| 2002年10月1日(火) 天気:あめ〜 |
| 折角今日に間に合うように色々準備してたのに、某オケは練習あぼーんです。本番直前なのに。ちょっとそこのマンタに乗ってるお嬢さん、台風に『うるさい。あっちいけ』って言ってやっていただけたらランランでビッグ丼大盛り奢ってあげます。 |
| 2002年10月2日(水) 天気:台風一過 |
| 早速洗濯しました。 二学期の終わりには何を計算してくれるようになるのか、楽しみです。Excel の不具合で面白い結果が出てきたりすれば言うことなしです。Pariあたりを教材にしましょう。 黒猫だろうが賄賂猫だろうが鼠を捕るのがよい猫だ、という言い草はああ、伊達に4000年中華料理と五行思想の伝統をぶら下げてないのねという雰囲気ばりばりのしたたかな言い草ですが、それにしてもよい猫、という部分は曖昧さを含んでいます。ひとはふつう猫に何を求めるか。江藤淳は別にハンティングが趣味でもないのに、たまたま最初に買いはじめた品種がそれだったというだけでコッカー・スパニエル以外の犬を飼わなかったし、「山のトムさん」みたいに鼠を放逐したいがために飼われてはじめた猫がその役を立派にこなしつつもそれ以上の価値を家族に与えたりすることもあるし、何がメリットで何がデメリットかなんてふつう決められないことです。それでも猫に対して善し悪しを求めるのであればそれは価値観を一つに絞って、割り切って考えないといけないことです。そして、出来ればその価値観は猫の人間に対しての存在意義、そして猫を飼う人すべてが共通に持っている要素であるべきでしょう。さて、今、猫には何が求められているんでしょうかねえ。 |
| 2002年10月3日(木) 天気:くもり |
| 2日のぶんのリンクミスを修正しました。 TWINSで認証なしで顔閲覧可能だったのですか。日本というところはパスワード破れたの見つけた側が悪人にされちまったりする馬鹿でアフォでどうしようもないところなので、すぐ対処いただいた大学も含めて評価されるべきことでしょう。今度おごってください(どかばき |
| 2002年10月5日(土) 天気:秋暑なはれ |
| 週末を過ぎたらこんな機会もそうないだろうからブルックナーの8番なんかを聞いてしまう。自分がそろそろ弾く、という状況でもないともう今はこういう電波ゆんゆんな音楽は酒のつまみにかける気にはならない。 高校の部活の一つ下の友人が、ブルックナーがマーラーがときゃあきゃあ騒いでいたのが最初だった。80年代後半からのブルックナー・マーラーブームのはしりの頃だ。中学の音楽の教科書で武満徹の作品の名は見たことがあってもブルックナーやマーラーなんて聞いたことすらなかったから、さいしょは「復活」がどうの、などと言われても【いったい】ブルックナーって何者?【誰】というかんじだったのだ。家にあった音楽全集のレコードでああこれね、と見当はついたものの「復活」だの「ブル8」だのはその中にはなく、確か当時のレコードで聞くことができたのはマーラーはバーンスタイン・ニューヨークの巨人、マゼール・ヴィーンの5番、ヴァルター・NYのステレオ録音での大地の歌、ブルックナーはクーベリック・バイエルンのロマンティックとヴァルター・コロンビアの九番。ベートーヴェンやブラームス、チャイコフスキィやドヴォルザークに匹敵する未知のシンフォニストがいるなんて当時、さいしょは想像もつかなかったら手元のそんなレコードをプレイヤーにかけてみる気が最初はまるでなかったのだけど、マーラーに関していえば「復活」はしばらくして件の友人にヴァルターの奴を録音してもらった。それからすぐ朝比奈のライブをエアチェックできた。ブルックナーはそれから8番にハマるまで、ひたすら9番のスケルツォとアダジオばかり聞いていた。夕方、当時二階にあった自室の西側の窓を開けて暮れゆく夕方の光を部屋に招き入れる。ベッドに寝ころがってアダジオを聞くのだ。曲が終わることには夕暮れはもう夜の帳に閉ざされてしまう。多分それはブルックナーがいつも見ていた夕暮れの光景と同じだ。ブルックナーの緩徐楽章に対する理解は十年以上前の当時から本質的には変わっていないし、だから多分、間違いないのだろうと思う。 