| 2002年8月2日(金) 天気:くもり |
| 昨日はぴかぴかごろごろさんのあと涼しかったので比較的よく眠れました。もっと涼しくなってほしいです。 |
| 2002年8月3日(土) 天気:くもりだったらいいのに |
| 他人の日記に反応。 広大は東広島が最寄り駅という気がします。時刻表で見ると西条から20分、東広島から15分であまり変わらないのですけど。 広島というと午前001発の臨時列車の運転予定日を1日間違えてガストで一晩過ごしたり、新交通システムで乗り過ごして終点の先まで行ったりとロクな目に逢ったことがないんですが、原爆資料館や江田島に行かなければと思っています。 そのうち「=を等値記号と教えるほうが悪い」になったりしてですね。 昔は = 記号はもっと長かったんです(注:100年くらい前)。トリプルスペースくらい。今の長さくらいに短くなったのは多分タイプライタ製版でのオフセット印刷がさかんになってからだと思いますが、どうなんでしょ。 |
| 2002年8月7日(水) 天気:はれ |
| #なんでこう化けるかなあ バイトに出たら守衛さんに「久しぶりですね」などと言われる罠。風邪で休んでただけなのにぃ。でも夕方から成田に行かねばならぬのだった。 日本マクドナルドはまさにそういう買われ方を懸念していたのでわ(笑。別に構わないんですけど。 |
| 2002年8月9日(金) 天気:はれ |
| 風があるので過ごしやすいです。 直しても直しても穴があります…>openssl。 |
| 2002年8月10日(土) 天気:よく晴れて暑い日になりそうだった。 |
| 隊長!飛行機雲9と10が過去ログ倉庫で見つかr(爆 #エンディングまでの残りは作者の頭の中でDAT化されるのを待っている、などと「ドン・ジョバンニ」初演前夜のモーツァルトみたいなこと言ってみたり |
| 2002年8月13日(火) 天気:はれ |
| 新快速で姫路まで先着し「駅そば」を食べます。味覚、異常としか言いようのない人気とともに健在でした。その後口直しに駅地下に下ったところジャンクフードコーナーで「明石焼き風たこ焼き」(¥370-)を発見、早速頼んだところ「かなりやわらかく作ったたこ焼きを明石焼きのネギ入り薄口だし」につけて食べるという、たこ焼きと明石焼きのあまり面白くない部分を融合した食品です。置いてあったソースも塗ってみたのですが今一です。姫路の人はたんに変わった発想のものを「おいしい」と感じる味覚をお持ちなのかもしれません。 久留米の駅でメシでも仕入れようと改札を出たところ駅員さんに「ヴィオラですか?」と訊かれました。宗像のオケで弾いてらっしゃるとのこと。びっくりしました。一発でヴィオラと当てたのはええ、あなたが初めてです(笑) |
| 2002年8月14日(水) 天気:はれ |
| 本漁りのついでに日記でも書くべしと新市街に寄ったら、ブロードバンド体験コーナーは相変わらず在留外国人むけアメニティ無料ネットカフェと化していて何というか、できれば後ろで待ってる人に気づいてほしいというかんじです。いやまあ彼らはメール読み書きという比較的まっとうな目的があるのでいいんですが別の端末(と呼んでやろう)にかじりついてクリックしまくってたそこの日本人よ、キミは情報を受けるだけだろうけど私は発信をしたいのだよ。 |
| 2002年8月15日(木) 天気:はれ(こっちは湿度が低くて本当にいいですね) |
| 通潤橋を見るついでに馬見原まで行ってきました。 センターから乗った赤バス(熊本バスのことです)が小包輸送を行っていたのでびっくりしました。いや、まだ取り扱いをしてるということ自体が(大人運賃の半額だそうです)。昔ながらに運転席の隣に置いてあります。浜町のなんとか葬儀社宛ての小さなもので、骨壺か何かかしら。 御船の町を過ぎると急に山の中に入ります。人跡希な、というより道路以外には急斜面に植林された杉林しかない深い山の向こうにさらに山なみが連なっています。そう、筑波山とかばっか見慣れてるとイメージができないでしょうが、山ってこういうもんなんだよ。登り切ったところに棚田が広がり、集落があります。このあたりでは平らなところとは大昔の河岸段丘とか、川に切り刻まれる前の隆起準平原だった時の一番上の平らな場所とかなのです。谷は深く切れ込んでいてまた大雨のたびに土石流に襲われ、居住や農業には適していません。またぐいぐい下ると矢部町の中心、浜町の市街ですが、バイパスの陸橋に石を張り付けて石橋を模すのは恥ずかしいから止めてほしいと思いました。 通潤橋は矢部バスターミナルから歩いて10分ほどのところにある潅漑用の水道橋です。日本では江戸時代後期、ほぼ緑川沿いにのみ発達した石橋の技術を用いて作られた現役の水道橋で、気密に作った導水管を利用し、逆サイフォンで水の少ない対岸の台地に農業用水を給水し続けて150年ほどになります。