分が使っているヴィオラに名前をつけることは可能かもしれない。ヴァイオリンにつけた名前を他所で自分が使う名前に転用したのと逆のことをすればいいのだ。自分に属する物事のうち、音楽以外のことに関して何か自分にとって親しそうな名前を見つけて、それを何か、イメージの類推によって自分が今使っているヴィオラの名前として与えてやればいいのだ。それができたら、ひょっとしたら私は今自分が使っているヴィオラの個々の楽器の特性(傍目には癖でしかないかもしれないけど、弾いている本人にはそれが「ヴィオラの特徴」なのか「自分の使っている楽器の特徴」なのか(ないしは奏者としての自分の癖)なのか区別しがたい)から完全に離れて、社会的・文化的存在としてのヴィオラにちゃんと向き合うことができるかもしれない。そんなことを考えていた。 |
| 2003年7月28日(月) 天気:くもり |
| ↑たまには「くもり」以外の文字列を書きたいよう。 公団分譲マンションの売れ残り分大幅値引きに怒り沸騰している、という記事です。「高値で買わされた」と怒っている旧住民たちは、新築当時('95年)の1円と今の1円が同じ価値だ、と思っているんでしょうね。でも、デフレーションというのは社会全体から見た貨幣価値の「方が」下がってしまうということです。まぁ、買ったのは昔でもローンは今もまだ残っている、という人にとっては本質的に(=経済学的に)イヤな話ではあるわけですが、その「イヤ」まで回避できるほど経済学は完璧じゃない。公団は国民に住宅を公平に供給するべきだから、売値を変えるのはおかしい、という批判も込められているのでしょうが、通貨そのものの価値ががたがた変わるような状況で単純に金額のみを比較して論じるのは筋違いです。あと、売れ残りをとにかく捌いてしまおうという公団側のセンスは商売人のそれとして考える限り、しごく真当だと思います。記事によると全戸数の半分しか売れてなかったところだそうじゃないですか。住人にとっても、このままゴーストタウンと化するより断然マシな話じゃないでしょうか。 ※経年に伴う減価だの何だのといった細かい話はどう取り扱うべきかよく知らないんで、ここでは考えません |
| 2003年7月29日(火) 天気:たぶん前日と同じ |
| ここ数日の天気図の日付を隠して「これ、どの季節の天気図だ〜」なんて不特定多数に聞いてまわったら、多分96%くらいが「五月中」って言うだろうと思います。十年に一度という寒い夏なのです。あぅ。 自転車で東平塚地内を走っているとひぐらしの蝉時雨がひびいていました。「つれづれなるままにひぐらし、木々にしがみつきて朝な夕なに鳴き交わせば、喧しくて目の覚むるものなり」という奴です。 ひぐらしは熊本のうちの母方では「かなかな」と呼んでいました。だって鳴き声がそう聞こえるから。夕方になると阿蘇の、外輪山がとおくに見える山すそにかなかなの声がこだまするのです。一匹が鳴きはじめるとそれに呼応して何匹、何十匹というかなかなの輪唱が始まります。林の中で聞くそのひびきれはとても美しくて、だからものがなしいのです。そう、あれを聞くだけのために毎年熊本に戻っている、と言ってもいいくらい。今、熊本から遠く離れた茨城の地でその、木立に木霊するあの響きを思い出すだけで、もしお金と時間があれば今すぐに羽田にかけつけてその輪唱を飛んで聞きに行きたいと思わせるくらい、それは音楽であって、そして自分が好きな音楽なのです。ええ、ほんとうに。 そんな感動的な輪唱なのですが、生憎とかなかな、いや、ひぐらしは「外気が一定の気温になると」鳴きはじめる性質を持っているようです。つまり、明け方、日が昇りはじめて気温が急激に上昇し始めると、夕方のそれと同様な輪唱が始まります。こちらは寝入る時間は普段のそれとあまり変わらず、つまり夜更かししたあげく薄明がはじまる頃まで本を読んだりモノを書いたりして、やっと寝入ることができたと思う間もなく夏の短い夜は明け、件の輪唱があたりを覆いつくしはじめます。耳を刺激する高音域の騒音が折角寝付こうとしていた脳を活性化してくれます。ええ、そうなると、かなかなの輪唱はたんに、非常にうるさいだけのものです。 |
| 2003年7月30日(水) 天気:ぴかぴかどん |
| あさがおはまだ ぜーたくもの〜。最後に定期の銀河に乗ったときはまだ寝台幅が52cmでした。 |
| 2003年7月31日(木) 天気:はれだかあめだか |
| 前線がタテに延びてるってどういう天気図ですか。太平洋高気圧の意気地なし。本来高気圧がいるべき小笠原近海がスカスカです。これは…やっぱり冷夏だなぁ。暑いのは嫌だけど湿っぽいのはもっと嫌なので、つまり嫌だなあと。 あらら、過去天気図は'95年までですか。'93年の冷夏の時の太平洋高気圧の場所を見たかったのに。コンビニで気象年鑑が売ってれば立ち読みして調べられるんだけど(ぉ |