最初に買った8番のレコードはレークナーの奴だ。どうしてかというと、柏のレコード屋ではそれが一番安かったからだ。もうずいぶん餌箱に突っ込んであった白地にあたりさわりのない抽象的な模様がついたそれを買って東武線で帰る間、少ない小遣いを使い果たしてしまった虚脱感と腕の内に抱えている音楽に対する期待が複雑な感情を醸し出していた自分の気持ちを今もよく覚えている。だから、その期待にそぐうだけ聞きまくった。当時タカシマヤの1Fにあったナカムラ楽器で国内版のスコアも買った。レークナーの演奏はハース版で、音友のスコアはノヴァーク版のそれだったから、当時買ったスコアにはオーケストレーションの相違やカットの場所などが、当時自分が聞き取れた範囲で全部書き込んである。ハース版のスコアも銀座のヤマハに行けば買えたわけだけど、それはとても高かったし、なにより当時の自分は、スコアを眺めながらレコードを聞くことでそういった相違を確認できることじたいを楽しみとして感じていた。 大学に入った夏、カラヤン・ヴィーンの最後のブル8の録音になる演奏がFMで放送された。その時は熊本の、録音環境のなかった山の中にいたから、当時始めたばっかだったヴァイオリンを傍らに置いて、しばらくぶりに出会ったハ短調のその交響曲のひびきを、古いラジオから流れてくる音をただ自分の耳で拾おうと聞いていたのを覚えている。それは夕方で、ひぐらしがまるでつねにその音楽のひびきをサポートしている弦のトレモロのようにいつまでも山にこだましていた。後になって、かつてカラヤン・エンスーだった後輩から同演奏のCDを譲ってもらった。カラヤンは何だか嫌いだったのだけど、その録音だけはどうしても持っておきたかったのだ。多分、カラヤンはあのとき幸せだったのだろうと思う。音楽を知っていて、それに囚われてしまった者として、最高のものを手に入れられたのだろうと思う。それだけは保証できる。目に浮かぶようだ。ブルックナーが、そしてカラヤンが、いや、彼の音楽に魅入られたすべての者の網膜に焼きついているはずの楽譜を、そしてそこにくり広げられる音楽を。スコアに入れられた作曲者自身の書き込み(「Bei den Streichen sind die Stricharten genau einzuhalten」とか)、例えば第四楽章の冒頭で無慈悲にも書き込まれた(演きにくいことこの上ない)ボウイングまで。それらすべてを貪るように覚えようとした自分の感情まで、みんな覚えてる。 ブル8はだからそんな思い出たちに彩られている。だから嫌いだ。大嫌いだ。当時の、ただその音楽に頼るためにはスコアを眺めるしかなかった自分を思い出すから嫌いだ。そして、そこに自分は絶対に届かないんだと判っているから嫌いだ。例え満感の思いをもっても、自分一人のブル8に対する感情が他の、オケの海千山千の連中には伝わらないだろう、ということを知ってしまった今の自分との乖離を感じるから嫌いだ。原理的に出来ないはずのことを見せつけられて、その上で一音楽愛好家としその曲にまともに向き合え、というのはとてもシビアな選択肢だ。ブルックナーはみんな好きなのかもしれない。だとしても、そのことが各人が出す音として伝わってきても、その好き、は自分がかつて感じていた好き、と全く同じだろうか。古今東西の、それこそ中学の教科書に載るような音楽作品であれば、その中に何か共通点を見出すことも可能だろう。とりあえず同じだ、と信じることができるバックグラウンドを感じることもできよう。でもブル8に対しては、そうではない。ラッシュの東武線の車内でレコードが割れないようにずっとかかえていたかつての自分、まるであたりを覆い尽くすセミの声のように弦のトレモロを聞いていた自分、そんな、他人から見たらただの青臭いだけの自分にしかわからなかった「好き」は自分にとっては絶対のものなのだけれど、それは他の人がブル8に対して感じる「好き」とは同じではない、つまり、ものすごく個人的な「好き」でしかない。そして、その間にあるギャップはもう、埋めようがない。 だから嫌いだ。嫌いだ。大嫌いだ。嫌い嫌い嫌い。大好き。 |