しばらく(当時の技術そのままに)改修工事が行われていたらしく、まだ一部工事の柵が残っていました。真ん中にある放水口から水を出している写真が有名ですが、実際上に人が立っているのを見ると案外、こぢんまりと谷間に収まっていました。熊本城のそれを彷彿とさせる石組みが蔦をまとわりつかせ、人工のものというよりまるで石でできた樹木が生えてきました、という感じで風景に同化しています。石の並びはむしろ人間の肌の肌理を思わせます。ちょうど放水が始まったのでしばらく下から眺めます。今回は下や横から見た写真しか知らなかったので是非、上がどうなってるかも見ることにします。橋のたもとは用水路が経由していて、そこから水を引き入れています。導水管は角石に穴を穿ち、漆喰で固めたもので三列あり、三和土で固定されていました。真上から覗くと欄干がないので非常に怖いです。放水口はタオルを巻いた木栓をするようになっていて、橋の中央に作られたピットをいきおいよく水が走っていきます。管内の水が全部抜けるまで結構長いことかかりました。 折角なので熊本県のはずれ、馬見原まで行って高森に抜けようと思います。馬見原行のバスに乗っていたのは最初から最後まで私を含めて2人でした。相変わらずものすごい山の中を走ります。家も何にもない所で道が分岐し、そこに瀟洒な小屋がけのバス停があります。ベンチには自動車情報誌らしきものが放置してありましたが、ここで乗降する人はいるんでしょうか。 蘇陽町で一番の集落である馬見原には3社のバスが乗り入れています。今乗ってきた熊本バス、高森からくる産交バス、高千穂からの宮交バス。宮交は市街を経由するだけで終点はもっと別な場所なのですが、残り2社はかつて馬見原地内に別々に営業所を持っており、バスはそこに発着します。モルタル2階建ての熊本バス旧馬見原営業所は待合室も閉鎖され、ガラスに時間表が張ってあります。少し戻り、一つ前の三叉路の停留所に産交のポールも立っていたのでここから曲がるのだろうと予測しますが、念のために開いているそばの酒屋のおっちゃんに訊いてみると果たしてそうでした。そこで待ってれば来るのに、と言うのですがあと1時間以上あるのです。とりあえず産交の営業所に向かいますが今考えるとおっちゃんは何か買ってけ、というつもりだったのかもしれません。 さびれきった商店街のはずれに産交の元営業所はありました。商店街のさびれ具合は北海道の炭坑町みたいです。あちらは炭坑、こちらは林業の衰退にともなって過疎化したのです。戦前からあるような車庫には向かいの鮮魚屋の冷蔵車が突っ込んであり、ぼろなモルタル平屋の待合室は開いていましたがなぜか窓は釘で打たれ、暑くてかなわんので早々に脱出します。三叉路の突き当たりには駐車場があり、鳥居と山の上へと向かう階段があります。西南の役の時の仮陣になった、などと能書きの看板が立っていますがとりあえず登ってみます。最近つけられたらしい手すりはありますがそれも苔に覆われ、蜘蛛が巣を張っているような細く急な300段ほどを登るとちょっと突き出した小山になっていて、草の刈られたその真ん中にもう一段高く階段がつけられ、本当に小さなお稲荷さんがぽつんとありました。そばにはばきばきと枯れた巨大な切り株があり、脇から杉の若木が分蘖しています。他にも広葉樹など、何種類もの若木が切り株を栄養に根を下ろしていました。残された幹の裂け方を見ると雷でも落ちたか、台風で倒れたのでしょうか。階段に腰を下ろすと車の音が下の方から聞こえてきます。たまにカメムシが飛んできたりするだけで本当に静かでした。本当に心が落ち着くのですがなにせ暇なので親からがめてきた携帯でいろいろ遊びます(アンテナは3本立ちます。国道が通ってるので)。ぐるナビに繋ぐと小国と阿蘇とこのあたりまで一緒のエリアにされています。あわせると東京都くらいの広さがあるはずなんですけどね。 また階段を下り、元営業所に戻ります。バスは車庫に入っていましたが人影はなく、さっき買った牛乳をすすりながら発車時間を待ちます。発車3分ほど前に車が一台乗りつけ、風体の上がらないおっさんが出てきて「乗るの?」と訊かれます。ええ、と答えるとおっさんはバスのコックを操作して扉を開け、自分は運転席に入ってシャツをズボンに押し込んでネクタイを締め、制帽をかぶると産交バスの運転手に化けました。暑いねえ、と言うので市街からきたんで涼しいんです、などと答えます。こういうところまで乗りにくるバスマニアもまだまだ少ないのでしょう。市街の外れで一人乗ってきます。顔見知りの人らしく、何だい、今日は初盆じゃないのかい、などと雑談が始まりました。 バスはさらにすごいところを走ります。民家の裏手から山に登る急傾斜の道、畑の間の、舗装されていなければあぜ道でしかない道、そしてそんなところにバス停が立っています。高台に登ると向こうに猫子岳が見えます。その右側のなんだか丸っこい山影は九重でしょう。視界を遠くで遮るものは後は南の方にそびえる九州山地だけで何もなく、朝センターから出発して高度をかせぎ、ついに一番高いところまでやってきたことになります。風景がしだいにのっぺりした阿蘇外輪山のそれに近づくとトンネルに入り、それを抜けると車窓はるか下に南郷谷が広がります。夕方の光に続く田圃、それをふちどる家々を見て、ずいぶん開けた場所なのだな、と思うのです。 |