| 2002年10月7日(月) 天気:夜半の雨は何だったのだろう |
| かつさんとこから色錯視。デザインに応用できたらよさそう、というか、色配置を考えるときに参考になる事例です。 ※紙に穴あけて見て確認したというのは秘密だ:-p |
| 2002年10月10日(木) 天気:ハッピーマンデーとかゆーても気象学的特異日は変更できん |
| 月曜日の錯視話、絶対に同じ事例を知っているはずだという既視感があったのですが、ぢつは太陽黒点と同じ原理なのでした。 最近、国を愛することがいろいろとワダーイになっているようですね。ノーベル賞二人も出した翌日に平均株価ががた落ちするような国をそれでも愛する、というのならそれはそれでまことに結構な心がけだろうと思いますし、日本人の精神性に根ざした美徳とも言えるでしょう。このまま日本国の政治文化経済とともにどこまでも墜ちてゆくともっともっと国を愛せるようになると思います。山河は荒れ人心は荒び禁中は乱れてもなお愛されてやまない日本、なんてすばらしいんでしょう。愛というのは困難の上にこそ強くなれるものですから、例えば日本が他国に占領されたりすればその愛情たるや比ぶものもないほど昴まることでしょう。韓国あたりに植民地支配してもらえれば最高です。学校で日本語を少しでも口走れば廊下に立たされ、東海を日本海と呼ぶだけで殴られ、労働力確保のために韓半島に強制連行されるのだとしたらそこに沸き起こる愛国心たるやもはや想像不能、世に比ぶるものなどありますまい。ああなんてすばらしいんでしょう。福岡県教育委員会は愛国心の三段階評価なんて手ぬるいことは止めて、今すぐ自らを売国の輩として未来の愛国者のために挺するべきでしょう。 |
| 2002年10月12日(土) 天気:はれるでしょー! |
| トップでもどこでもなく、一番色々な人が見てくれるだろうと思しき日記の最新更新部分にだけカウンタ貼り付けてるのですが、1000ヒット行ったら何かやるべきなんでしょうか。ちなみにリロードしても当日中は回らないかしこいカウンタみたいです(よく知らないですけど。クッキー食わせてるふうにも見えないし、REMOTE_HOSTでも保持してるのかしら)。 高校で二級上だった先輩のことをふと思い出しました。うちの高校は「先輩」「後輩」という呼び方が少なくとも表面上はダメだった(上級生を「さん」づけするだけ)ので大学に入ってからおお、みんな先輩後輩って呼んでる〜と感動したというのは別にどうでもいいことです。図書委員で知り合った一人だったのですが、二つ上だったので色々気にかけてくれていたにもかかわらずあんまり長いことお相手できなかったのは残念です。おじさんの「下半身」の座り心地が好きで、椅子に座ったおじさんの下半身だけのフィギュアないかなあ、などと発言しては周囲を引かせていました。他にもミトコンドリアの抱き枕が欲しいとか言っていたような気もしますが他の子だったかもしれません。オタクという種族が世間的に認知される以前の世代の、少女マンガ入ってた女の子って何か独特な雰囲気があったと思います。おじさん大好きとか言うのを聞きながら、どうして自分はおじさんじゃないんだろうと少しだけ悲しかったのです。 短大行った、という話を限りにその後の消息は知らないのですが、どうしてるかなあ。 |
| 2002年10月15日(火) 天気:なんかあつい |
| 昨年10月の鉄道記念日の折、常磐線/水戸線用の415系1編成(4連)が万博以前のものである赤銅色に正面がちょびっとクリーム帯というカラーリングに塗り戻されました。当該編成(Tc320-M10-M'10-Tc319の編成)は主に水戸線用として、両端車両のみロングシートに換装された車両だったんですが、塗り替え以降はファンサービスのつもりもあるんでしょう、常磐線上野口に顔を出す運用にもたびたび入っています。ここ1年ほどたまにすれ違ってはあーいーなーと思ってたのですが、今日やっと乗れました。昔から「赤電」と呼び習わしていたこともあって懐かしいものです。塗り替えが始まる頃はちょうど常磐線沿線の中学に通っていたので、なんとなく中学のときの知り合いに出っくわした感じです。当該編成は415系の第一次量産車で登場当時は当然赤銅色でしたが、当時との最大の違いは取付準備のみの施行だった方向幕が使用されていること、ドアがHゴムから金属押えになったことです。ほかには運転台以外での貫通扉がクリーム色(従来は内装と同じで、薄緑)のままであることです。ほかにはATSがJR東のものになったことtか、両端のクハがロングシートになったこととか、併結相手を含め、常磐線を走る列車たちががらっと装いを変えてしまったこととかが違いでしょうか。 もちろん乗ってしまえば塗色なんて関係ないので、一瞬「脱がせるために存在する下着」なんて言説が脳裏をよぎったのですがそれはともかく、以前の塗色を知らない若い人たちが何となく奇異の目で眺めてゆくのが目についたほかはたんに私のように鉄道に詳しい人間にとっては「何か水戸線用の車両が上野口に出張ってきた」というだけのものです。それでも、自分を乗せた列車が常陸野の風景にひとすじの赤銅色を曳きながら走っている、と想像するとそれは何か、たとえば小学校の頃に筑波山に行くよ、というときに土浦から今は亡き筑波鉄道に乗りかえていた頃の、幼い心が感じていたひそやかな昂奮、ないしはどこか遠くにいくんだという気負いや孤独感を呼び起こさせるものです。時は少しだけ下りますが、今の常磐線の色である白に青色という塗装が登場した当時のことも思い出します。箸が転ぶのも可笑しい年頃の中学生たちにとっては新しい常磐線のカラーはこぞってその新塗装になった編成に群がり、ペンキくさいその中身は普段のセミクロスシートと変わらないことを知って、現実世界に対して少し幻滅するのに十分なインパクトを持っていました。白地に青色のデザインもすっかり見慣れた今となってはその中に混ざった赤銅色の編成はむしろ何か新手のものである、という印象を与えるのでしょうが、あの赤銅色はごく一部の、筑波科学博というエポックメーキングを常磐線の変容と共に経験した人にとってはそれ以上の意味を持つものです。 非常に個人的な意見では、あの塗装は茨城に合っていたと思います。私の個人的経験と、その上に醸成された茨城に対する印象が、あの地味な、でも明らかに東京だの大阪だのといった都会のそれとは異なった、どこか広がりを持った印象を与えるあずき色と控えめに添えられた正面のうす黄色の帯を持った電車が連れていってくれた世界をイメージの中から常に呼び起こさせてくれるからです。それ以上のものではありません。ありませんが、それでも少しだけ想像して構わないでしょう。赤銅色の電車、いつも通学に使っているあの電車がじつは架線が張ってある全国すべての国鉄/JR路線を走ることができるように設計されたのだということを。いつも乗っている電車はほんとうはどこにだって行ける。現在だって、ATS機器さえ乗せてもらえれば北海道にだって九州にだって、どこまでも行ける。旭川にだって鹿児島だって、和倉温泉だってそのまま走っていける。それはもちろん、国鉄時代の車両設計施策の生み出した行き過ぎた標準化思想の生み出したただの合理主義でしかないのだけど、それでも、今自分が乗っている電車がもし機会あらば架線の続く限りどこまでも走っていけるのだ、と思うことはできたし、そして例えば帰省途中の博多駅で同じ赤銅色の電車がホームに止まっているのを見るとき、旅先の青森駅でいつも見慣れている、土浦駅なんかと同じように張られた架線を見るとき、そこに何か、無限の可能性を見ることができる。自分はどこまでも行けると思えた、その確信に対する何か裏打ちのようなものを感じることができる、そしてその上で、その確信はまた日常に、いっつも通学の行き帰りに乗っている電車と同じ世界に地続きで戻ってくることができる、そう信じることができる。交直流電車の標準塗装である赤銅色にはそういう印象があります。旅の間じゅうずっと風景の通奏低音を奏でながら、そしてまるで、その行程の最後においていつものようにおかえりなさい、って言ってくれるような存在として。こいつならどこにでも行けるんだ、と思っていたから、中学/高校の頃あちこち一人で旅した先でふと人恋しくなったときにだっていつも線路を眺めて、架線を眺めて、この線路はずっと辿っていくとあの赤銅色の電車が走るいつもの常磐線に繋がってるんだな、と思えたからそれで平気でいられた気がします。