| 2002年8月16日(金) 天気:五家荘は雨模様 |
| 叔父を唆して運転手をさせて五家荘に行ってきましたが、いやまあとにかくすごいところでした。どれくらいすごいかというと例えばここでは集落とは斜面の平均角度が50度くらいのところ、それが25度くらいになっている場所を選んで作られるものであり、田圃とはそれが35度くらいの場所を探して棚田を設けるといったかんじです。上から見ると集落が「立体的に」見えます。こういうところに住んでると、平面的な地理感覚というのと違った感覚が養われる気がします。 |
| 2002年8月17日(土) 天気:昼は晴れてたけど |
| 「スペースワールド号」にスペースワールドで降りる人が少ないので何か失敗していると思います>JRQ 小郡発岡山行なんて列車が何本もあるようになった山陽本線ですが、最近特に思うのですがどうしてみんな座席に座るなりブラインドを下げるのでしょう。暑い?馬鹿もの。夏が暑くなくてどうする。日焼け?お肌を気にする柄ですか。ガラス越しなんだからファウンデーションで十分でしょう。頼むからもっとみんな外を見てほしいと思います。何のために旅行してるんだかわかりません。それを特に感じるのが子供連れで家族が乗ってきた場合です。子供というのはたいてい、流れゆく風景を眺めていることに興味を見いだすものなのですが、風景よりも自分の方に関心を寄せさせようとする親がまずよくないし、子供に対して「じっと座ってなさい」と言うのは多分間違いです。靴を脱がせて、窓から外を見させるべきですし、親も自ら見本として、外をずっと見ているべきなのです。子供はそんなに集中力がないだろうって?親の集中力がないだけでしょう。窓の外見てたってつまらない?つまらないと思うからつまらないだけです。だから逆に、いくらでも面白く眺めることができるものです。ブラインドを閉めてしまうのは、鉄道で旅行する時の醍醐味を殺ぐもので、無意味なことでしょう。 行きは東チタの方に乗ったので、大垣からは東京方にくっついてるモントレーの方に座ってみました。カーテンに換装されてるんですね。あと、テーブルがでかくてびっくり。 |
| 2002年8月19日(月) 天気:台風コロッ(ぉ) |
| というわけで1週間ぶんの日記を上げました。 1.6がRC1に。そろそろ準備せねば。 |
| 2002年8月20日(火) 天気:いつもこれっくらい乾燥してたらな〜 |
| 11、12/終章。終了です。 #ぜえぜえ、はあはあ |
| 2002年8月22日(木) 天気:高曇り |
| ちょこっとプログラムのお勉強をしていて、%./a.out hoge とかしていたら、hogeとい うファイルがcwdにあったおかげで30分ほどはまりました。しくしく。 昨晩は実家にいたのでテレビを見ることができましたが、「プロジェクトXの旅」のネタとして全国各地の風景や鉄道路線の映像を使用したことに断固抗議します。だって、行きたくなっちゃったじゃないですか。NHKは私に暇と18きっぷと旅行資金を補償するべきです。 |
| 2002年8月24日(土) 天気:くもり |
| 九頭竜湖にきています。こんなところでもネット可達とわ。。。 |
| 2002年8月25日(日) 天気:曇ったりはれたり |
| そして今日は、お祭り初日の新庄駅はいつにもましてごったがえしていたことをご報告申し上げます。経路を想像してあきれてみてください。 #なお、今(夜)はもうつくばです。 |
| 2002年8月26日(月) 天気:あついけどくもり |
| また湿気いのが戻ってきてしまった… 富山の駅ビルの書店でいい加減押さえておかないとと思って買った「スカートの下の劇場」読みながら2chのことについてふと思いついたことがあったんだが(まだ読んでなかったのだ)、まるで思い出せない(駄目)。やっぱすぐメモっておかないといけませんね。 |
| 2002年8月28日(水) 天気:くもりと思ったらはれてた |
| 金曜日の晩のこと、今週末使わなかったら使う暇がないと思った18きっぷ残り2枚を財布に入れて終バスに乗ったのです。品川でそばなんぞ食ってからホームに降りたら「モントレー」9連はもう席はふさがっていました。今日を入れて今シーズンはあと2日なのですが、今年の運用は新前橋と田町だけでこなしたのでしょうか。5分ほど遅れて発車すると「車内でお客さま同士のトラブルがありまして」などと放送が入ります。吉野屋コピペの読みすぎなのでしょう。通路に立っていると、いつもは寝てしまう区間で色々なものが見えます。併走する高速貨物と抜きつ抜かれつしながら富士あたりまでで通勤客は降りました。床に座り込んでニコリを広げるとスリリンを解く鉛筆の先をまわりの人がめずらしそうに見ています。静岡で本当にたまたま席が空いたので座ります。ウィスキーのポケットボトルの封を切ると疲れていたからか、ちょっと舐めただけで結構効いてきました。 激混みの姫路行から脱出してまずは米原名物肉うどんです。えと、勝手に名物にしてしまいましたが、東海道で西に向かうと関西風だしのうどんを食えるのはここからなんで、そう定義させていただきます。ここも姫路あたりの味と比べるとまだずっと濃口ではあります。それから金沢行の471系の客となると、西側の窓にとおく琵琶湖が広がる車内では中学生くらいのが10名ほど、小浜線に行くんだとカメラをいじっていました。今日は電化工事で途中区間運休の日なのですが、バスを撮る羽目になるかもと思いつつ目をつぶります。目が覚めるともう越前花堂を過ぎていました。 福井の駅はまだ高架の基礎工事中です。何から何まで仮住まいといった風情の東口でハンコを押してもらい、線路も錆付いた京福の乗り場を外から眺めました。ただここも高架工事のために最近移設された仮普請のもので、以前あった田舎町の電車乗り場の雰囲気はどこにもなく、かわりにかつて人の生活が染み付いていた場所の寂しさといった風情がさっぱり感じられないのが救いです。早く新会社が動き出して運転再開してもらわないと福井県内鉄道全線完乗できないので困るぜよ、と念を送ってから、今日のターゲットである越美北線のホームへ向かいます。九頭竜湖行はがらがらのキハ120の2両編成でした。発車時間前になるとそれでもボックスに2人ほどまで席が埋まり、ハイカーの他は地元の人が多いようです。後ろ一両は越前大野で切り落としと放送があります。後ろの車両にも「九頭竜湖」と行先表が出ていたんですが。 鉄骨にコンクリプレートを乗せた細いホームに石膏パネル組みの待合室、という駅が続きます。足羽を過ぎて山の中に入り、車窓にあるのは足羽川、朝倉氏の根城となった地域です。どうということのない集落の外れのお寺は当時からあったのだろうか、と思いを馳せながら列車とともに川を遡上します。一乗谷で集団で下車があります。旅行会社のファイルケースを持った人がこちらです、とホーム上に人を集めています。一日9往復しかない鉄道利用とはめずらしいです。 それにしても何と「ローカル線」なのでしょう。とりたててすごい風景が広がるわけでもなく、車両こそ新しいですが、それも面白いわけでもなく、乗客も典型的なローカル線の乗客以上のものではありません。特徴といえば、こんなに曲がりくねった谷沿いに走っているのにトンネルが一本もありません。小和清水(こわしょうず)という駅名を見て泉があったんだろうなと思い、計石という駅名を見て昔誰かが石をかかえて力比べでもしたのかなと想像します。うつらうつらして、ふと目が覚めると北大野でした。車窓はすでに九頭竜川沿いのもので、線路は結構大きな街である大野の市街に入っていきます。1面2線のホーム上にはかなりの人が並んでいます。折り返しの福井行きになる2両目を待つ人がほとんどで、こちらにはおじいちゃんおばあちゃんがかなり乗ってきました。何故か有田陶器市の紙袋を下げた外人さんも乗ってきました。夏休みの休日とはいえ、乗車率がいいようで何よりです。市街地の北部にはさっきの京福が勝山から路線をさらに伸ばしていた時期もあったのですが、それはかなり前に廃止になっています。 相変わらず駅の構造は簡素です。下唯野、交換用の枕木が並べてある鉄橋で九頭竜川を渡るとすぐに柿ヶ島といった具合で、待合室には雪下ろしのために屋根上に登るはしごが取り付けてありました。ホームの柵はどの駅もところどころ切られ、チェーンが渡してあるのですがこれも除雪機でも入れるためなのでしょうか。それから山に突っ込み、短いトンネルを抜けると勝原(かどはら)です。福井から乗ってきたハイカーが、観光案内所を兼ねた駅舎に消えていきます。ハイモ(排雪モーターカー。車両ではなく機械扱いの黄色い小さい除雪車)を入れておくための横取りの引込線は今は葛に埋もれています。その向こうで保線の作業員がひとり、一段下の川を眺めていました。すぐにトンネルに入り、抜ける間もあらばこそ雪覆いの中を走り、また長いトンネルに入ります。ここから先は最後に開業した区間で、トンネルだらけのために縮尺の小さい地図で見ると鉄道は勝原までしかないようにも見えます。ふいに明るくなると越前下山です。大野で乗ってきたじっちゃんばっちゃん、若い女性までががさがさと降りていきます。