今でもひょっとしたらそう思ってるかもしれない。 常磐線の415系が引退するときには一度でいい。行ける所まで行かせてやりたい。叶うはずのないそんな希望を持っている。津軽線から見る陸奥湾の青さを見せてあげたい。鹿児島駅から望む桜島の噴煙を見せてやりたい。親不知の断崖だって、笹川流の絶壁だって、房総の潮、北アルプスの車窓をその窓にくり広げながらその性能のまま、そいつが満足できるまでどこまでも走らせてやりたいとさえ思っている。いつもの帰り道、この車両とともにほんとうはどこまでも行ける、と思っていた確信はだからそれっくらいには、自分にとって大切なものだったのだ。 |
| 2002年10月16日(水) 天気:あきばれ |
| 昨晩の土砂降りは夕立のつもりだったんでしょうか。 バイト先のWebサイトの修正確認をしていたら自分で6000ヒット踏んじまった鬱山車濃。SSIにしたらキャッシュが利かなくなったみたい… |
| 2002年10月18日(金) 天気:あきさめ |
| 一昨日のSSIの話、よく考えたら実装からしてあたりまえなのでした。はずかしー。 テレビなんて白痴化装置は持ってないのでどこ吹く風な話題ではあるのですが、苦情の書き込みなのですね。お気持ちはわかりますが甘いです。まだまだです。もっともっとアグレッシブに行動されるべきであろうとご進言申し上げます。そう、番組の進め方が理不尽である、との旨、応募されてはいかがでしょうか。採用されたらそれはそれでテレビで見てみたい。自己批判する泉谷しげる。みのもんたの二律背反。是非お願いします。 #募集フォームでしか問題応募してないわけでもなかろうが、internet unreachable かつ TV unreachable な人のことを考えてないよな、これ。 |
| 2002年10月21日(月) 天気:あめあめ |
| バイト先の窓から見る雨のつくば市街は灰色で、いつかどこかで見たことが確かにあった。そのとき、見たことがあったと思ったそれは5階の窓の外いちめんに広がる広い空とどこまでも続くはずの田園平野のその一方向だけ、うす黄色や白や灰色のビルがその間にうずくまるようにぽつぽつと固まっている秋の木々の梢からとおく、筑波山を隠すようにたれ込めた雨雲を背景にまばらに重なりながらにょきにょきと生えているつくばの街並みではなくて、どこかすこし高いところから灰色にけぶっている雨のなかに何色だかもうよく覚えていない建物の群れがその間にうずくまるようにぽつぽつと固まっている木々の梢から、まるでそれを隠す幕のように遠景をかすませている雨滴に覆われた空間にまばらに重なりながらにょきにょきと生えている、どこか忘れるほど記憶の彼方にある新興都市のそれであるはずだった。あれは本当にどこだったのだろう。雨のつくばの風景を見るたびにその風景を見ていた自分のことは必ず思い出すのに、それ以外のことは雨にかすんだ先に消えてしまった風景のようにまるで記憶になかった。季節は秋だったような気もする。でもそれも覚えていない。叔父が住んでいた日野か、あるいは兄が住んでいた多摩で見たものだったろうか。それともそんな経験なんて実際にはなかったのだろうか。思い出すことができるのはただ、昔これくらいの高さから雨の街を見下ろすことがあるたびに、この風景をいつかどこかで見たことがあると感じていた自分の記憶だけだ。 外交問題になりゃしないかと他人ごとながら心配(笑)¥。 |
| 2002年10月23日(水) 天気:秋らしい晴れ(秋晴れ、ではない) |