さっき大野の駅に「九頭竜温泉:越前下山から無料送迎バス」という広告が出ていたのを思い出しました。ところで、越美北線は毎月一回、昼間全便運休(といっても区間運休を含めて4本だけなのだが)の上保守工事を入れるようになっています。これは最近JR西日本が保守費用の軽減のために(夜間は人件費が高いので)主にローカル線で行うようになったもので代行バスも走らないものですが、このように列車で行く人の多い九頭竜温泉は困っているかもしれません。 対岸のトンネルに突っ込みます。そこを抜けるともうあたりは急峻な山の中であり、隣を走る道路沿いに家が増えたなと思ったら終点、九頭竜湖です。屋根にホームもあります。それが不相応に立派に見えます。ログハウス風の駅舎を出ると隣は道の駅で人が結構多く、実物大の恐竜模型が顎を動かしながらぎゃあぎゃあ鳴いていました。車で来た父親が「ほら、電車来てるよ」などと子供を手招きしています。キハ120ごときでそう騒ぐなよ、と思いましたが、どうも自家用車という閉鎖空間で移動する家族連れはいわゆる「家族ファシスト」(勢古浩爾)と化すものなので、パブリックスペースである列車内からきゃあきゃあ騒ぐそういう集団の中に放り出されると自分が遊園地の汽車にでも乗っていたかのように思えてあんまりいい気分ではありません。具体的にどういう行動が、というのではなく、あくまでそういう連中の持っている雰囲気なんですが。道の駅と反対側は村の物産館で、がらんとした(言い換えれば、普通の人の興味を惹くようなもののない)ロビーを何となく見ているとパソコンがスクリーンセーバーを出しており、Ctrlキーを叩いて見ると予想通り、IEがインターネットドメインの内容を表示していました。日記をCGIにしておいてよかったというわけです。 #以下続きます |
| 2002年8月29日(木) 天気:はれ |
| よみがえるでたまたま「津軽―失われゆく風景を探して―」(アラン・ブース/新潮文庫、初出単行本は版元品切れ、文庫は不明)を見つけました。太宰の「津軽」を敷衍した紀行作品ですが、太宰の「津軽」を面白い、というのと同質の面白さをまた、味あわせてくれるものです。旅行と文学の好きな人は、また津軽を旅行したことがある人なら、見かけたら是非。 昨日の続きです。 さて、ここで一本の電話をかけなければなりません。今晩、宿と移動を兼ねて乗る予定の新日本海フェリーの敦賀〜苫小牧航路を新潟から秋田まで予約するのです。昨晩、行くぞと思って電話をしたときにはすでに営業時間を過ぎていましたから。飛び込みで新潟FTに行っても多分大丈夫なのでしょうが、盆も過ぎたとはいえまだ夏休み中、万が一満席だった場合には深夜の新潟港のはずれは長距離トラックをヒッチハイクするくらいしかすることがない場所なので、予定を考えなおさなければなりません。なので駅前の電話ボックスで時刻表に載っている新潟の問い合わせ先番号に10回ほどかけるのですが延々と話し中です。土曜日だから誰もいないのかもしれませんが、昨晩はちゃんと「翌朝の営業は10時からになります」と自動案内があったのです。それとも予約が殺到しているのでしょうか。今を逃すと金沢に午後2時に到着するまで電話をかける暇はないのですが、折り返し列車の時間も近づいてきたので仕方なく駅舎内に戻ります。 車内は九頭竜湖畔でキャンプか何かしてきたらしい小学生でにぎわっています。その他に大野や福井まで出るらしい姿格好の人もおり、もう少し電話を粘っていたら座れないところでした。子供たちは虫かごを見せあって騒ぎ、通路を走り回り、子供用の図鑑でこれがいた、などとヘルパーの大人と喋っています。まだ若い女性の駅員さんが手を上げるとするするとホームが後ろに動き出し、ばいばーい、と子供に手を振り返す姿が遠ざかってゆきます。子供というのは昔から元気なもので、ボーイスカウトであちこち行った自分も常磐線や上越線のボックスをいくつも占拠して騒いでいましたが、違うのは付き添いの大人がまるで叱り声を上げないことで、度を越えてはしゃごうが知らんぷり、おじいさんが乗ってきても席代わってやれ、とも言わないのです。まあ、子供たちにとっては年に一度くらいしか縁のない鉄道なのだろうし、別にいいだろうということかもしれませんが。代わってあげようとおもったらおじいさんは知り合いを見つけたらしく向こうの方に行ってしまいました。 越前下山でまた乗ってきたら混むな、と思ったのですが1人しか乗らず、長いトンネルを抜けてゆるゆると山を下ってゆきます。九頭竜川の水は上流にダムがあるため比較的濁って、途中一ヶ所、トンネルとトンネルの切れ目から一瞬見える谷は岩盤が切り立ち、そこだけ渓谷のように水がきれいでした。越前大野でまたたくさん人が降り、同じくらい乗ってきます。座っていたボックスにもあと3人おばあちゃんが乗ってきて賑やかになりました。越前弁が飛び交う中を少しうつらうつらしていました。目が覚めると足羽でした。おばあちゃんたちは相変わらず喧しく喋っています。会話を聞いていると県民文化祭で踊りを披露するのの申し込みがどうの、舞台に立ったときの緊張感がどうのと、文化活動な方々のようでした。 福井に到着したのでおばあちゃん連中の荷物を網棚から降ろしてやり、同じホームの先にいる金沢行にすぐ乗り換えます。さっきまで寝ていたので惰性で眠いです。ぼうっとしているうちに芦原温泉、大聖寺を過ぎ、加賀温泉の変な大仏さまみたいのが見える頃にまた少し混んできました。北陸本線の普通列車は413系、415系(800)、419系、471/475系で、特に特急車の改造車である419系はドアが狭くて乗りにくい上に何だかくたびれて見えます。471系にしてもこれは交直両用の急行電車としては東北/常磐筋の451系と同世代の車両であり、そちらはみんな改造(717系(東タイプ)に)あるいはとうに廃車されて現存しないことを考えると物持ちがいいのかケチなのかよくわかりません。七尾線電化で投入された415系800番台も車両は111/3系、交直機器は初期485系と改造車であり、交直両用車の車両製造コストはこの御時世でも高いのでしょうか。何となく常磐線上野口と事情が似ています。北陸の方は運用範囲内に長浜、永原、梶屋敷、富山港線と七尾線の入り口と5ヶ所も(七尾線には415しか入ってないと思いましたが)セクションがあり、車両運用を考えれば東北のようにどっかから先は交流専用電車というわけにもいかないのでしょう。新幹線の路盤が見えてくると金沢です。 規模、人の多さともに巨大な金沢駅でまず電話です。さっきの番号は覚えてしまいましたがまだ話し中です。まさかと思って一緒に載っている東京の番号にかけたら何故か「はい、新日本海フェリー新潟支店です」と、新潟につながりました。相手先地域を見て転送かけてるのかもしれませんが、どうなってるんでしょう。すんなりと予約を済ませ、ちょっとぶらぶらします。そういえば北鉄の浅野川線が地下になったな、と駅があった場所に向かうと数年このかたずっと工事中のバスターミナルの工事用パネルに開業以来の金沢駅の写真が並べてありました。その先に地下に下る仮設の階段があります。何もないコンコースの壁に自動券売機が並んで、改札の向こうに電車のオレンジ色の顔がこっちをむいて停まっていました。元が京王のステンレス車なので、すっかり地下鉄の雰囲気です。左手(JR駅のほう)は閉鎖されたガラス戸のむこうに自然光が見え、上の工事が終わった暁には吹きぬけになるようでした。金沢にも地下鉄ができちまったぜと思いながら次に駅ビルのパン屋で調理パンを物色します。次の富山行は改札上に出ていた時刻表と乗り場がかわっていました。金沢はどういう理由か、乗り場がわかりにくい駅かもしれません。東京や大阪からきた人がトランクをかかえて右往左往しているのをよく見る気がします。 かつての貨物線寄りに移設中の東金沢の新駅を見、新幹線の高架が山に消えてゆくのを眺め、列車が神通川を渡るまでパンをむさぼりながら過ごします。鉄橋の向こうに北アルプスの山が連なってかすんでいます。富山の駅は地上駅で、鄙びて、かつ古びています。見たところ、金沢のように高架にする計画は当分ないのでしょう。ここで2時間以上あるので地鉄の市電を乗りつぶしておくことにしています。手前の高岡から城端線、氷見線を乗り潰すことも考えたのですが、プランを立てていて不愉快になるくらい接続が悪い上にどちらか片方を見捨てないと新潟からのフェリーに間に合わないので諦めたものです。電停は駅前ロータリーの東側の横断歩道から上がれます。ちょうど大学前行きの新しい車両がきました。 富山の市内電車は全線一律200円です。後払いなので、車内にある電車用のプリペイドカード販売機でカードを買えばすぐに使えることになります。2000円のもの一種類しかないようでした。ただ、車内は土曜日の夕方ということを考えるとずいぶん空いています。駅前から大学の方に大きな繁華街がないからとも考えましたが、その後乗った折り返しの電車でも状況は対して変わりませんでした。200円均一という運賃設定は少し高いのかもしれません。例えば東京の都バスが220円均一でもそれなりに利用客をつけているのはその細かい路線網と多様な系統によるものでしょうし、同じ均一でも長崎の市電は100円で、結果(車両が小さいこともあるのでしょうが)知る限りではいつも混んでいました。初乗りを130円くらいにして距離制にしたほうがいいのではと思います。電車は駅前通りを曲がり、市立図書館を見上げ、お城跡の県庁の前を通ります。この通りはすずかけ通りというようです。どこかの大学構内で見たことがあるような名前ですが、個人的にはむしろ三丁目の白い家を探したくなります。