| 今日の駄目なSSHの例。 一夜限りの関係の女性のことを「愛人81号」と呼ぶことをなんとなく提唱いたします。 ※参考:スーパー南極59号(歌舞伎町〜自宅) チャットで日記のネタに、などと教えていただいたので「ムーンライト信州」の話題です。しばらくご無沙汰だったのであちら方面にまた遊びに行きたいものなのですが、思い立ってすぐ指定取れるかなあ。直前までなかなかスケジュールが固まらない(固めたくない)人にとっては全席指定列車は使いづらいもので、何度も「えちご」をそれで逃しました。車種は183/9系あたりなのかな、大昔の415系臨時「ときわ」みたいに115系でボックスのみ指定発売とかだったらあたしはいいけど最近のうるさ方マニアはどれだけ過剰反応するだろうか。いえ近郊型好きなんですよ。ご飯3杯は軽く(以下略) 「ミッドナイト」あぼーんは痛いですね。安く北に行きたい身としては代替で青森〜室蘭航路が使えればよかったんですがこれは適当な便がありませんね。昔は青森発の夜行便あったのにな〜。八戸〜苫小牧の2200発の便だと苫小牧到着が0630なので何とかいけるか。いつもの乗り継ぎから盛岡から好摩まではIGRに貢ぐことにして花輪線から青森を大回りして行ったら間に合うかしら。 そのうち「北海道行くのには下りのムーンライトながらに乗って、敦賀からまる一日かけて行く」なんてのが最適プランになりそう。いやまあ、大洗からの船が健在な限りそれはないんですが。 |
| 2002年10月25日(金) 天気:いい天気 |
| 狙った並びなんだろうか。 |
| 2002年10月26日(土) 天気:あめる |
| 一日寝てますた。 「思った以上に」だそうです。阿呆としか思えません。非常識です。勝手に話を進めてしまう田舎臭い無知蒙昧にまるで自覚がないのは茨城人の悪いところです。朝日はこんな恥ずかしい特集組む暇があったら県内に蔓延するこういう無自覚な閉鎖性をまず叩くべきです。 |
| 2002年10月28日(月) 天気:はれる |
| コピー速度が今より遅くなるんだったら断固反対。だいたいだな、他に用もないのを30分も1時間もコピー機の前に立たせて店内にスタートボタンを連打しながらの「この馬鹿コピー機め」といった騒音をまき散らしてもらいたいかセブン君よ。 |
| 2002年10月29日(火) 天気:はれ〜 |
| ぐあ、下北がますます遠くなる…。というか相対的に函館がますます近くなる。そんな調子じゃ半島ごと北海道に取られちゃいますよ。冬に乗りに行く暇あるかな…。函館大澗航路との接続が(結局それかい) #大澗ってどこだって。だって函館FTの乗船受付口にそう書いてあるんだもん いやはやなんとも。さらには自己紹介も必見。仙台恐るべし。 |
| 2002年10月30日(水) 天気:それなりにはれてる |
| 1万5千円もしたのかと驚いたものです。 #最近、ローカルニュースヲチ日記になってゐる… 昨日聞いた話。発泡スチロール製のカップ麺の空容器を深海探査艇に乗せて一緒に沈めると圧力で中の空気が逃げて超小さくなるのだそうです。調査から帰ったときにおみやげとしてまわりに配るのだそうだ。なんて会話が練習後にファミレスでくり広げられるオケなんて全国でここだけだよな、と思いました。 |
| 2002年10月31日(木) 天気:冬型の気圧配置になってきたな〜と |
| ちょっと早いけど10/31の更新。 このあたりに補足されている人々を眺めるにつけ敵わないとか寒いとか色々思うけど、何だろうな。言語化できるかできないかの領域でわだかまり、ないしは同族意識も持っている、いつだってね。 自分がいつだって「萌え」られる対象は音楽だ。そしてその先に、あくまで、音楽という色眼鏡を通してみた先に、同じオケの人たちがいる。彼/彼女ら自身、各自の日常と生活を持ち、その上で火曜日の晩とかに、自分と一緒に何か音楽を通じて一緒のものを持ってくれる、そういう連中とそいつらによって常に作り上げられ演奏会ごとに破棄されてゆく音楽が萌え、と言えるのだ。そういうのが好きなんだ。どうしようもなく。こういう気持ちはどう表現すればいいのだろう。まるで世界が、自分がオーケストラのその中で演奏しつつあるまさに今のために存在しているのだとしか思えなくなるような瞬間にその対象に対して、自分と一緒に演奏している仲間とか、それを聞いている聴衆とか、その曲を書いた作曲者自身とかに対して感じる気持ちをどう表現する、と言われたらそれは萌えだ、と答えるしかないかもしれない。萌え、という言葉はそれだけだから逆にたぶん、不確定なものでもあろうしそしてそのぶんだけ、広い概念なのだろうと思う。 |