富山も空襲はひどかったのでしょうか。 すぐに街外れの雰囲気になり、民家の裏手にいい雰囲気の小川があったりすると神通川で、橋のたもとから単線になります。大学方面からやってきた電車がのこのこと姿を現すと信号に黄色が灯きます。入れ違いにこちらもよたよたと橋を渡り始めます。長い富山大橋はとおくに高い山なみを見せていい風景ですが、この道路は今は空いていますが富山と高岡をむすぶ主要道のようで、平日の朝夕はボトルネックになるのではと思われました。現在の橋を鉄道専用にして複線にし、新たに片側2車線の橋をかけた方がいいのでは、と勝手に心配します。橋を渡り終わるとまた電停があり、その先にぷっくりとふくらんだように交換設備がありました。朝夕、本数が多いときはここでも交換が行われるのでしょう。そのまま単線の線路を進むとすぐに終点の大学前です。幅の広い安全地帯が歩道橋に接続し、富山大の建物らしいものが道路の先に見えます。電車から降りたわずかの乗客は誰も歩道橋を渡らず、車の間を見てガードレールのすきまを抜けていきました。 電停の目の前は県立の野球場で、大学の正門までは少しありました。大学前ではなくて運動公園前なのではないかと思います。構内は結構小奇麗で、理学部の方に歩いてゆくと古い建物を囲って改装工事の真っ最中です。その先の新館はまだ風景に馴染んでいないようです。忍び込める場所もみつかりそうにないのでそのまま引き返し、市電の残りの部分を乗りつぶしにかかります。 #まだまだ続きます |
| 2002年8月30日(金) 天気:雲っぽいはれ |
| まだまだ続きです。 単線の線路がぷつりと切れて幅広い中央線がその先の交差点まで続いているだけの電停周辺は不動産屋、看板も目立たないような定食屋など、大学門前といった雰囲気に満ちています。地方大学の正門前って大体こういう感じの街並みなんでしょうか。つくばだと、もちろん余所者は知らなければ入る気も起きないような定食屋だか喫茶店だか判別しかねる安かろう多かろうな飲食店ももちろんありましたし私もよく行きましたが、10年くらい前からでしょうか、それに加えてデニーズやサイゼリアなどの「粘れる」系ファミレス、あるいはすき屋やココ壱などいつでも腹ごしらえできる店が進出してきていて結構繁盛しています。朝4時に研究室から気分転換に外に出てきて薄明を見上げても近所にロクにそういう店もないのでは少しさびしいのではと思いました。もちろん富山大周辺はまだずっと街の中(なんたって電車が通ってるんです)で、つくばあたりの明け方のさびしさと同じものとして論じるわけにもいかないのでしょうが。 車の列に混ざってがたがたやってきたのは7000系という旧型車です。高岡の市内電車である万葉線と同型の、市内電車としては大型の部類に属する箱形の車両です(富山新港ができるまでは万葉線(旧加越能鉄道)は富山まで線路がつながっていて地鉄射水線という路線でしたから、同じなのは当然なのですが)。屋根に背負ったクーラーがランドセルのように見えるのが特徴です。普通なら整理券発券機のある場所がすかすかなためか、車内はがらんとした印象です。夕日にかすんだ立山連峰が遠景に張りついています。またお堀の脇を通り、橋のたもとの信号で停車すると川面を屋形船が竿差しつつ遠ざかっていきます。向かいの大学生二人連れがへえ、ここが図書館なんだあ、と建物を見上げています。片方が富山に遊びに来た子のようでした。高校の同級生か何かだったのでしょう。駅前に進入するところで右折の黄色が出るまで少し待たされます。路線を統廃合したからなのでしょうが、道路を曲がるところで所要時間的にオーバーヘッドがかかっているのが気になるといえば気になります。 電車は一旦乗客を降ろした後、少し先に進んで乗車用ドアを開きます。乗降場所を分けているのは安全地帯が狭いからでしょうか。ここから先、南富山までは市の中心部を走るのですが、一本前の電車が出たばっかりだったからかあまり乗車はありませんでした。ここから本数も倍増するようです。緑の多い大通りを曲がると地鉄ビル前、電気ビル前とそういった建物がランドマークになっていた当時を忍ばせる停留所名が続きます。このあたりから車通りばかりがやけに多い繁華街に入るようです。紺色のひらひらする物体が近づいてくるので見ると雑居ビルの窓から2メートルはあろうかという巨大なセーラー服が吊され、風に揺れていました。制服を扱っている洋品店でしたが、学校指定の店だろうにそんなに宣伝しなければならないのでしょうか。小子化の影響なのでなければ受け狙いなのでしょう。その下をセーラー服の女の子が談笑しながら歩いています。電車の向かいの席では中学生の女の子が二人、友人関係について熱く会話し、きゃあきゃあ言っています。名札には堀川中とありました。南富山の少し手前に堀川小泉という停留所があります。 西町という停留所があります。このへんまでが繁華街で、あとは道路沿いは何の変哲もない住宅街になります。町内で夏祭りらしく、盆ぼりが連なっています。テントが出ていて、おっさんが中でくつろいでいるのが見えます。甘酒か何かを売っているようなのですが、よくわかりません。夕方の街並みの中をがらがらの電車が走ってゆくばかりです。乗客もどんどん減り、前方に踏切が見えました。地鉄の鉄道線である不二越・上滝線の線路です。線路が右にカーブすると終点の南富山駅前です。駅前広場の駅寄りにぐっと近づくと低いホームが現れ、路面電車の終点の常道として上下線が合流します。車体が振られるぶん、ホームにニッチがつけてあります。その先が屋根のつけられた降車スペースで、線路はその先の鉄道線と共用の車庫の方まで続いています。さっきの女の子たちがさっさと降りてゆきます。 南富山の駅は古いコンクリの三階建てです。上のフロアは地鉄の安全研修センターというものになっているようで、屋上に踏切や信号機が立っているのが見えます。駅の入り口より線路寄りにちょこんと市内電車が停まり、垣根一つ先が鉄道線の駅構内です。駅の待合室から見るとアルミサッシのドアのむこうに市内電車が発着することになり、改札と電車線のホームをむすぶ構内通路は改札口の先で市内線からの引込線とクロスすることになり、市内電車の乗客が直接駅に入らないよう遮断機がありました。駅前にはタクシーがずらりと並び、向かいにはひなびた土産物屋が続いています。何だか変わった駅です。うろうろしているうちに電車はまたがたがたと出ていってしまいます。鉄道線で富山駅まで戻るつもりで時間表を見るとあと30分ありません。しかも運賃は市内電車より高く、300円のようです。地鉄の鉄道線は本線、本線の寺田から分岐する立山線と、本線で富山の次の稲荷前から分岐し、南富山を通って立山線の岩峅寺に合流する不二越・上滝線からなっています。10分とおかずに出ている市内電車と比べてひどく本数が少ないのは立山線と競合するからでしょうか。戦時合併やその後の路線統廃合でこういう路線と運行形態になったのでしょう。まだ時間はあるので、それまでこの面白げな駅をくまなく探索してみるのも一興かとは思ったのですが、ろくにカメラも持っていないのに見て回るだけなのも何だと思い、次の市内電車で戻ることにしました。 次の電車は新型で、運転手は女性でした。ぽつりぽつりと乗降があるだけで、何となくわびしい夏の夕暮れの風情です。車通りの多い西町の交差点を過ぎると後ろにタクシーがつけてきます。詰まっている車の列をよそに電車の後を走り、ぐいと曲がって反対側の営業所に入っていきました。駅前に曲がる交差点で黄色矢印を待っていると、後ろから次の電車が近づいてきているのが見えます。こういう「信号による整流作用」で運行間隔がおだんごになってしまうのは何ともならないのでしょうか。寺田寅彦が東京市電についてこの現象(当時は信号による、というより人の乗降というファクターが大きかったようだ)を随筆に書いていたはずですが、誰か研究くらいはしていそうです。建物ひとつ分向こうを終点間近かな地鉄電車が走っていきます。女性の運転手さんは駅前に到着するとわざわざ席を立って、一人ひとりに、ご乗車ありがとうございます、と挨拶をしていました。 駅前の横断歩道がさいた、さいたと鳴っています。特産のチューリップ、ということでしょうか。ちょっと脱力して、次の電車まで駅ビルの本屋で暇つぶしをします。地元関係の山岳写真集なども積んでありましたがもちろんお金がないので見送ります。あとは本を読みながら新潟に向かうばかりです。直江津、長岡と二度の乗り換えは接続時間もわずか、寥とした糸魚川の駅構内も、もう真っ暗な青海川のホームも(昼間なら海がきれいだったろうに)、新潟まで戻るのかと思いきや茨目で降りていった海水浴帰りの二人連れも、日本海縦貫線のいつもの風景でした。普段住んでいるところからずいぶん遠く離れているはずなのに、このあたりの風情は不思議と身近に感じるのです。いや、何だか常磐線と似ている気がします。 万代口から改札を出て、まず、ないだろうと思いながらバス乗り場を眺めます。70万都市とはいえ、フェリーターミナル以外に倉庫くらいしかない場所のそばまでこの時間にバスがあるはずもありません。駅前にはギターをかついだ若者が屯ろっていて、ねえ誰々ちゃぁん、とすっかり顔見知りのようです。新潟らしい幅の広い道を走り、西港奥に建設中の橋のたもとで折れてフェリーターミナルまで小型で1490円でした。 #もっと続くのです |
| 2002年8月31日(土) 天気:いい天気 |
| 土浦からの終バスがやけにてれてれ走るので順法闘争の真似か何かかと思ったら車椅子の人が乗っていただけでした。後ろにひっこめてあったからしばらく気づかなかったですよ。 今日は疲れているので旅行記はなしなのです。また今度〜。 |